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安倍晋三の「事績」の今後 - アベノミクスと青バッジ運動の神話と誑惑の崩壊

国葬は失敗に終わった。安倍晋三の神格化は失敗した。安倍晋三を神格化しようとする政治は、全く逆の結果に終わった。本来、国葬を仕掛けた側の思惑からすれば、国葬が終わって臨時国会が開幕する現時点は、9条改憲のモメンタムが最高潮に高まり、神となった安倍晋三の遺志を実現すべく、保守派のエネルギーが(ヤマトの波動砲発射前のような)絶頂状態に達していなければならなかった。国葬の目的は、安倍晋三を神とすることで9条改憲のを神聖化し、それを国民の絶対的課題として定置し、異論を完全に潰し、発議への経路を固めることだった。

しかし、結果は逆に出て、臨時国会は統一教会問題で自民党が攻められる防戦の場と変わっている。10月になっても内閣支持率は下落傾向が続き、Yahooトップに上がるネットのマスコミ記事は岸田政権叩きばかりだ。改憲発議の政局の詰めどころではなく、台湾有事に向けた防衛論議と意気発揚どころではない。おそらく、集中審議でもまともな答弁ができず、立往生となって審議が紛糾し、内閣支持率はさらに下がるだろう。週刊誌が新しい疑惑を次々掘り出し、壺議員と壺閣僚のグロテスクな前科が告発され、ワイドショーで拡散されて政権に打撃を与えて行くだろう。

それでも野党には力がないから自民党政権は安泰、というのが田崎史郎らマスコミ論者の常套句であり、ネット右翼が掲示板で開き直る際の根拠として撒いた安心理論だったのだけれど、少し状況は変わっている。具体的に、今回、左派野党側は力をつけた。その点を看取できる。27日の国葬反対デモは全国規模で行われていて、ここまで市民の運動が可視的に盛り上がったのは7年前の安保法制時以来だ。安保法制の政治に敗北した後、左派野党側は混迷を続け、選挙でも幾度も挫折、反転攻勢の契機を掴めなかった。政治の力を示し、主導権を握る場面が一度もなかった。

だが、今回、8月9月と2か月間にわたってマスコミ世論調査の数字を変え、安倍国葬支持を少数派に追い込むことに成功している。国葬の政治の押し合いに勝った。反対運動の盛り上がりが世論を動かし、国葬反対派の勝利となった。国葬を仕掛けた岸田文雄を窮地に追い詰め、政権崩壊も遠からずという展望が立つまでの状況に至らせている。久しぶりに左派がタッグオブウォーを制した。この事実は、マスコミ報道は大きく言挙げせず、認識する者も少ないが、日本の政治全体を分析する観点からすれば意味は小さくない。国葬反対運動を展開した側は自信を持ったはずだ。

もう一つ、五輪疑獄の問題も並行して動いている。当然ながら、検察は世論動向を慎重に窺っている。前提を省いてざっくり見通せば、森喜朗を逮捕するかどうかは、内閣支持率が政権崩壊ラインまで下落するかどうかにかかっている。レイムダック化してポスト岸田の政局まで来れば、いわゆる(昔の概念だが)指揮権発動はできない。五輪疑獄の件は安倍派の権力問題に関わっている。森喜朗の政治生命が絶たれる事態になれば、安倍派は空中分解せざるを得ず、他派の草刈り場たる運命とならざるを得ない。安倍派の解体は、安倍晋三のイデオロギーの推進力と生命力の途絶を意味する。

安倍晋三はもういない。安倍晋三がいなくなったらどうなるかという想像力と本質論が、今の政治言論の中であまりに少なすぎる。盛者必衰の法則と逆転の力学が政界を襲うという点に関心を向ける者がいない。安倍晋三がいたから安倍派の権勢があり、右翼集団と化した安倍自民党があり、安倍晋三に忖度する官僚とマスコミがそれを支えていた。その政治構造の真実に気づく者がいない。安倍晋三が消え、安倍晋三の代わりがなければ、必然的に新しい政治の蠢きが起こる。安倍晋三の基準や価値観とは別のものが入ってくる。自民党は元の生態に戻り、選挙での与野党の優劣や配置も変わる。

