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暴力による解決しかないのか - 救世主は現れず、悪魔の飽食を見届けるしかないのか

イスラエル軍が南部への侵攻を始めた。ロイターによると、虐殺作戦が再開された 12/1 からの3日間で900人が犠牲になっている。アルジャジーラの報道では、12/3 までの24時間に700人が殺害された。虐殺のペースが上がっている。昨日 12/4 には、2か所の学校が空爆されて少なくとも50人が死亡した。11/30 にブリンケンがネタニヤフと会談したが、おそらくこの席で南部侵攻と虐殺拡大をアプルーブしたのだろう。アメリカはマスコミに「民間人保護の措置を」と見出しを書かせているが、それが奸佞なブラックジョークであり、『1984年』的なダブルシンク(二重思考)である真相をブリンケンの薄ら笑いの絵が物語っている。アメリカが唱える「民間人の保護を」は、アウシュヴィッツ収容所の「Arbeit macht Frei」のスローガンと同じだ。

作戦再開後に虐殺のペースが上がっているのに、マスコミは報道の割合を小さくしている。12/3 のTBSの関口宏の番組でも、トップの話題は自民党派閥の裏金問題だった。12/4 のNHKの7時のニュースでは、ガザへの空爆で親を殺されて泣き叫ぶ子どもの映像が3秒ほど流れた後、それに続けて何事もなかったかのように、和久田麻由子が、ハンユニスの東側にハマスの地下トンネルが張り巡らされていてと説明を始め、イスラエルの虐殺攻撃を合理化するニュース原稿を読み上げた。表情が能面のように冷酷で、カメラへの視線に処刑を正当化する鈍い光が看て取れる。一体、このニュースをテレビで見た日本の子どもたちは何を思えばいいのだろう。どう意味を受け止めればいいのだろう。小学生と一緒にテレビを見ている親は、子どもにどう言って伝えればよいのだろう。

この和久田麻由子のニュースを見た子どもは、どんな子どもに育つのだろう。それを考えると恐ろしいし、想像の果てに暗黒の魔境が広がる。家庭は教育現場であり、テレビは教育機関である。だがしかし、問題はマスコミだけではないのだ。日本のほぼ全てが和久田麻由子的態度でガザに接している事実に気づく。例えば内田樹。12/2 に文春オンラインで発言を記事にしているが、何を言いたいのか全く分からない。注目もされず、関心も集めていない。小手先の小銭稼ぎの「言説」というレベルですらない。ただのゴマカシのアリバイ発信である。意味がなく市場の期待に応えていない。駄作であり愚論だ。ガザの現実に対して、内田樹が何の深刻さも感じておらず、怒りや憤りに身悶えする精神生理を持っておらず、サイード的な悲愴感や使命感の内面を持っていない。失望だけが残る。

内田樹だけではない。現代左翼の皆様が大好きな、本を買って貢いでいるアカデミーの著名キャラの諸兄姉たち、上野千鶴子、小熊英二、姜尚中たちは、ガザの問題で何を発言したのだろう。何もない。岩波の『世界』と青土社の『現代思想』は特集号さえ刊行しない。ウクライナ戦争のときは勇んで即編集した。衝撃の大きさから言えば、平和への脅威から言えば、非人道性の酷烈度からすれば、ガザ虐殺はウクライナ戦争の比ではない。ガザの民間人の死者数はすでにウクライナを上回っている。なのに、メイクセンスな言葉を発したのは、岡真理だけで、それに続いた伊勢崎賢治だけだ。われわれの前にはほとんど何も言葉が与えられてない。ベトナム戦争のときの、鶴見俊輔や小田実や鶴見良行や日高六郎や大江健三郎の言葉があればいいと思い、希い、その仮想世界をユートピア的に思い描く。

それが必要だと私は思い、日本人ならあのベトナム戦争のときのように反応し、思考し、ベ平連にコミットする思想空間と社会運動を作り出すのが当然だと思う。だが、あまりにもそれとは隔絶した現実に打ちのめされ、理想とのギャップの前で悶絶し絶句させられる。岡真理の講演の最後にあったように、地獄はガザかもしれないが、本当の地獄は日本や西側かもしれないと、そういう想像力が立ち上がってくる。悪魔たちが取り囲む本当の地獄。悪魔だらけが隣に棲むこの社会。弱者殺処分こそ正義と狂信する悪魔たちは、いつ平和主義者の少数派に襲いかかるかもしれない。平和を希求して声を上げる者を小林多喜二にするかもしれない。ガザを救えとアメリカに抵抗する者を暴力で始末するかもしれない。和久田麻由子の冷たい眼を見ながら、内田樹の乾いた言葉を聞きながら、その怖さを静かに実感する。

