見出し画像

面白くて退屈な


阿房列車 』
内田 百間
旺文社文庫

内田百間のいいところは、ものすごく鋭敏で不気味な小説を書く裏で、ものすごく面白いエッセイを書き、さらに、退屈なエッセイも書くところである。
人気の高い『阿房列車』のシリーズも、ものすごく面白い話と死ぬほど退屈な話の混在が面白いのだと思う。

「面白い率」の高い人を「面白い作家」と決めるのは早計である。
面白い率が高い人、というのは、本当にその人が面白い場合と、その人が「面白く書くことが巧い」場合があって、そのまま鵜呑みにするわけにはいかないのである。
内田百間がものすごく高度な小説を書き、痛快なエッセイを書く一方で、全然退屈な文章も書いてしまう、というところを、僕はかえって信頼する。
わかりにくいだろうか?

音楽でいうならば、僕は矢野顕子とか好きなのだが、矢野顕子の凄いところは、全部が全部名盤なのではなくて、たまに退屈なアルバムを出しちゃったりするところなのでは、と思っている。
「面白いと思われること」「いい曲だと思われること」だけに傾注しているのではないわけである。
いろんなことを探求していけば、たまには「面白くない」楽曲も作ってしまうだろう。それは当たり前のことだ。
彼女が探求しているのは音楽であって、音楽のすべてが「面白い」はずはないんだから。

僕らは天才・矢野顕子の、たまに意気込みが先走るような、「あまり面白くはない矢野顕子」を楽しむことも許されているのである。
わかりにくいだろうか?

(シミルボン 2017.3)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?