国葬のときの弔辞で、岸田文雄は、気持ち悪くなるほど安倍晋三を絶賛し、安倍晋三への崇拝を垂れ、同志としての「信念」を絶叫した。その中で、「歴史は、達成した事績によって、あなたを記憶することでしょう」と言っている。そして、安倍晋三が在任期間中に「達成」した「事績」をあれこれ並べたてた。「事績」の意味は、「なしとげた仕事、事業と功績」である。岸田文雄の噴飯な弔辞を聞きながら、果たしてそれらの「事績」は今後どのような運命を辿り、歴史に最終的に記憶されるのだろうかと想像を試みた。というより、岸田文雄の愚劣な安倍賛歌を聞きながら、自然にその諸「事績」の推移と将来が念頭に浮かんだ。

安倍晋三の業績といえば、まず指を屈せられるのはアベノミクスである。国葬の際のビデオ映像でも美化されて提示され紹介されていた。アベノミクスは「事績」として今後どう評価され、どう位置づけられるのか。この質問をエコノミストに発してみたい。おそらく、10人のうち8人か9人は消極的もしくは否定的な回答を返すと思われる。現時点では、アベノミクスについての是非の判定は未決着であり、成果をめぐる賛否は分かれている。論争になる。だが、1年後2年後はそうではない。評価は決まっていて、日本経済を破壊した最悪の政策だったと総括され、誰からも批判される「事績」になっているだろう。私は自信を持ってそう断言する。

日本経済の進路は、藤巻健史が悲観的絶望的に予測するカタストロフの方向性にある。未曾有の惨事が理論上の基本線であり、実際の進行は、それを回避すべく当局が繰り出す政策と衝突して派生するバリエーションとダイナミックスになるはずだ。いずれにしろ庶民には阿鼻叫喚の地獄であり、最悪、預金封鎖と日銀破綻まで行くのではないかと予想する。日銀券すなわち通貨円の信用が何事もなく維持され、供給を永続させられるとは思えない。最悪の想定まで行かなくても、それに近い崩壊までは行く。具体的に、東証株価は現在の3分の1まで下落するだろう。日銀総裁を変え、金融緩和をやめた時点で、株式市場はクラッシュする。

金融緩和を続けるという選択肢はない。日本の金融経済はセオリー上は破綻している。陰腹を切った家老が主君の前で口を動かしているのと同じだ。破綻がリアルになるのは時間の問題で、そのときは、アベノミクスを支持して恩恵を被ってきた富裕層も、日本株のオーナーは重大な損害を免れない。資産価値が3分の1に減ってしまう。米株を保有している場合は激震の直撃を避けられるけれど、東京市場が崩壊したとき、果たしてNY市場が健全なままかどうかは分からない。影響は確実に及ぶだろう。仮想通貨も商品市場も例外にならない。世界のマネーとマーケットとキャピタリズムは一つであり、東証で株転がししているマネーの7割は外国の資本家のものだから。

安倍晋三の「事績」のもう一つは、あの青バッジに象徴されるところの北朝鮮拉致問題政治運動である。岸田文雄の弔辞でも強調している。映像ビデオでも宣伝された。国葬の会場にも関係者が招待され、中継のカメラが何度も映した。蓮池薫と蘇我ひとみの姿が見えず、官邸によく行く常連の面々しかいなかった。果たして、安倍晋三死去後、北朝鮮拉致問題政治運動はどうなるのだろう。その意味はどう評価され総括されることになるのか。私は、これもまた、アベノミクスと同じ破綻と崩壊の運命になると予想する。真実が暴露され、欺瞞が証明され、政治運動そのものが否定される決着になるだろう。そうならない可能性は、唯一、戦争が起きたときだけだ。

