ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第六回/だいたい三十回くらい書きます

1992年 平成4年 16歳 高校一年生

☆1月 「SPA!」で「ゴーマニズム宣言」連載開始、森園みるく「キアラ」連載開始、レディース四コマ漫画雑誌「ふんふん」創刊、THE BOOM「島唄」

 このころは出版業界は空前のレディースコミックブームだった。姉と私はおもに唐瀬通りの古本屋・福代書店でレディコミを買いあさった。森園みるく・矢萩貴子両先生が二大巨頭、白泉社系の酒井美羽、野間美由紀もよく読んだ。「麗人」なども買った。われわれの性的好奇心はもうなんにでも食いついた。官能小説の文庫本・フランス書院文庫もここで買った。
森園みるく先生は、ニューヨークを舞台にしたスーパーモデルが主人公の作品「キアラ」もすばらしかったが(原作は桐野夏生先生)、過去の古本コミックスを集めてみると、筋肉少女帯「イタコLOVE」を漫画化した読み切りや、ベッドシーンの背景に「人生zin-say!」という掛軸がかかったコマがあったりと、インディーズレーベル「ナゴムレコード」のファンであるらしいことがうかがえた。イギリス人男性との結婚歴や、パンク、ロックへの傾倒など、「こっち側」のお姐さん、という印象を持った。
 矢萩貴子先生は、夫婦関係、男女関係を、社会的背景、世相を踏まえて扱っていた。海外旅行先で女囚になってしまったり、団地の主婦が秘密組織の性奴隷になったり、荒唐無稽な(夢のある)設定を、説得力のある描写でリアリティを感じさせる力量があった。男性像も、ハンサムから小汚いオジサン、ヒヒ爺まで描き分け、バリエーションに富んでいた。
 「ふんふん」はそんななか発行された4コマ雑誌で、とがしやすたか編集長。青木光恵、朝倉世界一、安彦麻里絵、安野モヨコ、原律子、山田律子、伊藤理佐、山本直樹各先生など、絵のかわいい作家たちがエッチなネタをのびのびと自由に描いていて毎号楽しみだった。特に、「昭和の露彦さん」が好きだった。
 印象深い号がある。このころ、内田春菊先生が第一子を出産した。結婚はしておらず、いろんな媒体で荒木惟経撮影による妊婦ヌードが載り、お相手は同業者の男性(ガロで共作を読んだことがある)などの情報が入ってきていた。
 そんなところで「ふんふん」に、ある男性漫画家による暴露作品が載ったのだ。三十三歳厄年の女性、香水はプワゾンを愛用。彼女はとにかく子どもを産みたいから、「父親が誰かは秘密にする」「一人で海外で出産する」「一切迷惑はかけないから」という話に応じて協力することにしたら全く話が違う、社会的に立場がなくなった、自分の実家で両親と話し合いの場を設けたら「私には捨てるもの無いのよっ!!」ガッシャーン!!という内容。その次号の編集長日記では「ある女性漫画家からはこの雑誌との絶縁を受けました」とあり、女性側の言い分はわからないので一方的な意見だったが、強烈な回であった。

 ゴーマニズム宣言は、はじめは「宝島」誌上で始まった。数回でSPA!に移行。編集部との間にトラブルがあったらしい。(たしか、漫画の内容について掲載時に欄外に担当者が茶々を入れることが問題になったとか?)見開き二ページの他愛ない内容の頃は愛読していた。だんだん時事問題を扱うようになり、皇太子と小和田雅子さんの結婚をネタにしたときの回は「ガロ」に掲載された。材木屋の二階にあった青林堂の長井勝一編集長のもとに小林よしのり氏が原稿を持って訪れ、「投稿させてください」「山野一先生のファンです」と言ったとか。その後、部落差別問題に触れるなど読み応えがあったが、人気が出るにつれて二ページが四ページから八ページと増えてゆき、短い、濃い、瞬発力・パンチ力が好きだった私は単行本は1巻を買っただけになった。

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