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田村智子委員長、辰巳孝太郎書記局長、山添拓政策委員長の新体制で切り返しを

■ 社会民主主義の斜陽と停頓 - 失望だったイタリアのその後

共産党という名前を捨て、民主集中制を撤廃し、純然たる社会民主主義政党に生まれ変わって出直せ、というのが、20年前の私の意見と提案だった。学生時代からの持論をブログ記事に整理した。その考え方がこの20年間で変化した理由の一つは、イタリア共産党のその後の失敗を目撃したからである。A.ネグリは「新しい民主主義」という概念を提唱していて、おそらくイタリア共産党が左翼民主党と名前を変えたのはその影響があるだろう。ネグリも齧って読んだけれど、正直、あまりピンと来なかった。率直に言って、これじゃあマルクスを超えるなんて無理だ、学問と理論のレベルが違いすぎるというのが感想で、ネグリとイタリアおよび欧州左翼の脱皮的模索の行方に悲観的になった。案の定、「オリーブの木」の末路と現在の欧州左翼の混迷は目を覆うばかりだ。(写真は毎日新聞)

ネグリには経済学の理論がなかった(レーニンにはあった)。不十分だった。経済学の分析と体系と展望がないと、政治哲学だけではマルクスを超えることはできず、新しい社会構想と政治戦略の創出はできない。これが私の結論と不満である。ネグリの本は売れたが、今世紀に入ってからの欧州の社会民主主義の凋落と衰退は呆れるほどで、猛々しく威を張る米英のネオリベ・ネオコンの補完勢力となり果てている。彼らは見事にリベラリズムの徒に変身(変節)し、ソシアリストとしての本分を失った。アメリカに対する独立的気概も消えた。これが本当に社会主義思想を生んだ欧州のインテリの現在なのかと目を疑う。資本主義を解剖して批判する知性は消え、ピケティのように、貧困層には政府の給付で凌げばいいという腑抜けた政策論になった。むしろ、アメリカの方でラディカルな社会主義運動が出現している。

■ 「プログレッシブ」の反動 - アメリカ民主党の世界各国支店網

社会民主主義という言葉にも、もう魅力と価値を感じなくなった。色褪せた印象が漂う。今、リベラルデモクラシーと緊張して対峙する理念が必要なときに、社会民主主義はあまりに妥協的で惰弱なイメージが強く、そこにコミットしようという積極的因子がない。イデーとしての社会民主主義の輝きはこの20年間で萎え衰え、マーケティング的に表現すればブランド・イクイティを剥落させた。市民を惹き付ける磁力を失った。なので、リベラルデモクラシーと対抗する理念と表象を積極的に言うときは、私は最近は社会主義という語を使う場合が多い。現在の先進国の社会民主主義政党は怒涛の勢いでプログレッシブ政党化している。アメリカ民主党の支店になっている。その光景はまるで100年前のコミンテルンと同じ如きだ。中野晃一の姿など、まさに「現代のコミンテルン」(米民主党の国際拡張運動)の工作員に見える。

2013年にプログレッシブ・アライアンス(進歩同盟)という国際組織が設立され、資料によればアメリカの民主党も加盟し、2015年に日本の民主党も参加したとある。社会主義インターナショナルに代わる国際組織だという説明だが、社会主義インターにアメリカの民主党は入ってないし、日本の民主党(立憲民主党)も入っておらず、日本から社会主義インターに加盟していたのは福島瑞穂の社民党だったので、この国際組織の性格には要注意である。要するに、社会主義にはコミットしないリベラル左派政党の集合という意味だ。フランス社会党やドイツ社会民主党の右旋回だ。企図と趣意は脱マルクスだ。中野晃一は、そのプログレッシブを現在盛んにエバンジェリズムしていて、すなわち彼の意図が、日本共産党を右旋回させ、脱マルクスのリベラル左派政党に改造・転生させるところにあると看破できる。内田樹や松竹伸幸も同じだろう。

■ 新執行部 - 志位和夫は実権なき議長、不破哲三は完全引退

ここから日本共産党に具体的な提案をしたい。前回、政党交付金を受け取って財政基盤を固めよと進言した。その続きである。まず、執行部の新人事体制だが、田村智子(57)を委員長、辰巳孝太郎(46)を書記局長、山添拓(38)を政策委員長にする。一気に若返りさせ、田村智子が助さん格さんを両脇に配した布陣にする。田村智子委員長というのは誰も文句のない人選だろう。志位和夫(68)と比較すると政治家の能力識見の面でやや不安を感じるが、人格の面では信頼できるし納得できる。田村智子を皆で支えようという気運が起きるはずだ。志位和夫は議長に退き、常任幹部会のメンバーから外れる。オブザーバーとして臨時出席を認める。つまり、実権のない名目的な元首職(ドイツの大統領的な)に就き、マスコミや国会で活躍すればいい。党内では悪評が多いと聞くが、誠実な人柄と有能さで保守も含めた国民の間では評判がいい。