政府認定の拉致被害者のうち、田中実を除く11人はすでに死亡している。特定失踪者470名などいない。もし生存者がいれば、田中実と金田龍光のように、ストックホルム合意の際に北朝鮮側がリストを出して交渉の材料にしただろう。北朝鮮側は、横田めぐみの娘のキムウンギョンとその娘(横田早紀江の曾孫)も交渉材料にして、関係改善の糸口を見出そうと試みている。が、横田早紀江と一団と安倍晋三が拒絶、問題解決の通路を閉ざした。ストックホルム合意のプロセスを日本側が反故にしたことから、北朝鮮は態度を硬化、アメリカに盲従する日本を相手にせず、もっぱらアメリカとの直接の対峙と交渉で事態打開を図るようになる。

アベノミクスは、安倍政権の支持率の安全装置だったと書いてきた。支持率が落ちても、自然回復し自動復元するのはアベノミクスという騙し装置があり、没落中間層を幻想で釣るメカニズムがあるからだと指摘してきた。青バッジ運動も、安倍政権の支持率維持の重要な柱だった。困ったときの神頼みのように、支持率上昇が必要なとき、安倍晋三は横田早紀江一行を官邸に呼び、カメラの前でルーティンの儀式をやっていた。ときどき、横田早紀江は「またか」という面倒くさそうな顔をしていた。私は、日本の大衆がアベノミクスの詐術に騙されるのは理解できる。スティグリッツやクルーグマンがお墨付きを与えるのだから、騙されるのも無理はない。

けれども、北朝鮮拉致政治運動に騙され続けるのは、どうにも理解できず、いつになったらマインドコントロールの呪縛を解き、集団催眠から目が醒めるのかとずっと言ってきた。蛮勇を奮って、孤独に、拉致被害者家族会を批判してきた。青バッジ運動への日本人のコミットの持続こそ、まさに、破滅しながら献金を続ける統一教会信者の行動様式そのものだ。日本には言論の自由があるはずだが、青バッジ運動については言論の自由がない。誰も横田早紀江を批判できない。批判しない。批判に共感が起きない。5年経っても、10年経っても、15年経っても、20年経っても、事態は変わらなかった。この社会には理性や科学では解明できない不思議な現象がある。

タブーに挑戦せず、左翼が青バッジを放置して泳がせたから、安倍晋三は不死身だった。青バッジ問題の現実は、私の中で、日本人への根本的な懐疑と不信と絶望の根拠となっている。けれども、安倍晋三が地上から消え、この問題にも転機が訪れる可能性が出てきた。現在、統一教会は悪の化身として袋叩きされている。(叩かれて当然だが)悪のシンボルとなり、反社の代名詞となった。7月の事件が起きるまでは、異端ではなく堂々たる右翼の前衛であり、自民党と蜜月の強力な政治団体だった。日本会議と同じだった。いずれ、青バッジの運動と組織も、内実が暴かれ、シンボルがスイッチし、正義ではなくなり、社会から叩かれる局面が来るだろう。利権の構図が明白になるときが来るだろう。

彼らを弾劾する証言が多数出る。常識が変わる。共同幻想が破れ、マインドコントロールから解放される。そう確信する。アベノミクスも青バッジ運動も、幻想でありフィクションだ。騙されて釣られて踊らされただけだ。大衆が操縦されて「信者」になっただけだ。私の人生の3分の1の時間が、北朝鮮拉致政治問題と共にある。苛立たしく、憂鬱で、社会不信・日本不信となる政治的現実だった。と同時に、センチメントの政治の恐ろしさ、衆愚政治の恐ろしさをイヤというほど感じさせられた時間だった。終焉を早く見たいし、最後は理性が勝つという場面に遭遇したい。いつの日か、青バッジ運動が日本の政治をボロボロにした、あれは国を亡ぼす自滅行為だったと、そう総括される日が来るだろう。

それにしても、アベノミクスは批判者が最初からいたが、青バッジ運動は一人もいなかった。


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