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其風画白

人生解毒波止場
根本 敬
洋泉社


地下鉄御堂筋線・動物園前駅で降り、山王交差点脇の出口からJR関西本線をくぐって浪速警察署・新世界交番へ抜けるガード下。そこにいつも彼はいた。

彼は、というのは正確ではない。彼らは、である。
彼の周りにはいつも一人ないし二人の取り巻き? がいる。ほとんど必ずいるのは痩せた、目の細い六十前後? のおばさんと呼ぶべきか婆さんというべきか悩むあたりの女性で、彼の隣にしゃがみ込んではハイライトをふかしている。もう一人、釣り師のような帽子を被っていたオッサン。この人もよく彼の隣に座ってワンカップを飲んでいた。

「彼」の名は其風画白そうふうがはく、と読む。

彼に描いてもらった絵の裏に署名をせがむと、彼は金色の色鉛筆で達者に其風画白と署名をし、何と読むのか聞くと「そうふうがはく」と自分で答えた。その時はじめて彼の声を聞いた。それまでは画代はいくらか、いつまでに描いてくれるか、という交渉を、全部となりに座っているオバサンが仕切っていたのだ。
何でも描くよ。このスケッチブックの大きさで三千円。一週間かかるけどええかな? 兄ちゃん前にも絵ぇ買うてくれたから、二千五百円でええわ。
其風画白はその値段交渉の際にも薄目を開けただけの、寝ているのか起きているのかわからんような顔をしてニタニタしているだけだった。

新世界交番の前のガード下で、其風画白はいつも数十本のポスターカラーのビンと、自分が描いた数十枚の絵を広げた真ん中に座り、「似顔絵カラー、黒とも五百円」との墨書を掲げて絵を描いている。
誰かをモデルに似顔絵を描いているところはあまり見ない。正直、彼は誰を描いても同じような顔になるだろう。しかしそんなことはどうでもいい。似顔以外にも、様々なものが描かれた、彼の周りに所狭しと並べられた画用紙群。その世界は圧巻である。

嫌でも飛び込んでくる青、青、青、金、金、金

通天閣あり、天王寺動物園の動物あり、人物あり。しかしそのどの絵も、大半が青と金、この二色に占められている。彼の周囲に並んだポスターカラーのビンの大群も、三分の一が青、三分の一が金、その他の色が三分の一、といった具合。

筆致は、まさに奔放。
奔放も極まると型にはまる、とでもいうか(笑)、似顔を描いても動物園のライオンを描いても同じような顔になるのだが、しかしそれは本当に奔放・豪快にしてゴージャスなのである。凄いのである。

最初に買ったのはライオンだった。

こうやって何点か買ううち(並べられている、すでに描き上がった絵は五百円で買えた)、この人の筆致で、この色遣いで、インドのシヴァ神の絵を描いてもらったらどんなに凄いだろう、と考えた。

隣にいるオバサン相手に交渉をする。
描いて欲しい画題があるんだけど、注文制作は可能なのか、と。
注文制作は高いよ。時間ももらうよ、とオバサン。
高いっていくら? 時間ってどれくらい?
それに対する答えが、さっき書いた「三千円、まけて二千五百円、一週間」である。二千五百円で彼のシヴァ神が見れるなら安いもんではないか!

彼がシヴァ神なんて知ってるかどうかわからなかったので、翌日見本を届けた。インド神話の本からカラーコピーした画像。こんな神様だけど描けますか?
其風画白は答える。
「ああ」

約束の一週間をすぎ、喜び勇んで新世界に向かった。
想像以上の出来映えで、シヴァ神はそこにいた。神々しいまでの出来だった。
礼を言い約束の金額を払うとオバサンは「おおきに」と受け取り、すぐにどこかへ走って行った。
その日はもう一人の取り巻きであるオジサンもいたので、無口な其風画白に代わって講釈を垂れてくれる。
曰く、この人はこんなガード下で安い絵を描いてるような人ではない。こんなイカレタみたいなおっさんやけど、ほんまに才能あると思うんや。世が世なら天才画伯と呼ばれて立派な美術館で展覧会できるくらいの才能なんや。せやけど世の中がアホばっかりやから、この凄さに誰も気ぃつかへんのや。兄ちゃんは偉いな。若いのに絵がわかるんやな。

立派な美術館で展覧会をするべきかどうかはさておき、タダモノではないことくらい若い僕でもわかる。
とりあえず署名をもらうことにした。
其風画白。
画白って・・・・正しくは画伯、か。どっちでもいいが自分で言うか(笑)いや、凄い画伯であることに間違いはないんだが。
其風を「そうふう」と読めるかどうかも怪しいが、ただ一つ言えることは、その筆跡が輝かしく立派だったことである。決して金色の色鉛筆だったからではない。