不破哲三(93)にはこの機に引退してもらう。鈴木元の提起と要求に従って、社会科学研究所も機関として廃止し、政治の権能を持たない純然たる図書館的な位置づけに改組するのが望ましい。93歳の超高齢なのだから、もう隠居してもいいだろう。管見では、不破哲三は現在も党の最高権力者であり、志位和夫に裏から指示を出していると推察される。奥の院から党の意思決定に関与している。3年前の中国敵視の改定綱領を書き上げたのは不破哲三に違いない。不破哲三の知識の蓄積がないと、あの改定綱領は執筆編集できない。さすがに往年の東大共産党エリート。理論的な力があるから、人脈を掌握しているから、民主集中制(軍隊組織)の原則があるから、それが可能なのだが、そろそろ引き際だろう。鈴木元や松竹伸幸はボロクソに悪罵するけれど、私の目からは日本で最も優秀な政治学者であり、尊敬に足る言葉を持った知識人だ。

■ 何をなすべきか ー 交付金を原資に公募で人材発掘を

順番に「何をなすべきか」を言おう。3月初に志位和夫が記者会見を開き、常任幹部会の決定として、政党交付金受け取りへの方針転換と上に挙げた新執行部の人事を発表する。自身の委員長辞任を言い、この間の党勢低迷と党批判騒動の混乱の責任をとる旨を表明する。記者会見は半日ぐらい時間をとって、全ての質問に答えて説明を尽くすことだ。志位和夫の能力なら可能で、説得的な場面を作ることができるだろう。後日、不破哲三の会見の場も用意していい。不破哲三の言葉も聴きたい。党首公選の要請については、今後の議論という方向でいいだろう。無論、松竹伸幸と鈴木元は除名は確定で、それに追随して党の右転換を謀った者たちも除名でいい。けじめは必要だ。除名しないと党のガバナンスが問われる。組織の規律が保てない。この点は会社経営と同じで曖昧な対応は許されない。断固たる処置と始末で新たな出発をするべきだ。

その次は、選挙候補者の公募に着手するべきである。政党交付金を受け取ると決めれば財政に余裕ができる。その資金計画を前提に、公募のプロジェクトを打つといい。これまでの「野党共闘」を清算し、右旋回の路線を止め、9条と25条を守る前衛としてのレゾンデートルを固めた上で、護憲革新政党の理念に共鳴する若い同志に結集を呼びかけ、政治家を志す有能な人材を発掘する作業に取り組むことだ。日本には、本当にその理念の実現に身を捧げようとする純粋で有能な青年はいないのか。マスコミやネットを見ていると、その姿はよく確認できない(ネオリベ右翼ばかり目につく)。だが、私は必ず発見できると信じたいし、本当にいなければ共産党だけでなく日本も終わりだ。非正規労働者の中に、学資ローン返済で喘ぐ者の中に、政治を諦め希望を失っている者の中に、必ずこの国の救世主となる誠実な若い逸材がいると思いたい。

■ アカデミアを立ち上げる - 理論研究、若手育成、海外交流

これまで、日本共産党は、宮本顕治路線の党建設と党運営を進めてきたため、組織の維持拡大は、まず大学構内を歩いている学生を民青同盟に入れるところから始め、民青の若者を経験を積ませて党員に、さらに幹部に議員にという方式で一貫させてきた。が、90年代以降、そのリクルート活動ができる条件が大学ですっかり失われ、人材が構造的に枯渇払底し、高齢化と組織縮小が慢性化する状態となる。結局のところ、吉良よし子の例のように世襲に頼って問題を解決するという、ジリ貧の窮策で凌ぐ歳月を重ねてきた。そろそろ発想を転換して方式を変えるべきで、志を持った有能な若者が自ら飛び込んでくる組織環境に刷新しないといけない。70年前の宮本顕治メソッドにしがみつくのをやめ、新しいマネジメント手法を構築するべきだ。過去の党建設の経験則はリセットし、ネットで応募者の能力資質を審査するシステムを確立すべきだ。

