エッセイ「海辺で今日も息をしている」を読んだ感想

突然えこさんのエッセイを読もうと思ったのは、えこさんがエッセイの新刊を書くぞ~という話をしていたのを見たのがきっかけだ。
えこさんがツイッターでエッセイの中身をどうするかに関するアンケートを行っているのを見て、私はそのなかのひとつである「益体もない徒然日記」に票を入れた。何故こんな話をするのかと言うと、私は「益体もない徒然日記」がものすごく好きなのである。日常の何を切り取るのか、何を見ているのか、何を感じて何を書き残そうとするのか。そういうのを見るのがとてもとても好きだ。テーマがあるエッセイも勿論好きだけれど、真っ白な画用紙を渡されて何でも書いていいよと言われたときに何を描くのかを見られるのって「益体もない徒然日記」だと思いませんか。

そして、私が今日読んだえこさんのエッセイである「海辺で今日も息をしている」はまさに真っ白な画用紙に好きに日常を描いたエッセイ本である。

はじめに、でえこさんは「最近よくお前のエッセイ面白いよと言ってもらえる」と書いていた。わ、分かる……!
そう、えこさんのエッセイは面白いのである!(ここで集中線)
でもエッセイの面白さって言葉にするのめちゃめちゃ難しい。ともすれば、フン、おもしれー女……みたいなどこから目線かも分からぬ言葉になりがちなので。
でも私は今から頑張ってえこさんのエッセイの面白さを言語化してみようと思います。
感想の言語化を頑張りたいが今年の標語であり、私は今なんかやれる気がする……!と思っているのでね。

私が最初にえこさんの言葉おもれ~!となったのは通称〝細腕折ペーパー〟を読んだときだ。それまでも物語の方は勿論のこと、えこさんのツイッターや日記なんかで日常で使う言葉たちには触れてきたのだが、なんだろう、誰かに読ませるために価値観を言語化するような……というと仰々しいけれど、つまりエッセイに近しい言葉に触れたのはこれが初めてだった。
えこさんは言います。細腕折はヒーローのエゴだと。そう言いながらもめちゃめちゃ細腕折に惹かれているえこさん。私はそれを読みながらニヤニヤニヤニヤニヤニヤしていたわけです。私が細腕折に感じている「すんごい好きだけどストレートに好きとは言えない」という感情が明確に、そしてめちゃくちゃ面白く言葉にされていたから。ンッフッフッフみたいな笑みが漏れました。DLすれば無料で読めちゃうので読んでください。


さて、私が読んだエッセイ「海辺で今日も息をしている」についてようやく話そうと思う。前置き長すぎたかもしれないな。
ネタバレなしで言うなら、はーーーー面白かったーーーーーー!!!なのだけれど、今年の標語を思いだしたのでネタバレはあまりせずに感想を言語化していこう。

このエッセイの序盤にはえこさんの好きなものがたくさん詰まっている。横浜のことだったり、お洒落のことだったり、コーヒーのことだったり。
好きなものがたくさん詰まっているけれど、キラキラという感じはしない。もっと静かに見つめているような感じがする。
そして、中盤から後半になるにつれてえこさんのもっと深い部分に触れているような話が増えてくる。私はだんだんえこさんの友達になったような気分でうんうんと頷いてエッセイに書かれている言葉を受け取る。
勝手に友達面をするのは私の悪いとこだ。物語の感想を書くときにも勝手に登場人物の友達になった顔をして話すときがある。怖いよ、やめな。
でも勝手にここをカフェにして、このエッセイ本を向かい側の席に座らせて、私はコーヒーをストローで掻き混ぜながらうんうんと話を聞く。そういう空想をする。

だいたいの話が1ページに収まっていて、だから淡々と語っているように見えるんだけど言葉の端々に熱が感じられてニッコリする。し、たまに出てくる正直な言葉たちに笑ってしまったり頷いたりハッとさせられたりする。
少しシリアスな話でも、えこさんは上手く距離を取って話すので、私も変に引きずられずにそっかそっかと読んでいられる。不思議だ。
物語についての話も出てきて、私はとても嬉しかった。直接的に物語の話と通じていなくても、こういう考え方や好みの傾向からあの物語が産まれたのかもしれないなと深読み(本当に、オタクの悪いとこなのですが……)してニヤニヤしていた。
合間にある短歌も素敵だ。これ、ひとつひとつにどう感じたかを書けるくらいには好き好き短歌がいっぱいあったのだけれど作品として残されている以上勝手に引用するのもなぁと思いやめておく。全部好きだった。

一番好きな章の話をしてもいい?「ビルはまばたきをする」です。めーーーーちゃいい。けど全てがネタバレになるので読んでください。この感受性、この表現の仕方。好きだなあ。

「そして今日も息をしている」の章で、えこさんは昔のことを語っていて、それはなかなかに大変な過去だった。実は昔書かれていた過去についてのエッセイも途中までだけれど読んだことがある。
「そして今日も息をしている」の章で自分にも覚えがある感情も書かれていて、でもこれは私の考え方ではあるけれど簡単に「分かる」とは言えないなと思った。私なら分かるよと簡単に言われてもしっくり来ないので。共感とも違うけれど私は似たような状況になったことがあり、そういう感情を持ったことがあり、だからこそ私はこの章を読んでえこさんは「そして今日も息をしている」のだなと理解したというか分かったというか知れたというか……とあえて書き記しておこうと思う。

「おわりに」で私が銅像であったことが判明したので、突如銅像の気持ちになっている。銅像という言葉で私はよくある、そしてよく分からない、誰だこの人みたいな紳士の銅像を思い浮かべている。今の私はそれである。ベンチに座っている銅像にしよう。その方がこのエッセイ本とゆっくり話せそうだから。
えこさんは銅像に話しかけている気分でエッセイを書いているらしい。個人に宛てて書いたわけでも、誰かに押しつけたいわけでもない。でも、銅像が生きていて反応が返ってくると嬉しい。
その気持ち、分かる。分かるぞ……!
私も感想を書くとき、押しつけたいわけじゃないけど誰かに共感してもらえてたら嬉しいな~と思うから。私の中ではそれらは宇宙との交信に似ている。勝手に電波を発生させてばらまき、返事がきたらビビりながらも喜ぶのだ。
だから、銅像たる私は勝手に語り出して、勝手にここにエッセイを読んだ感想とも言えないものを書き残しておこうと思う。
えこさんの言葉が好きです。銅像だけど指ハートもしちゃう。ちゅき。

今さらだけど結局、えこさんのエッセイが好きな理由というものをきちんと書けなかった気がしている。表現の仕方や、視点や、語り方が、好きなのだと思うけれどそれって文章の全部にならない?と首を傾げてしまう。言語化むつかしい。

今日「海辺で今日も息をしている」を読んで、あ~~~~~~めちゃ良かった!と思う。エッセイに触れるのが好きな理由が詰まっていた気がする。これだよこれこれ!と思いながら読んで、そして勝手に対話した気持ちになっている。えこさんの感性に触れられたような気がして、楽しかった。
冒頭でも語ったけれど、えこさんはまたエッセイを書く機会があるらしいので楽しみ。
最後に海辺で今日も息をしているのURLを載せて終わりにしておこう。



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