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よんのばいすう 2021.12.8

二十四節気暦によると、12/7から冬至までを大雪といいます。本格的な雪が降る季節だと言われていますが、気温的には明日あたりはまだ小春日和の陽気だそうです。雪ははらはらと降るぐらいがちょうどいいものですね。例によってRobinさんの音楽を使わせていただきました。 


 掌小説『大切なこと』

今年もダメだった。後がないと挑んだ8年目の漫才グランプリ。渾身のボケで、一度は笑いを取ったけど、お客さんの食いつきはそこまでで、笑いの熱はまるで潮が引くように消えていった。案の定1次予選すら突破できず、私らの闘いは無惨にもついえた。だから、あそこはやっぱりああじゃなかったんだよ。ネタ合わせの時から何度言っても相方は譲らなかったけど。

とはいえ、奴はきっと自分のせいだとは思ってないだろう。国公立大出身、弁護士資格を持ちながらお笑いに転身した高学歴芸人。顔もそこそこイケメンとくれば、世間は放っておかないと思い込んでいる。そして、私は、どこにもいるような極平凡な見た目。私たちにあるとしたら、そのギャップ。確かに面白い組み合わせだと、一瞬は火がつきそうになったけど、この世界は焼肉定食、んじゃなかった弱肉強食。毎年毎年激烈な個性を持ったコンビが次々と現れてくる。去年決勝に残って優勝争いをした者でも、今年は2次予選で敗退しているくらいだ。そもそも笑わせられない漫才に何の価値がある?相方はNPOの法律相談員で、私も小さな個別塾講師として何とか食い扶持を稼ぐものの、このままでは本業はお先真っ暗。将来に絶望して、このまま二人して車ごと港から海に飛び込んだって、誰にも気づかれないだろう。いや、せめて気づいてはほしい。でも、ニュースネタになるのはごめんだ。いや、こんなことぐらい話題にもされないなんて、最初から芽のない話じゃないか。なんなんだ、全く。と頭の中で具にもつかない考えがグルグル回る。

それにしても、おばさん、さっきから電気風呂長すぎない? だいたい銭湯の電気風呂なんてものは、独り占めするしかない広さなんだから、ある程度使ったら次の人に譲るものだ。しかも、私が、おばさんの前に使っていた人が出るのをなんとなく近くの湯船で待っていたのに、その人が出ると見るとヒョイと横入りしてくれた。だから、私も嫌味のようにさっきよりもっと近づいてお湯の中で足をバタバタさせ、タオルも手に持ち、「次こそ私だよ〜」と言わんばかしに待っているのだ。ところが、敵もサルもの。こちらの意図を見透かすようにことさら入念に、電気の当たる身体の向きを変えていく。そのうち、こっちの額から汗が噴き出した。

いよいよ諦めかけた時、おばさんはようやく湯船から上がっていく。意地になって待っていたツケは程なくやってきた。やっとの思いで勝ち取った電気風呂の権利なのに、頭に血が上り肩凝り改善どころではなく、完全に湯あたり状態に陥っていた。そそくさと電気風呂を出て、脱衣室に向かう。どうにかこうにかロッカーをあけ、バスタオルを身体に巻きつけてから、脱衣室に一つだけある長椅子に座り込んだ。心臓はバクバク。脈も速い。子どもの頃から、自宅のお風呂でもしょっちゅうのぼせていた。グルグル回るので、目も開けてられなくなり、私はついに長椅子に倒れ込んだ。

「あんた、大丈夫かいな。顔が真っ白やで〜。水かなんか飲まんと」

最初に声をかけてくれたのは、なんとさっきの電気風呂占領おばさんだった。おばさんは私の頭に巻きつけていたタオルを取って水で冷やしてから首の後ろに当ててくれた。
「す、すみません」と私。
「しばらく横になってたらおさまるやろ。
あれ、あんた…もしかしたら、ミチオとミチヨのミチヨちゃん?この間、TV観たよ。まぁまぁ面白かったやん」

はぁ、こんなところで全裸にバスタオル姿のどすっぴんの一番無防備な状態で、しかも、湯あたりでヘロヘロなこんな時に⁈
個別塾ではメガネにスーツ姿だからか、今まで一度も子どもたちにバレたことないのに。本名の白石美千代を名乗ってさえも。
しかし、悲しいかな、こんな時に、私の中の芸人根性が邪魔をする。
「あれ、バレました?おかしいなぁ。スッピンでも隠せないかな、この美貌」
「何言うてんの。あんた、化粧してても大したことあらへんがな。わっはっは。あ、ごめんな、しんどいのに、余計しんどくさせてしもて〜」

