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「絵を仕事にしなければならない」よりも「絵を共有する」という生き方について自分ミーティングする

今日は日記(自分ミーティング)の日です。
こんにちは、米田遼一郎です。
スイミングコーチをしたり、ミニマリストを目指したり、絵描きをしたりしています。28歳男性です。いつも僕のことを何かしらの媒体で応援してくれている方が読めばわかりやすいかもですがそうでなければ微妙かもしれません。
でも、なにか参考になればなあとは思って書きます。

さて、来週にペン画入門ワークショップを控えているのでその話からしてみたいと思います。
とりあえず、なにをするかはモニターさんの協力もあって固まってきました。思考方法と順序のことはYouTubeでもやっていますが今回は僕のことを知らない方も参加されるのでそれも含めて説明しなければなりません。たのしみです。
自分が理解している発想が他人の中に入ったときにどういう風に動作するのかを直に感じられると思うからです。僕にとってワークショップはアウトプットでありインプットでもあるんですね。だから一言楽しみです。不思議と不安がないのは今までコーチをしてきて他人に物事を教えたり説明したりするのが身についてきているからかもしれません。

改めて、今回のワークショップは「ペン画入門」です。僕もまだ4年の月日しか経ってないんです。だから、まだ入門じゃないかと思われるかもしれません。でも、それでもやってきたことを共有したり、思考法や描き方そのものを公開することもアートじゃないかと思っているんですね。だからワークショップ=アート活動でもある気がしています。これからやるにあたってそのつもりで皆さんと楽しくやりたいのです。12枠募っていましたが、知り合いの協力もあって11枠埋まりました。実は、作品も持っていこうと思います。みんなに教えるときにどのような作品をつくった人間なのかを見てもらえたらと思っています。ま、僕のアートはそれでも僕個人の幾分の一でしかないですが見てもらって少しでも楽しめたらと思います。
1コマ1時間ですので大したワークショップができないのかもなと思っていましたが、でも集中力的にはこれくらいが良さそうだとモニターさんを見ていても感じています。慣れていると数時間描いていても大丈夫ですが、不慣れだと結構疲れるのがペン画です。だって、そもそもペンの先が細いのです。一時間で十分楽しめるようにしたいと思います。絵は細かさや鮮やかさで楽しむだけではないですよね。どういう考えで描くか、そこにどういうタイトルをつけるか。そこまで含めて楽しい。
例えば、自分の作品に意味を付けたりパッケージにしたりする額装。それも楽しい。なんでも想像を形にすること自体が面白いんです。ワークショップは楽しみです。楽しくやれるように工夫して当日を終わらせたいと思います。

自分ミーティングですから、将来の話もして終わっておきます。
僕は「絵を仕事にしなければならない」という気持ちでいました。でもよく考えると絵は僕の中でも歴史が飛び飛びなんです。幼いころから絵は描いていましたしそれも含めてですが、絵は僕に欠かせない表現の一つでした。諸学校も中学校も高校も大学もです。いつにおいても絵はありましたが、絵を続けているという感覚はありませんでした。でも、4年前くらいに絵を始めたときにもう大人になってして「絵を仕事にしなければならない」と焦っていたんですね。楽しむというよりは必死て感じでいつも背中を自分自身に押させて描いている状態でした。今は楽しむ感じですから更新頻度もまばらです。描くときは無茶苦茶描こうと思えるけど描けないときは描けないのです。理解できないかもしれませんが絵は飛び飛びなんです。技術は上がっているようであがっていなかったりなにをもって完成なのかもわからないのが絵です。だから、いつもつながっているのではなく飛び飛びという方がしっくりくる気がしています。
小学校は小学校の図画工作や自由帳。中学校や高校の美術や落書き。大学の造形基礎、インテリア・エクステリアのパース。どれも、絵ですが僕のなかでは別の分野でもあって各種の絵という感じです。でも、ブレンドされているのかもしれない。僕の中で絵で生きていこうと決めたときに各種の絵がオリジナルブレンドとして混ぜられた気がしています。その結果がペン画でもありパステル画かもしれません。まだまだ序の口です。僕にとって音楽もオリジナルブレンドです。だから、各種の絵の中からどれもが僕の身になっていたともいえるが、どれも無関係とも言えちゃうんです。学生の頃の絵は各種それぞれ仕事としてやってきたわけはないからかも。
「絵を仕事にする」という分野ではど素人なんです。でも、これからその答えを見つけなければならないのです。むしろ仕事にしなくてもいいのかもしれません。僕の心の師匠は「絵を仕事にしなくていい」と直接言ってくれました。むしろ「絵を描くことがたのしい。それだけでいいじゃないですか」お金に困ったら仕事で稼がなくてはならないです。でも、稼ぐやり方は絵だけじゃないんですね。きっと仕事はべつにある。つまり僕は仕事探し中です。さっき話したワークショップは材料費を貰うだけなので、仕事というよりはアートよりの活動です。でも、この「教える」がもっと仕事になったらいいなと思っています。

スイミングコーチの仕事は自分の仕事ですがその中で僕はコーチングの勉強をしているんです。簡単ではありませんがコーチングは週一でもかなりいい勉強になります。他人との向き合い方そのものだからです。子どもから大人までいろんなことを教えますが教わる仕事でもあるんです。コーチたちを見ていても勉強になります。余裕のあるコーチは案外安心感もある分頑張っている感は一切見えなかったりします。そうすると子どもは叱られるまで自分でできなかったりするんです。不思議ですね。コーチはできる人であると思いがちですが案外できない人の方が話を聞いてもらえることもある。
こういうのがとても勉強になります。怒鳴って子供の心に刺さると思っているコーチもいますからね。でも、僕は怒鳴ることは子供とも関係に傷をつけることになると思っているんです。だから、修復作業が必要になるんでめんどくさいんですね。めんどくさいというか自分の責任で手間がかかるということです。子供は怒鳴るコーチを一旦見下します。コミュニケ―ションがゴミだからです。怒鳴るのはコミュニケーションではなく暴力に近い行為なんです。これは僕が学んで実践してきたからわかることです。あくまで一つの考え方です。怒鳴るのは人間ですし危険をなくすために必要な場合もあります。でも、修復作業をしなければならない。それを学ぶ場です。だから人間関係をどう修復するかという人間の命題みたいなところを学んでいるんです。面白いですよ。

人になにかを教えることで仕事になることをやっていきたいんです。簡単なことでもいいからなんでも挑戦したらいずれ共有=教えるようにしていきたいと思っています。今後も、楽しくなにか活動から学んで共有するということをやって何とか仕事を見つけていきたいと思います。

まだまだ子供だな。ぼくは。

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