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ジブリ新作映画『君たちはどう生きるか』の感想文の序論 - 予告なしの挑戦と対価と攻防

7月14日、封切初日初回上映の『君たちはどう生きるか』に行ってきた。梅雨の湿った曇り空で、時おり小雨が降り落ちる中、午前9時にシネコンに着き、窓口で切符を買い、館内のシートに1時間座って開演を待った。こんな経験は初めてだ。レビューは2度目を観た後にと考えていたが、とりあえずイントロダクションを書く。と言っても、見終わった当日、すぐにツイッター上に6本のコメントを並べていて、基本的にこの内容のとおりだ。ネタバレにならないよう配慮しつつ初見の印象を上げると、こうした抽象的な言葉が並ぶ。無論、これはツイートを見た者を積極的に映画へと誘うべく企図した、いわば私的なプロモーションで、作品に対して期待感を持ってもらい、ヨリ魅力を感じるよう動機づけようと作為した発信である。

公開から4日が経ち、少しずつ反応と感想がネットに上がっていて、気になってそれを目に通している。7/17朝にヤフーニュースに上がった記事では、「賛否真っ二つ、レビュー★1と★5に集中」と書かれていて、この情報が世間一般に与件として(先入観として)刷り込まれ、初期評価として既成事実化されようとしている。記事には署名がない。責任を負っていない。「Yahoo! 映画」のサイトに書き込みした3500人の評点をバックデータとして根拠にしている。無論、採点した投稿者は匿名だ。私の感想とは大きく異なる結果になっている。こうしたマスの「世論」データを頭から否定する意図はないけれど、私は、長くネットメディアの現象や構造を観察してきた者として、ヤフーニュースの悪意を微妙に感じ取る。土佐市カフェ問題もそうだった。

渋谷で私を騙したABEMAの腹黒い面々と重なる。一見して、クラウドでプレーンな評価や主張が単純に集計されただけの数字や結果に見せながら、そこにある種の「世論操作」のメカニズムがあり、狙った方向に全体を向かわせようとするネットメディア側の作為の所在を懐疑する。誰が編集しているのだろう。ヤフーニュースを編集している責任者は誰なのか。同じ操作と偏向と無責任は、5chにも傾向として看取できる。そして、いつもながらの現象だが、5chやヤフーのような大手メディアの悪意や偏向を疑うと、必ず匿名の誰かから、それに続く匿名多数から、「陰謀論」のレッテルが貼られて誹謗中傷される顛末になる。現代人は、マスコミの世論操作や偏向には敏感で、すぐに批判の声を上げるが、ネットメディアの偏向や扇動には鈍感で寛容だ。

という視線は、この映画評の記事やその掲載に対しては穿った見方かもしれない。けれども、例えば、広末涼子を、何故あれほどヤフーニュースが執拗に集中攻撃する異常なキャンペーンを張るのだろう。その疑念や詮索はメディア論として社会問題の範疇になるのではないか。私には一つの解があり、そこに広末涼子に対する広告代理店の特別な害意があり、芸能界周辺の思惑や嫉妬が絡み、両者の合意があり、ヤフーニュースの編集に反映されたものだと推断する。その図は、どう考えてもメディアの権力が行使された現実だ。今、若年層は新聞を読まずテレビ報道を見ない。ネットニュースを見て時事を知り、時事の世論を察し、何が多数意見なのかを状況判断する。ネットメディアの編集意図をクラウドの一般世論だと受け止める。それをマスの中立的価値観だと捉える。

そこから思考を伸ばせば、例えば、こういう推察と試論が可能だろう。マスコミを始めとするメディア業界(情報資本)は、今回のジブリによる予告なしの営業手法を快く思っていないのだ。なぜなら、金儲けさせてもらえなかったから。10年ぶりの宮崎駿のファンタジーの出現であり、大衆が待ち望んだ大作の公開であり、彼らにとっては大いに稼ぎ時のビジネスチャンスであり、前宣伝に絡んで期待を煽り、大衆を動員する役割を果たせるものと踏んでいただろう。だが、その欲望を潰されてスカシを喰らわされた。そしてまた、基本的に、現在のマスコミとネットメディアの業界人は、宮崎駿とイデオロギーを異にする。この点を指摘し暴露すると、すぐに右翼から「陰謀論」の誹謗中傷がカウンターされるが、私は、その種の現実を渋谷のABEMAで痛感し確信させられた。

