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#よんなな朝の歌 ’23.3②

2023.3.6 叫ぶ詩人の会「Love & peace」

日は変わって…。日本の中でも危ない橋を渡る子供はいる。子供でなくても危ない橋を渡る。成人が18歳になったとしても、その危ない橋を渡ることに責任を持てるのだろうか。なるべくならなら危ない橋を渡らずに安らかでいてほしい。その一節を思い出して。
午前1:18 · 2023年3月7日

 「危ない橋を渡る子供」というよりは、「危ない橋を渡らせるいい歳こいた大人」が多いなと思う。聞こえはいいんだよ、18歳は成人だから、その権利を謳歌しなさい、と。なかなかの御寝言だなと思う。
 ちょうどこの投稿をした辺りで、そんな話を見聞きしていた。おそらくは過ぎたことであること、分かる人間には何を言っているかが分かることから、そのことに具体性を持って言及することはしない。
 女性と会う時に考慮していることを一つだけ言及するとしたら、自分は「女性を無事に家に帰す」ことを、何よりの信条としている。正直、この音楽紹介の母体となっているツイートは所謂「裏アカ」というアカウントのものである。お会いする女性の中には、何かと事情のある方も少なくない。彼女らはそれぞれの「表の世界」で露見しては不味い場合もある。
 それらを全て責任を持てと言うのも違うことは理解しているが、仮にも関わり合ったなら最後の最後までリスクなく日常に戻ってもらいたいのだ。危ない橋などなかったかのように。

2023.3.7 Sing like talking「止まらぬ想い」

おはようございます。躓いては痛みを背負う、それが過ちの理由じゃない。この曲のサビに何度助けられたか。心が擦り切れても海の青さや波しぶきを見ていれば、笑顔が消えそうな理由は小さな事だって思える。歌の世界にある、僕が僕に戻れる場所。
午前8:09 · 2023年3月7日

 20歳になるかどうかの頃、Sing Like Talkingをずっと聴いていた。佐藤竹善と藤田千章の紡ぐ歌詞をなぞっては、内省的に自分の心と対峙していた時間が好きだった。2000年代の音楽シーンのトレンドからは外れがちではあったけれども、それよりも自分の心と対峙する時間を大切にするために音楽を心の拠り所としていた。
 この「止まらぬ想い」は、6枚目のアルバムである「ENCOUNTER」に「収録された12曲目。アルバムの最終盤で「聴かせる」バラード、アルバムの中でも夕凪からサンセットの時間を思わせるような時間の流れを表現しているかのように、緩やかかつ大きめのスケールの音運びが印象的。
 夕方の海岸で日の入り。今までの痛みを洗い流すような波の満ち引きを見つめながら、止まらぬ想いを伝える。その結末がどのようなものになろうとも、悠久の波の満ち引きを前にしたらすべてを受け入れるような気持になることだろう。答えは、その後の二人にとって良き物であるようにと願うばかりで。

2023.3.8 やしきたかじん「やっぱ好きやねん」

おはようございます。一度振られた恋だから壊れて元々…。恋なんて儚いものだと思うよ、そして裏垢で出会う男女だって尚更。それは素敵な恋でいたいけど。一喜一憂じゃなくて、大きな心で誰かと出会えたらいいよねって、今日もそんなこと思って。
午前8:17 · 2023年3月8日

 記事のヘッドに張り付けたYouTubeのリンク…出所は「11PM」という、結構長く続いた深夜番組だったと。よんななが小学生の後半の頃には、その後継の「EXテレビ」という番組だったので、内容はあまり知らなくて。文献を辿ると、東京(日本テレビ)と大阪(読売テレビ)の2局体制で制作されていたようで、この映像に出てくる白髪のヴェートーベンのようなおっちゃんが、放送作家の藤本義一だと。
 この番組、月・水・金は東京、火・木が大阪、という千鳥で制作していた。これは元を辿れば日本テレビの労働条件の改善の一環で、制作を大阪に委託したというところから始まったとのこと。50年以上昔に、そういう割り振りをして働き方を考えたということが画期的ではあった。だからこそ、関西のタレントだったやしきたかじんの歌をエンディングに生歌で流すことも普通にやることができたのであろう。
 しかしこのエンディングは、濃いものを感じる。夜の最後に女の情念を聞かせて眠れと。まあ、最後にシャバダバしていたけどさぁ。ねえ。

2023.3.9 The Rolling Stones「satisfaction」

おはようございます。巷では今日、3月9日はありがとうの日らしいですね。私にとってはミック・ジャガーの日だって思ってたんですけどね(笑)。思い返すは初音ミクでも夏目三久でもよかったんですけど。ということで今日は Rolling Stones で。
午前7:55 · 2023年3月9日

