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小さな声の言語

語学学習が好きで、大学を卒業してからも興味を持った言語を、ちょこちょこと、つまみぐいするように勉強している。今は、小説を読みたい、ドラマを楽しみたいという動機で、「普通語〔putonghua〕」とされる ”中国語” 、北方言語寄りの標準語学習をしている。

けれど、はじめから言語学習が好きだったわけではない。思い出せば、中学に上がったときは、NHKの英会話講座を受けるために、決まった時間、ラジオの前に座ることさえ恥ずかしかった。

一人で会話文の受け答えをしたり、登場人物になりきるのも、家族の視線が気になって仕方なく、苦痛でしかなかった。それが、慣れとは素晴らしいものだ。しばらく堪えて続けているうちに、「らしく」発音できるようになり、それに伴って聞き取りが出来るようになってくると、自信もつく。俄然、音への集中力が増してくると、羞恥心は二の次になる。

自分の耳で聞いて、満足できる音を出せるようになったとき、語学学習はとても面白くなってくるのだ。

言葉や言い回しを覚えるだけではなく、文化的背景や、その言語を話す人が多く住んでいる国の歴史や考え方を知ることができる。言語の学習は、進めば進むほど、その裾野がますます広くなり、興味が尽きないのも魅力だ。

そうして、日本語で暮らす生活というのも、あらためて気になるテーマになってくるのである。

普段、話している声のボリューム。仕事であろうと、個人ごとであろうと、それが日本語である限り、かなり抑えて、小さな声で話さねばならない(※注:個人比較である)。万事TPO次第ではあるが、大部屋で大勢に呼びかける目的があるとか、傍目に「大声を出さねばならない相当の理由」があると判断されない限り、かなり目立ってしまう。

そのため常に心がけるのは、声は小さく、されどはっきり、活舌よく発音すること。そうでないと、何を言っているか自分でもわからなくなる。その境目がいつも難しい。

もちろん、大きな声で話してはいけないというルールは無いが、ちょうどいい音量というのも難しい。日本語より小さな声で、けれど明瞭に話すことが推奨される言語は、他にないのではないか。

時々、無性に大きな声で日本語以外の言語を使い、それが許される職場に行きたくなる。そのためにまず、継続的な学習が、さらなる上達が必要なのである。まだまだ先は長い。


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