そうした展望を切り拓く上で政党交付金受け取りは有効で、最後に残った唯一の活路だと思われる。窮すれば即ち変ず、変ずれば即ち通ず。決断せよ。新しい党建設の上で考えていいのは、アカデミアを創立する構想である。敢えてアカデミアと呼ぼう。9条と25条の理念は、大いに人に同意され共感されるものだと信じるし、多くの若者が自らの人生とこの国の将来のためにコミットし挺身できる価値だと確信する。しからば、マルクスの理論と思想はどうか。マルクスの弟子たちの所産と系譜はどうか。本来、これらは大学で教えなくてはいけない古典の知識と教養で、アメリカではマルクスを必須図書にしている。だが、日本ではそれはなくなったし、最早望めない。であれば、党がアカデミアを作り、真理探求と学問研究の場を用意するべきだろう。そして、世界の Marxist や Socialist の団体と積極的に交流し、理論を発展させる事業をやるべきだ。

■ 9条の平和外交政策に戻る - 中国共産党と対話して橋渡し役に

本来、マルクスの党の活動家がやることの第一は理論研究だ。眼前の資本主義の構造分析だ。政策の設計と説得力の開発だ。運動のインプルーブメントだ。党のブランドバリューのアップだ。党のセンスアップの工夫と努力だ。新聞紙を配ったり押し売りすることではない。カンパ集めのノルマ達成の営業マンではない。政党交付金を受け取ることで、こうした忍苦の無限労働から専従党員を解放してやれる。党員も専従も中央委員(ダラ幹)も無駄に多く抱える必要はない。この点については、私は鈴木元の批判は当を得ていると肯首する。不破哲三は、理論研究では見事な才能で人を刮目させたが、組織運営については宮本顕治メソッドを墨守し踏襲しただけで、何のチャレンジもリフォームもなく、才覚なく無能の人だった。日本共産党は、無駄に重たい身内の共同体を囲い込んでいて、身内だけの言語と文化で殻に籠って生息している。

もう一つ、重要な問題を提起したい。外交政策である。今回の松竹問題の焦点は日本共産党が日米安保容認に転換するかどうかだが、党の右旋回が「野党共闘」路線の採択と同時に始まった事実は、これまでの記事で指摘してきた。特に問題だったのは、3年前の中国叩きの綱領改定である。これには私は大いに落胆させられたが、この機会にぜひこの態度と方針を撤回して、元のスタンスに戻る図を求めたい。すなわち、9条の原則で中国とアメリカの中間に立つことであり、日本政府と中国政府の間を仲立ちして関係改善の役割を担うことである。今、日本でそれをする党が一つもない。どれもこれも中国敵視で凝り固まっていて、日本国民の中国憎悪をマキシマムに扇動する工作ばかり興じている。9条の立場に立って戦争回避の努力をする党がない。日本共産党自身が中国叩きの先兵になっていて、左翼を中国との戦争に駆り立てている。

■ レゾンデートルの価値 - 侵略戦争に反対した原点に還れ

恥ずかしく情けないとは思わないのか。醜い裏切りだという自責と煩悶はないのか。伊藤千代子と高橋とみ子は、侵略戦争に反対して命を落としたのではなかったのか。どの国に対する侵略戦争だったのだ。中国に対する侵略戦争ではなかったのか。今また中国に対する侵略戦争(台湾有事)が仕掛けられようとしていて、アメリカが主導して、アメリカの国益のために日本を中国と戦わせる大規模戦争が始まろうとしている。日本を台湾有事に引き込む旗を振ったのは安倍晋三だ。その戦争プログラムに日本共産党が率先して協同している。小林多喜二や野呂栄太郎にどういう顔向けができるのだろう。それとも、党は創立100年で党名変更して解散しますと、もう決定済みで水面下でアメリカに通告済みなのだろうか。本当なら、すぐに委員長が北京に飛び、日中共産党の会合を開き、戦争阻止・対立緩和に向けての協議をしないといけない。台北に飛んで国民党と協議すればいい。

私はずっとその行動を提案し勧告してきた。今、それをやれば、東アジア(中国・台湾・韓国・ベトナム・フィリピン)の人々からどれほど大きな注目と評価が日本共産党に集まるだろう。世界の中で存在感を発揮できるだろう。新しい執行部にはぜひその動きを期待する。対米自立と平和外交の路線に正しく戻ることだ。以上。この提案内容を3月中に即断実行すれば、日本共産党は松竹伸幸と鈴木元の造反策動を切り返すことができ、また、彼らと結託している佞悪な反共文化人およびマスコミの壊党工作を封殺することができるだろう。4月の統一地方選への悪影響も防ぐことができ、逆に、世論と有権者の支持を得て党勢に活力を与え、衆院選で反転攻勢に出る基礎を固めることができるだろう。改憲発議阻止のモメンタムを作り得るだろう。政治の勝負はスピードが肝要だ。時間を無駄にせず、素早く実行に移してもらいたい。

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