 3月9日が「サンキューの日」とか、みんなが言うもんだから…なんか嫌になってしまって。3と9に関係していたら何でも良かったんです、何なら初音ミクでも夏目三久でも。あ、これも言いたかっただけです。阿藤快と加藤あいくらいは違いませんけど。
 結構危険ではあったんですけど、ミック・ジャガーを「39(み、く)」で贅沢に使うとは、ただの自己満足でしかないですね。Self satisfaction ですな。
 改めて聴いてみると、50年前のテイストがひしひしと感じ、初期はこういう懐かしめのメロディーラインを作っていたんだな…というと、たぶんお叱りを受けるやつでしょうか。これがローリングストーンズの出世作であり、当時のピカイチのメロディーラインだった訳で。
 少し古めのアメ車に乗りながら、この曲をゴキゲンに流して街を走れば、普段の道もR66に見えるのだろうか。そういう妄想も広がるうちに、心が満たされていく。夢を膨らませるのも、満足の近道ですから。

2023.3.10 中西保志「最後の雨」


おはようございます、軽い雨上がりの朝です。雨というものに対していろいろな解釈があるけれども、私は雨はいつか上がるものと信じてます。だからいくらでも雨は降って欲しいです。この雨が最後になってほしいなんて、そう思ったら最高の口説き文句だなって。。
午前7:29 · 2023年3月10日

 この世界で、雨が上がらなかったことはただ一度もない。心に雨が降っているというならば、では、いつか晴れるだろう?と問うてしまう。そう考えると、鉛色の空が何か月も続いた方が薄ら寒さを感じてしまう。だから、雨が降るくらいは何も痛手ではない。
 なのに、どうして、雨を見ては「最後の雨」であることを望んでしまうのだろう?雨という物が潜在的にネガティブに考えてしまうからなのか、それとも雨は比喩的なものであって、あくまでも心情を雨に準えているという認識で良い、ということだろうか。
 止まない雨はない、この言葉を心の内側から眺めたら、「雨が降るように悲しみがあるならば、それはいつか癒える。その先に幸せが待っている」と言えばいいのだろう。そこで「最後の雨」をここで重ねてみたら、君を壊してまでも自分の傍に居てほしい心情が垣間見える。
 最後の雨に打たれながら、相手を求める。濡れそぼる雨が乾いた頃には、幸せであってほしい。歌詞の中に物語を紡ぐなら、心からそう思うの。言葉にできないのが愛。

2023.3.11 いいくぼさおり「愛を灯すんだ」

おはようございます。あの日から12年、今日はそういう日です。波が浚ったのは大切な人、その手を離した後悔。生き死にを分けた瞬間の後悔は、その人しか知らないけれども…あの時の悲しみに改めて寄り添いましょう。心安らかに祈りをささげましょう。
午前9:28 · 2023年3月11日

 2011年3月11日の金曜日、14時46分。愛知県の片田舎にある6階建てのビルの4階、延々と続く上司の叱責に辟易していた。震源地から遠く離れた地震だとはすぐに察しがついたが、地震だから避難しなければいけないのではないかと思っていた。しかしながら、上司はお構いなしに叱責の言葉を容赦なく浴びせる。傍目から見てもひどい話だったが、誰もその上司を止めることはしなかった。そう、それだけろくでもない会社…というか、どうしようもないクズのような職場。これが震源に近かったら、どうなっていたのだろう?
 その後、刻一刻と深刻な状況を知るにつけ、背筋に寒いものを感じた。当然のことで、その日に計画されていた飲み会は立ち消え、東京近辺に所在する消息筋を確認に奔走した。そういった中、明らかになった大惨事。
 波が浚ったのは大切な人、その手を離してしまった…と。死生観をひっくり返すような世界が、ほんの数時間で。未だに信じられない地獄の日々、だから愛の灯かりを灯すんだと。今年も、精いっぱいの祈りを。

2023.3.12 東京スカパラダイスオーケストラ「めくれたオレンジ」

…だから夜だって。金曜日の夜は思わず夜を明かしてしまったので、土日はくたくたの連休でした。まあ、いい休養でしたよ。そうは言いながら…夜の街を満喫するぞという勢いを、なんか表現出来るのは、僕の中ではこんな曲だよと。
午後7:54 · 2023年3月12日

 こうして、元々はTwitterで紹介していた歌を改めて紹介しようとすると、少し前の思い出を都度振り返ることができるという利点はある。この週は思いがけずにカロリー過多な遊びに付き合ってしまった、そういう日だった。
 居酒屋、出国(笑)、焼肉、ラーメン。気が付けばカプセルホテルに泊まり、こじんまりとしたサウナで中途半端な汗をかいて、「サウナ泊が正しかったかな…」と幾何かの後悔をした夜を、日曜日になっても寝不足の身体でうだうだしていたという感じ。それでも懲りずに行くのだけれども。
 楽曲自体は夜の街に繰り出す感じが華やかで、音階としてはウキウキ感の塊。夜の街をクローリングするかのように鮮やかに立ち回る世界。そういう洒脱さに憧れては、そういうことが好きな上司によくくっついて行った。そういう大人の遊びを早い段階で「こんなもんか」と言えるように遊びつくした。
 キラキラした世界が虚像と分かっていても、そこが大人の非日常空間。愉しさを学べばまた、活力がにじみ出る。また、友と繰り出そう。

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