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希死念慮という悪魔の花

この記事を書いているからには進行形で希死念慮に苛まれているのだろう。

少々病んでいるためポエム口調になるが気にならないという方は読んでいただけると幸いです。

小学生からあった“芽生え”という名の気分の落ち込み。

それがいつしか高校2年では“蕾”という名の微かな死にたい欲。微かなために死ぬ方法は考えていなかった。

蕾が開くのはあっという間で高校3年、“希死念慮”という悪魔の花が開花した。

例としての自分語りはまた今度にしておこう。

花は太陽に向かって伸びていくように、悪魔の花は死に向かって伸びていく。

花は肥料や水を与えられると育つ。同じくしてこの悪魔の花も自らの苦しみ、悲しみを糧として成長し、またそれが自分を苦しめるのだ。

普通の花でも水や肥料を与えすぎると枯れてしまう。また悪魔の花もこれに同じく苦しみ悲しみが多いと死んでしまう。この花は条件が揃えば誰の心の中にも存在しうるのだ。

私は蕾の状態で常にいるがいつ何時開花するかわからない恐怖がある。きっかけは分からない。誰かが悲しみを沢山与えて来るかも知れないし、フラッシュバックをして、自分の毒で自分を殺してしまうこともあり得る。

開花すれば入口も出口もない暗い筒の中に入れられたかのように先が見えない、一分一秒先を見たくない、怖い。死にたい死にたい死にたい死ななければならないという完全な視野搾取。死ねるならなんでもいい、ただ息しているのが苦しい。身動きが取れない。先が真っ暗だ。気づけば息遣いが荒くなり涙が流れる。

だが何か得体の知れないものがストッパーになる。「死んではいけない」と頭のどこかでほんの少し思っている。死にたいと思っているし、死に方だって考えているのにそんな自分が嫌いだ。もしかしたら誰か友達が泣いてしまうのではないか、後追いをしてしまうのではないか、いやその前に痛いのでは?未遂をしてしまえばどうなる?入院すれば授業についていけなくなる。

後先見えないくせにそんな考えが「お前は自殺できない」と嫌味かのように邪魔をして来る。自分の中でも何か死なないように口実を作っているのではないか?

なんなら就活するか大学院に行くのか?自主的にそういう説明を聞きに行ったりしている。死にたいのに今後を考えて生きようとしている自分の矛盾さに腹が立って来る。

だけど死にたい気持ちに変わりはない。それを行動に移すかはまた別の話だ。移すことができればどれほど楽か。分かってはいるんだ。誰かが悲しむことも。でももういいんだそんなこと。最期のわがままだ。これまでに様々なことで心が壊されて、それをなんとかゆるゆるのテープで止めてるツギハギの精神。これから先、生きて就職すれば人間関係も上司からの悪態にも耐えないといけなくなる。ツギハギだらけの精神を持つ奴がやっていけるか、いや、やっていけない。これ以上周りに迷惑をかけたくない。だからこそ余計に死にたくなる。

だが私はまだ死ねない。「無駄金だ。」と金切声で叫ばれたあの言葉を思い出しては苦しくなるが、その無駄金=塾の授業費245万8000円を返すまでは何としても生きないといけない。もし死ねばこれから先かかるはずであったお金でこの無駄金を帳消しにできるかもしれないという考えもよぎっている。

「死んだら悲しいな…」「私のエゴだけど死んでほしくないんだ」担任や友達に言われた本当にありがたい言葉たち。しかし死にたい時はそんなこと頭からすっかり綺麗に消えている。日常生活を送っていても友達と遊んでいてもここで死んだら悲しんでくれるのかなと試し行動をしたくなる。都合のいい頭のわがままだ。




本当は色んな人と関わり合って楽しんで(楽死んで)生きたいけど、死にたい。

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