ガザの問題はどう進行し決着するのか。イスラエルは具体的計画を持っている。その計画について、アメリカは表向きは反対の素振りを見せつつ裏で支持していて、実現を隠然と保障している。それは、あと5万人ほど殺戮して、ガザ住民200万人をラファに追い詰め、エジプトに検問所を開かせ、シナイ半島の砂漠に一人残らず放逐する民族浄化の結末である。西側とアラブ諸国に資金を拠出させ、国連に面倒を見させて、砂漠の上に大型の難民キャンプを設置させ、国連に運営させる。ガザ地区は完全にイスラエル領土となる。西岸地区も続いて同様の処分とする。国連総会でネタニヤフはその青写真を露骨に提示しており、新しい中東地図にパレスチナは存在しない。その構想をアメリカはエンドースしている。パレスチナ側にそれを抑止できる軍事力はなく、このままだとイスラエルの思惑どおりの展開となる。

奇跡が起こるしかその道を止める方途はない。奇跡とは何だろう。一つの危険な可能性は、ヒズボラがイランの支援の下で参戦することであり、いわゆる二正面戦争が現実になる図である。中東大戦争とも呼ばれる。現在、西側ではその勃発の可能性はないと想定され前提されている。しかし、それを言うなら、ハマスが 10/7 に奇襲攻撃に出る事態を誰も予測していなかった。それは捨て鉢の選択であり、身の破滅を意味するからである。けれども、一方で、伊勢崎賢治のように「ハマスは勝利したのだ」と総括し、ハマスに軍配を上げる国際政治の専門家もいる。10万人虐殺されても、20万人が飢餓や感染症で犠牲になっても、伊勢崎賢治的な見方は確立するだろう。であれば、政治の判断としては、戦闘に打って出るか出ないかは何の価値と意義を採るかの問題だ。12月は再びヒズボラとイランが注目の焦点となるだろう。

すなわち、正面からイスラエルが挑発し、アメリカが搦手から緊張緩和するという、巧妙で狡猾な連携プレーでヒズボラ・イランの押さえ込みを図るだろう。イスラエルの計画どおりに作戦が完遂すれば、ヒズボラとイランはハマスを見捨てた結果になる。ガザ地区が消滅し、民族消化され、パレスチナが滅亡するというのも、暴力による一つの「解決」形態である。二正面戦争になり、中東大戦争のカタストロフになるのも、暴力による一つの「解決」形態である。結局、リアルな着地は暴力と流血しかないのかと、問題の行く末に絶望させられる。暴力は他の派生形態も出現させるだろう。例えば、米国や欧州のテロが発生し、欧米域内でテロと対テロの暴力の応酬となる図である。「文明の衝突」の新しい局面だ。最近の欧州の「反・反ユダヤ主義」の運動など、明らかにその正体は反イスラムであり、不穏な政治の予兆を感じる。

別の奇跡が起きて欲しい。暴力ではなく平和裡の問題解決を願う。具体的な絵はこうだ。①トルコとイランとカタールが協議し、ガザを救護する具体的プログラムを策定、国連の決意と保障の下、イスラエルを牽制しつつ、海から食料・燃料・医薬品・仮設住居をガザに搬入する。フランスが支援する。②エジプトとヨルダンと湾岸諸国のアラブ民衆がデモで蜂起、政府に圧力をかける政治を成功させ、各国がハマスを承認し支援する外交方針へ転換させる。③グローバルサウス諸国が団結して臨時国連総会を開催させ、イスラエルを国連から追放する決議を採択する。無論、①も②も③も夢想である。子どもがクレヨンで描くお花畑の願望を項目化したにすぎない。だが、ここにカリスマ的救世主が登場して提唱すれば、同意と共感が広がって世界でムーブメントを作ることはできるだろう。影響力のあるリーダーか著名な学者が言えばいいのだ。

そうなれば、①②③の夢想は単なる夢想ではなくなる。暴力による解決ならざる有意味な展望と活路となる。

公開後に④を思いついたので付記しよう。ジョージのバングラデシュのコンサートのガザ版を日本人の音楽家の手で企画開催してもらいたい。桑田佳祐と長渕剛と森山直太朗が呼びかけ人になるといい。加藤登紀子や松任谷由美や中島みゆきが賛同協力し、藤井風とか米津玄師とか若い音楽家もそこに参加すればいい。矢沢永吉と MISIA も入ればいい。紅白なんてどうでもいいからこっちをやればいい。夢想である。だが、アイディアだ。ファンタジックなアイディアを出すのが私の特技だ。着想を立てて示すのが私の仕事だ。不可能だとは思わないし、実現すればどれだけいいだろう。どれだけ大きな説得力を作り、どれだけ日本の価値を高めるだろう。

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