ちょ、そこの元サブカル女子!~白川ユウコの平成サブカル青春記 第十三回/だいたい三十回くらい書きます

1995年 平成7年 19歳 大学1年生

☆1月 阪神・淡路大震災、COMIC CUE創刊、ele-king創刊


 センター試験直前に、一通の黄色い絵葉書が届いた。岡崎京子のイラスト「ぼくたちはこれからどこにいくのだろう」。差出人は、『完全自殺マニュアル』の著者・鶴見済氏!ファンレターを書いたのだったが忘れた頃にお返事が来た!「音楽と人」、「FRIDAY」まで読んでくれてうれしい、こんど『無気力製造工場』という本を出すので読んでみてください、という短い文章にもう天にも昇る心地!「音楽と人」では「いけにえテレビ」のちに「野放し」、「FRIDAY」では「日本秘境探検」という連載をお持ちだった。「音楽と人」の、大槻ケンヂ・小沢健二“Wけんじ対談”、モノクロページに鶴見氏のインタビューが掲載された号はもう宝物である。SPA!やQUICK JAPANや新潮45などにも目を通して鶴見氏の文章はいつも読んでいた。羽生生純「ファミ通のアレ」にキャラクターとして登場していたのまで見つけた。
 「日本秘境探検」に触発されて、なかなか入れない場所に潜入してみたくなり、リナさんを誘ってポルノ映画館「小劇場」(七間町の映画街のビルの屋上にあった)や、遠くのアダルトショップに自転車で行ってみたりした。リナさんはマッチラベルを集めていて、レジ横にあったマッチを、もらっていいですか?ときいたら、店主のおじさんが「これももっていきなよ」とマッチ箱大のヨーロッパの石鹸のセットをくれたりした。そんな活動をしながらも学校では英語検定二級を取得したことで一緒にお弁当を食べている友達とともに表彰されたりしていた。
 この頃、女子高生の間で髪の色を明るくするのが流行しはじめ、パルゴレッタというカラートリートメントがドラッグストアに並んでいた。私は雑誌で見た、徐々にブリーチできるヘアスプレーを使用していた。いってきます、と家を出てからBOURJOISやPJラピスの口紅を塗る。スーパールーズまではいかないくしゅくしゅソックスが出始めた。
 センター試験は、琉球大学も視野に五科目を申し込んでいたけれど、お弁当を食べたら眠くなり、「私、帰るわ」文系科目だけ受けて午後の理系科目は捨てて帰宅した。バスを乗り換えるのに市街地に寄ったので、年明けのセール価格になったKENZOの緑色のコートを買った。
 昭和女子大学は地方試験で地元の会場で受験し、大妻女子大学はセンター試験の点数で受験でき、上京せずして二つの大学を受け、両方合格した。渋谷まで電車で4駅のところに寮のある昭和女子大学に決めた。

☆2月 加納典明逮捕
☆3月 地下鉄サリン事件

 春休みの朝、テレビの中の様子がなんだかおかしい。毒ガス?テロ?地下鉄?東京でなんかあった?
 3月20日、その夕方からは安東中学校の同窓会。みんなだいたい進路が決まり、私は上京するというとみんな「東京危ないよ!」「変な宗教があるよ!」と言ってくる。そういう土地だから行きたいのだ。大事件の起こる場所。なんかすごいことの現場。私はわくわくしていた。二次会のクラス会では進学校の男子が「今夜はブギー・バック」「Won’t be long」などを歌っていた。女子は地元に残る子が多かった。女子アナになりたいから浪人して上京したいという女子に安達哲『お天気お姉さん』を全巻あげた。
 入学式のための黒のパンプスを買いに新静岡センターへ行った。一階の靴屋さんで試し履きをして「ひとつサイズ大きいのありますか」ときいたら「問屋さんが尼崎だもんで、この前の地震で品物入ってこなくなっちゃってねえ」と言われ、震災は関係ない、とは言ってはいられないのだなと解った。
 4月、上京。昭和女子大学文学部日本文化史学科に入学。世田谷区弦巻・桜新町駅が最寄の学生寮・緑声舎に入居。通学に一時間半以上かかる学生は強制的にここに入ることになっている。四人部屋に三人で暮らす。テレビはテレビ室に一台あるのみ。電話は公衆電話コーナーが二箇所、かかってくる電話は寮監が受け、電話があった旨をメモに書いて連絡してくる。東京の友達コイちゃんとは、上京後も引き続き文通でのコミュニケーションとなった。
 同室は、山口県の生活美学科の子、長野県の生活科学科の子。すぐにうちとけて、仲良く暮らすことができた。長野の子は室内用の9インチテレビを持っており、毎日オウムのニュースを視た。上祐史浩氏の元恋人である女性信者がうちの大学出身!学長賞を受けた人らしいよ、なんかわかるそれ!この寮自体サティアンみたい!と連日大騒ぎ。静岡出身の私は煎茶や紅茶のセットを持ってきているのでよく人の集まるにぎやかな部屋となり、ホームシックにかかった子があいているベッドへ寝に来たりした。
 4月15日、オウムがなにかやるらしい、という噂が流れた。新宿が標的、など出所の不確かな情報。同じ学科の、埼玉から通学している子が新宿乗換えだというのでついてゆき、生まれてはじめて新宿に行った。昼食後だったか。大勢の警察官が立っていて、伊勢丹、三越、丸井など東口のデパートがみんなシャッターをおろしていた。京王、小田急百貨店も休みらしい。毒ガステロこそおきなかったが、丸一日百貨店全閉店させるというのは社会にけっこう大きなダメージをあたえたのではと思った。本当は大事件の大騒ぎが見たかったのだけど。
 朝起きるのが苦手な私をいつも「ユウちゃーん、おきなよー。今日一限からでしょー」と起こすのにルームメイトらはてこずっていたのだが、ある朝、「ユウちゃん、村井さん死んだよ」「えっ」朝のニュースでオウム真理教の村井秀夫が刺殺されたという報道があった。「あんなに寝覚めの早いユウちゃん初めてだったねー」と笑われた。
 オウム真理教の教義は、人類の救済なんていってないで正直に人類の滅亡っていえよ、そしたら私は信じたかもしれないのに、なんて思ったりしたが、たぶん「宗教」というパッケージングだけで私は手を出さないのだろう。宗教は、一言でいえば、ダサい。不幸な、弱い人間がすがるイケてない存在。実際、渋谷の街などで、お洒落しないで冴えない格好で歩いているときに宗教の人が声をかけてくる。心外である。私はあんなやつらとは違う。そう思った。とはいえオウムのキャラクター群像劇はおもしろく、トレンディドラマもジェットコースタードラマも目じゃない。まさに「できそこないのAKIRAじゃないか」。
 コイちゃんの住む高円寺にオウムショップができたと聞いて一緒に遊びに行った。オウムの出している雑誌、特集は「マインドコントロールの恐怖」みたいなのを一冊買い、白いクルタを着た長い黒髪の女性店員に「上祐さんと青山さんは仲悪いんですか?」などと質問すると「あの方たちのステージになるとそのような私怨にはとらわれないものですよー」とにこやかに答えてくれた。「修行するぞ」と書かれた赤いうちわもくれた。テレビで見るかぎりでは、オウム信者は、狂った愚かで凶暴な存在、みたいに見えるけど、直接会ってみると普通の人、いや普通よりも穏やかでおとなしそうで、特別に凶悪な頭の悪い人間には見えなかった。だがなにしろ出家してしまうくらいだ、こんなに穏健な、浮世離れした女性のなかにも、この世界の破滅を望む気持ちがあるのだろうか。私などよりも強く。

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