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存在が聴こえる。 『Kid A』

『Kid A』Radiohead

震えた。何がと聞かれて言葉に詰まる。からだが、肌が、心が。もしかしたら空間そのものが震えていたのかもしれないと思うほど、音が全身を揺さぶった。

『Kid A』を聴いたのはずいぶん久しぶりだった。そもそもRediohead自体、積極的に聴くバンドではない。はじめて聴いたときも、友達に勧められてだった。
当時からかっこいい曲だとは思っていた。思っただけで、そのあとは記憶のどこかに置き忘れていた。
それが今になって、また目の前に現れた。正確にいうと、わざわざ記憶の中を探して、ダンボールの底から引っぱり出してきた。たぶん坂本龍一の影響だと思う。先日読んだ自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』をきっかけに、音楽への関心が蘇ったのだ。
YMO(イエローマジックオーケストラ)、METAFIVE(メタファイブ)、電気グルーヴと、シンセサイズな気分になっていたところで、ふいに『Kid A』の存在を思い出した。

早速YouTubeで検索する。”Rediohead”、スペース、”Kid A”。
アイコンがくるくる回って、止まる。見覚えのあるジャケットが画面に表示される。不気味に尖った雪山と、この世の終わりみたいな空。

ここで、はじめて緊張した。
予感がする。この曲は、深いところに踏み込んでくる。
記憶の、心のやわらかくて敏感な部分に触れてくる。
思い出の写真に感情をかき混ぜられるような。
無傷では戻れない。そんな予感がした。

再生ボタンを押す。広告もなく曲がはじまる。
何もきこえない。音が出ていないのか?
いや、そんなことはない。だんだんと何か聞こえてくる。遠くで踏切の音。周波数を合わせるように、電子音が近づいてくる。はじまる。覚悟した。

5秒後、思い切り拳を振り下ろして机を叩いていた。
ほんとに叩いていた。
何で? 自分でも理解できない。たぶん爆発したんじゃないだろうか。からだの中で小さな爆発でも起きたのだろう。そのくらい、たくさんの感情が一気に生まれた。
圧倒的な存在感。
音に命が宿っていた。

通信のようだと思う。音の数の少なさが、返信のない孤独な信号のようで、寂しい。もしも宇宙にひとり取り残されたら、こんな気持ちになるのかもしれない。
けれどそれが作品として世に出ることで、誰にも届かない音から、一方通行のボトルメッセージに変わる。肩を叩いて、「深刻な顔をするな」「孤独を楽しもう」、そう言われている気がする(『チェンソーマン』の”Easy revenge!(気楽に復讐を!)”みたいな。)。
まるで何年も会っていない友人の声を聴いたような曲だった。

音に命が宿ると言ったが、命とはなんだろう。
別に哲学的な話をしたいわけではない。ここで自分が「命」としか言いようがなかったものの正体はなんだろう、という話だ。

命、鼓動。心臓の音が聴こえるくらいリアルな存在感。
そこに「在る」、そこに「居る」という、強烈な主張。存在の証明。
それが全身を揺さぶって、心を震えさせたのだと思う。

存在の音。
それが聴こえる音がある。言葉がある。
その表現の領域に自分も踏み込んでみたいと思うのは、身の程知らずだろうか。


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