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新著のまえがきとあとがき

版元の河出書房新社のウェブサイトに、『ボードゲームで社会が変わる』のまえがき(與那覇執筆)が掲載されました。

ボードゲームで…』の共著者である小野卓也さんは、原則毎日更新の著名ボードゲーム情報サイトTable Games in the World(TGiW)の管理人。私は、ボードゲームをやるようになったうつでの休職中から愛読するようになり、2018年に病気の体験記『知性は死なない』を出す際には献本して、記事として採り上げていただいたこともあります。

ダメな部分も含めて私をよく表す一語は「多情多恨」で、逆にこうありたいと思っている一語が「一期一会」なんですけど、今回の共著刊行は、まさに良い方を実践できたかなと思っています。

一方、(ほぼ)同時刊行となった単著『危機のいま古典をよむ』にはまえがきがないので、あとがきの一部を、版元の而立書房の許可を得て以下に転載します。

  私のようなものでも、たまに「博覧強記」と形容してくださる方がいるのだが、面映ゆいばかりで、まったく自分をそのように思ったことがない。 
 私も以前に従事した歴史学者という職種には、きわめて狭い本人の趣味から掘り出してきた、さして面白くもない古文書をいかに高く売るかしか考えない山師があまりに多いので、その中では識見ある人に見えたというくらいだろう。なので、さすがにそうした知の底辺よりはましでも、むしろ「浅学菲才」の方が釣りあった肩書だといつも思っている。

 だから本書が謳う「古典の尊重」も、百科全書を諳んじろとか、世界文学全集を読破せよといった意味ではまったくない。私自身、あらかじめ本書で採り上げた古典の数々を読了ずみで、それゆえにコロナウィルス禍やウクライナ戦争の深層を見抜けたといった「教養人」では別にない。むしろ多くは、眼前に問題が生じたあとに読み始めている。 
 大事なのは、いまという時代に「先んじよう」とすることではない。むしろ人間にとってほんとうに大切なことは、いつの時代もそう変わらなかったはずなので、かつて本気で思考した先人の書物にあたれば、必ずそこに本質が描かれているとする確信――過去に対する信頼(トラスト)と敬意(リスペクト)を持ち続けることが、私たちの社会に「古典」を作る。

 本書が提案したいのは、衒学趣味やマウンティングとは無縁の、そうした「ゆるい」意味での古典とともにある生活だ。ひとりでも多くの人が、その人にとっての古典を見出して座右に置き、日々に繰り出される新たな課題をいったん、それらの書物に照らして一呼吸おいてから考える習慣を持つなら、ニュースショーのトピックごとに呼び出されては消える「にわか有名人」に振り回されてきた令和の世相も、ずいぶんましになると思う。
 貧困のために高等小学校までしか通えず、昭和恐慌に遭い就労にも苦しんだ松本清張は後年、それでも文学書を携えて働きに出たことが、自尊心を支え、生きる張りあいになっていたと回想している(「実感的人生論」一九六二年)。書物には、そうした力があるのだ。だからこの本は、再び訪れるだろう困難な時代を生きるための、「希望の読書論」である。

『危機のいま古典をよむ』「あとがき」

具体的な松本清張の文章は、本全体のエピグラフに採っているので、書店でめくってみてください(出典は『松本清張全集』34巻)。知ることになるきっかけは、8月のゲンロンカフェでのイベント(冒頭無料動画はこちら)でした。記して感謝します。

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