そのうちオバサンは息を切らせて帰ってきた。手にはワンカップ大関が数本とハイライトの箱がひとつかみ。僕が払った二千五百円で買ったようだ。
それを、当然のようにオバサンとオジサンが適当に分けて取り、其風画白にもワンカップとハイライト数個が手渡される。
オバサンの役回りは注文交渉として、オジサンはさっきの講釈の駄賃なのか?
其風画白、いいの?
彼は笑っているだけだった。

その後、ジャンジャン横丁の整備だとか言って、画白はガード下から強制的に退去させられてしまい、数ヶ月間行方が知れなかったが、恵美須町の方で古雑誌を売っている姿を発見した。
「画白、なんで雑誌なんか売ってるんですか。絵はやめたんですか」
「あそこ、あかん。描かれへん」
オバサン、オジサンの姿はなかった。
それから画白の行方は、本当にわからなくなってしまった。1993年夏頃の話である。

・・・・・・

その一年後、驚くべき事実が判明する。
高校時代の同級生Mさんが東京の出版社で漫画雑誌の編集者をしていたのだが、久しぶりに会ったときに、彼女が当時かかわっていたNTという漫画家の話が出た。
そのNTって漫画家、変な人でね、とMさんが言う。
大阪のホームレスで、なんか変な絵を描くオッチャンを東京に連れてきて、銀座の画廊で展覧会やらしたんよ。
で、ちゃんとホテルも用意して、さぁ展覧会が始まる、っていう段になって、そのホームレス、ホテルの居心地が悪かったんか、逃げ出してしもてね。そのまま行方不明になったんよ。
NTさん、警察の身元不明遺体のファイルとかまで探しに行ったらしいけど、結局見つからずじまい・・・・

何だとぉ!?

そのホームレスの名前ってまさか。
「ソフーガハク。自分でガハクって言ってるねんて」

・・・・・・

漫画家NT! 何さらすねん! 通天閣のクリムト? ああ、その通りだよ。だからどうした。銀座8丁目ギャラリーで展覧会? で、逃げられて行方不明?

お前、大阪の宝を、何してくれるねん!

彼が自力で大阪まで帰って来れるとは思えない。見知らぬ東京でホームレスをしているのだろうか。新世界とは勝手が違うだろうに。画材はちゃんと持って出たんだろうか。
ああ、其風画白、生きてるかなぁ。

あれからもう20年以上たった。画白が帰ってきたという話も聞かないし、死んだという話も聞かない。
あの当時其風画白立ち退きの理由であったジャンジャン横丁の改修整備も、結局中途半端なまま放置され、あのガード下は昔とかわらぬままだが、そこに彼はいない。
当時でも、五十歳半ばは越えていただろう。今なら八十歳くらいになっているはず。

今も其風画白の絵は持っている。
その絵を見るたびに腹が立つ。
漫画家NT! 名前隠す意味もないか、 根本敬! 阿呆!

・・・・・

其風画白を新世界より連れ去った男、として怨んできた根本敬ですが、彼の本も読まずに一方的に怨嗟の的にするのも公平ではないと思い、其風画白のことが語られている『人生解毒波止場』(洋泉社)を購入。

知らなかった事実が満載。
まず、あれ以来、どうやら其風画白は自力で新世界に舞い戻ったらしい、ということ。其風画白の妻(やっぱりあのオバサンは「妻」だったのか・・・)の証言として紹介されていた。ただし根本氏はあれ以来直接画白には会っていない。
その後警察情報で、画白が路上で倒れ、病院に収容されたが、どこの病院かは不明、というところで記述は終わっている。
読んで最初の感想は「ホンマかいな」だったが、根本氏は良くも悪くも体裁を繕うようなキャラではない、と納得することにした(一応)。

時期的に考えると、僕が恵美須町で雑誌を売る画白を見かけたのが夏の終わり頃だったので、そのすぐ後に根本氏は画白を拉致したようだ。

ところで、根本氏は其風画白を「そふうがはく」と読んでいる。僕には「そうふうがはく」と名乗ったのだが。「其」を「そう」と読むかなぁ、と疑問に思ったことを覚えているので間違いない。
どっちなんだろう。

・・・・・・

悔しいが、ひとつ告白しなければなるまい。

この本、・・・かな〜り面白い。

ああ、やっぱりなぁ。
そりゃそうだよなぁ。
其風画白に展覧会を開かせよう、って考える人だもんなぁ。
そりゃ面白いよなぁ。

悔しいから、一つだけ負け惜しみを言わせてもらう。

うちにある画白の絵の方が、この本に載ってる画白の絵より数等凄い!

どーだ、参ったかっ!!

(シミルボン 2016.9)

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