今後、『君たちはどう生きるか』の世評がどう固まるか、注目して見守りたい。私自身の率直な感想を言えば、今回の作品は前回の『風立ちぬ』と異なって、宮崎駿の私的な思い入れを極力排除したところの、すなわち、観客全員がジブリに要求し納得し感動する内容が、満載されて提供されている。ジブリらしい、宮崎駿らしい感性と芸術性の創作だ。中盤から次々とファンタジーの場面展開が連続し、スピード感をもって観客を興奮させ、物語のミステリーが膨張と回収の凹凸の模索を繰り返す。異次元世界の設計の創意、幻想的環境の景観描写、建造物の意匠、部屋の内装の細密、etc、宮崎駿の想像力と美術力の見事さに感服させられ、同時に、あ、これは『ハウル』で見たなとか、『千と千尋』の演出が被っているなとか、過去作の場面と要素を想起させられる。それがまた満足感に繋がる。

世界中から愛されてきたジブリのキャラクターが、再現的に出演して観客の満足を誘う。宮崎アニメ作品が好きな者、それを母乳のように吸って育った者、夏休みに子どもを映画館に連れて行って思い出を作った親たちにとって、当作品に不満や不興の声が出るという事態は考えにくい。歓迎と満足でしかないはずだ。特に、誰よりも一足早く鑑賞に奔った者はそうだろう。悪評を返すという行動は想定しにくい。私の常識感覚ではそうなる。けれども、今回、ジブリに一杯食わされ、いわば足蹴にされ、予定していた金儲けの機会を失った業界連中(メディア資本)は、そうではあるまい。ジブリに対して嫌味な報復を仕掛け、宮崎駿と鈴木敏夫に一泡吹かせようと魂胆しておかしくない。9条と戦後民主主義に否定的な彼らは、『君たちはどう生きるか』というタイトル自体気に入らないだろう。

ジブリの巨大な文化的影響力を、この機に打倒したいという不埒な野望を抱いておかしくない。仮にメディア権力の側がそのように動き、日本での序盤戦を奏功させたとして、次の中国や韓国での作品評価と興行成績はどうだろう。その点が関心となる。新海誠の『すずめの戸締り』も、私の記憶では、日本で最初に公開したとき、爆発的なヒットを記録しなかった。韓国と中国で驚異的な観客動員を実現し、歴史的な偉業達成の栄冠となった。「アニメの日本」を世界に誇示し証明した。果たして、中国と韓国の人々は『君たちはどう生きるか』をどう評価するだろう。どれほど来場するだろう。世界で公開するときは、すでにストーリーも案内されていて、印象的な場面も前宣伝に使われるに違いない。何もかも秘密のまま封切突入した日本とは条件が違う。期待感を十分に盛り上げた上で劇場公開となる。

「映画.com」のサイトでは、ヤフーニュースのような辛辣な記事ではなく、もう少し内在的なレビューが署名付きで寄せられている。大塚史貴、岡田寛司など。中でも、私が同感だったのは五所光太郎の短評で、「宮崎駿監督作品のさまざまな要素プラスアルファがてんこ盛り…..という感じの124分でした」と総括している。職業柄、スタジオジブリに敵対的・冷笑的なコメントは困難という立場性もあるだろうが、素直で妥当な意見に聞こえる。「あるポイントから次々と魅力的な世界が数珠つなぎで展開され、見終わったあとは主人公と一緒に長い長い冒険をした気持ちになれる」という感想も、この作品の早期鑑賞に臨んだ普通のジブリ・ファンの感慨だろう。「124分間の苦行」とか「時間とお金を返して」という悪罵は理解できない。本当に作品を観た者が書き込んでいるのだろうか。怪しく感じる。

宮崎駿は『君たちはどう生きるか』の制作に7年かけた。現在82歳。構想を練り、企画を立て、6年間コツコツと絵を描いて完成させた。その間ほとんど表面に出ず、作品の中身についても触れなかった。老骨に鞭打ってアニメ作家の作業に徹した。スタッフの参加と助力は大きいけれど、基本的に、宮崎駿が自分の世界を描き切って世に送り出している。天才創作者の80歳を過ぎてのあくなき挑戦と努力。その結晶。われわれは、やはりその点を偉大だと思うべきで、敬意を表して感動するべきではないか。世界に誇る日本の文化を彼が作り出してきた。日本の子どもたちはジブリの教育で大人に成長したのであり、家族団欒の幸せもジブリのおかげで培われてきた部分が多い。ジブリ作品は世界から愛され尊敬されている。それが日本人と宮崎駿との関係の前提だ。日本の名誉をジブリが支えている。

どれほど大きな貢献か。恰もその前提と実績に唾を吐くような、日本の文化価値に悪意で傷をつけるような、卑劣な匿名の揶揄と罵倒は不愉快である。それを公論にしようとするヤフーニュースにも不信と嫌悪を感じる。まずは「御苦労さまです」と老巨匠にねぎらいの言葉をかけるのが当然の態度だろう。

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