素人のあんたの方が上手いやん。と多少凹みながら、私はもうこれ以上のボケはかませなかった。だいたい、あんたが悠々と電気風呂浸かってるからこうなったんやんか。どうせ私がお笑い芸人やと分かるなら、あの時分かってほしかったわ!でも、コンビ名まで出てくるなんて、このおばはん、案外お笑い通なんやろか。
少し気分が楽になって、寝ていた身体を起こした私におばさんはスポーツドリンクのペットボトルを渡した。
「さっきはごめんやで。毎日病院の掃除やってるから、腰が痛うて。これで勘弁してな」
なんや、おばはん、いや、おばさん、案外いい人やったんだ。私は静かにキャップを開ける。しかし、手に力が入らない。
「ご飯食べてるのん?これぐらい開けられなぁ。いつもミチオ君にやってもらってるんかもしれんけどな」
そう言いながら、おばさんはいとも簡単にキャップをひねってみせた。

「いえいえ、そんなことは…」
そう言いかけて、私はハッとする。そうだ。今日は相方と反省会を兼ねたご飯を食べて、バイバイするつもりが、珍しく私の部屋で飲みなおそうと言うので、とりあえず一緒に銭湯でひとっぷろ浴びた後で待ち合わせようということになっていたのだ。何しろ、私の部屋にはお風呂がない。よく、芸人の下積み苦労話に風呂なしトイレは共同のアパートが登場するけど、さすがにそこまでボロくはない。ただそれなりには年季が入っているけれど。相方は、部屋で2人でネタをくっていても、私には全く手を出さない。私もいつしか、それでいいと思っていた。初めて相方を見た時のあの心臓バクバクは、そう、さっきの速い脈の感じに似ていた。まさかコンビを組むとは思っていなかったし。ただ、そのバクバクはやがてパクパクからハクハクへと緩いものになり、いつの間にか、何にも感じなくなっていった。いや、封印したといってもいいのかもしれない。このまま芸人として成功したら、相方はきっと山ちゃんみたいにきれいな女優と結婚するかもしれないが、逆はないだろう、

それにしても待たせ過ぎていた。私はいよいよ正気になり、慌てて服を着ると、脱衣場を出ようとして、辺りを見回す。引き戸を開けて、番台を兼ねた待ち合いに出たけれど、あのおばさんはもうどこにもいなかった。明日も朝から病院で清掃にがんばるんかな。世の中にはまだまだ私の知らない世界がある。当たり前だが。

「どうしたん。遅かったから心配したわ。しかも髪の毛びちょびちょやん」
相方がいた。私を待っていた。
「長風呂したら、ちょっとのぼせてしもて。そっちこそ、せっかくあったまったのに、冷えてしもたね。ごめん」
「ええよ。それより、はよ帰ろ。ホットレモン作ったるわ。ポッカレモンと蜂蜜、あるよな」
「ええ〜飲み直すのに、ホットレモンて?」
笑う私。
「とりあえず、髪の毛乾かさな」
そう言って、相方は私の頭にタオルを乗せる。
「ありがとう…て、これ、あんたの身体拭いたんちゃうの。いやん」
「ちゃんと洗ったから。きれいなもんや」
2人は銭湯の下足箱から出したお互いの靴を三和土に落とす。この靴が、私の部屋の小さな三和土に並ぶのを想像したら、またちょっと脈が速くなった。
暖簾をくぐって、銭湯の外に出たら、暗い空からはらはらと白いものが落ちてくる。
「雪?」
「もうそんな季節なんやな…なんか、僕らも、長い付き合いになったな」
そう言うと、相方は私が持っていたバッグを取り上げ、空っぽになった手を繋いできた。
「うわっ、ぬくっ」
私は照れ隠しする。本当に、なんでこんなに手が熱いんだろう。
「いまな、いろんな意味で僕、燃えてるで。言うなれば人間湯たんぽやな」
「本番ではお客からあんなに冷たい視線受けたのに?」
「せやな。ほんでもな、分かったんや。僕は生まれ変わるから。今晩からな」
「何のことやの?変なの」
「変か。うん、そうかもな」
そう言うと、相方は握った手をさらに強く繋ぎ直した。
雪は強まるでもなく止むでもなく、ただ静かに降っている。私はまるで道行のように、冷たいタオルを頭の上でハラハラさせながら歩く。不思議と冷たく感じないのは、握った手の温もりのせいだろうか。相方が今、何を考えているかを、知りたくはない。ただ、私には自分のバクバクで2人の足音すら、聞こえなくなっている。

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