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絵を描くことの「意味」は自分で決めるしかない。【ペン画家のいまの気持ち】

2020.6.10.水 #326日目

絵を描くことにおいて、上達することというのは、やっぱり手先の器用さよりも、その絵を描く「意味」とか絵描きの自分の「役割」を考え続けることだと思います。

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例えば、絵描きとは別にスイミングのコーチとして初心者から上級者まで関わっています。やっぱり知識や経験も必要には違いない。

ただ、絵描きと同じく一番大事にしたいのは、その人にとってのスイミングが「意味」を持つようになってもらうことです。

練習のレパートリーだったり、練習の効果だったり、意識するポイントを伝えて、その運動に少しでも意味を与える練習をしてもらうのです。

絵を描く意味を考えるのは非常に高難易度ですから、日常からその意味を考える練習や特訓は必要になります。

その意味が他人に伝わりきらなくても仕方がないことだけれど。

でも、ぼくが描いた絵には、まだ意味を突き詰められていないものが多い。

例えば、星や木や花に意味があるのか。
その意味は他人に説明できるのか。
「これをみて感じてくれ」
「これをみて察してくれ」
っていう傲慢な絵になってしまうと一緒に見ていて楽しくないだろう。

感想は違えど、ぼくという人間が描く作品には、もっと突き詰めた「意味」が欲しい。

スイミングの練習メニューにおける「意味」のように簡易的なものではなく、もっと骨の部分、筋肉の動きは何故そうあるべきかという部分を突き詰めたいのです。

何度も言いますが、高難易度です。

だから、意味を与える練習を日常的に練習する必要が大切だなぁと。

時に、
人と話しながら、
人の返事を聴きながら。

自分にとって、その絵の意味が何なのか。それが今の日々の課題です。

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