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高知県土佐市で起きた「移住者カフェ」問題 - 浮かび上がりつつある真相と疑惑

高知県土佐市の「カフェニールマーレ」の退去事件。発生から6日が経ち、少しずつ真相が見え始めた。若い女性店長による告発の中身が衝撃的で、ひろゆきや滝沢ガレソに宣伝されて1億回を超える驚異的な閲覧数となり、事件を知ったほとんどが女性店長を応援する世論となって沸騰した。一見して非常に分かりやすい善玉と悪玉の対立構図であり、都会から田舎に来た若い移住者が理不尽な苛めを受けているという「被害」の表象であり、私も女性店長を擁護する視線で眺めていた。だが、ネットの集合知というものは手強いもので、次々と仰天する背景事実が掘り出され、また、法的な客観的関係性が根拠を元に整理され、私の心証は当初とはすっかり変わっている。最初は、新居浜市の事件と同様、高齢の地域ボスによる専横支配と移住者追い出しの悪事かと思ったが、むしろ、カフェの方がゴネ得の居座りを図った汚い騒動だった。

カフェ側への同情と土佐市への糾弾一色で染まっていたネット世論が変化し始めたのは、13日に犬山市議久世高裕の指摘と分析が発信されてからだ。「南風(まぜ)」が行政財産であり、そこに賃貸借を設定することはできないという基本命題に焦点が当たり、土佐市とNPO法人理事長の側に法的正当性がある旨が論理的に説明された。市によるカフェ側への退去勧告の妥当性が明確になった。また、高知新聞の報道で、カフェを経営する企業組合「アルバトーザ」と「南風」の指定管理者であるNPO法人「新居を元気にする会」との間に賃貸契約書はなく、施設の利用許可申請も書面で取り交わされてなかった実態も明らかになった。すべてが口約束と相互信頼の前提で動いていた。女性店長がイラスト漫画で告発している主張は、それらの重要な経緯と事情を隠した、すなわち、大衆の「判官贔屓」の心情に訴えて共感を調達する一方的な印象操作だったと言える。

あやうく騙されるところだった。新居浜市の一件があったので、私はすっかり、イラスト漫画に写真で登場する男性と女性が若い夫婦であり、東京で真面目にお店でもやっていて、純粋に夢を描いて高知に移住して来たのだろうと想像していた。別子山の若い移住者家族の像と重ねてカフェの二人を捉えていた。実際はそうではないのだ。二人の関係は怪しく不明である。女性の方は名前が出てない。男性はカフェの経営者であり、企業組合「アルバトーザ」の代表だが、普通の移住者ではなかった。東京のカフェダイニング・プロデュース企業「エスエルディ」(社長・青野玄)の元社員であり、いわば出向者として派遣された店舗のプロだったのだ。カフェニールマーレは、エスエルディ社が土佐市に進出・設置した事業拠点と言える。普通に総務省のサイト経由で応募した若者移住者の範疇ではなかった。女性店長が地域おこし協力隊員であったかどうかも現時点で謎だ。

さらに14日になって知り及んだ驚愕の事実だが、何と、青野玄が社長で永田順治が取締役の「クオリティー・オブ・ローカルライフ・土佐」という面妖な会社が2018年に設立され、土佐市の複合施設「ドラゴン広場」に事務所が置かれていた。すでに2019年にかけて2件の事業を行っている。土佐市と契約して事業収入を得ている。恰も土佐市の電通の如きポジションでコンサルビジネスを始めている。この事実には腰を抜かしてしまった。おそらく、20年度も、21年度も、22年度も、観光振興支援だの、農業漁業振興支援だの、宿泊施設の運営プロデュースだの、イベント企画制作だのの名目で、土佐市から事業費が流れていると推測される。傍からの目で比喩すれば、電通同様の「中抜き・丸投げ・寄生虫」の事業体だ。この株式会社「クオリティー・オブ・ローカルライフ・土佐」の従業員は何名なのか。「アルバトーザ」の組合員と重複はいないのか。

「カフェニールマーレ」については、そもそも「地域おこし協力隊」の事業であり、それを公共施設である「南風」の2階フロアを借りて行っていたもので、基本的には3年で終了である。営業を延長するなら土佐市と、すなわち市の指定管理人NPO法人と正式な賃貸契約を取り交わさないといけない。3年が終わった時点で、NPO法人とカフェ側の関係がどうだったかは情報がない。が、出発から5年後の2020年には両者の関係はひどく険悪になっていて、大家のNPO法人がカフェに退去を要求する対立関係になっている。そのため通常の契約関係には入れなかった。市役所が間に入って両者を宥め、モラトリアムの状態が続いたが、2022年6月にNPO法人と土佐市が書面で正式に施設利用中止・退去要請を通知、市のとりなしで2023年3月末まで猶予を与えられる推移に至っている。本来、カフェ(企業組合)は今年3月末に無条件で退去しなくてはいけなかった。

カフェ側は弁護士を立てて裁判所に延期(地位保全)の仮処分申請をしているわけでもない。市からすれば、筋の通らない我儘を言っているのはカフェ(アルバトーザ・永田順治)の方である。そして、カフェ側は5月10日に告発のツィート発信に出た。私は最初に告発マンガを見た瞬間、カフェ側の狙いは市から立ち退き料をもらうことだなと直観したし、双方が訴訟を睨み、金銭の攻防が意識されている気配を看て取った。訴訟となった場合は、裁判所は通常は和解勧告する。双方が応じて「金目」の交渉となる。市側はある程度の出費を覚悟しているのだろう。女性店長の口上では、この店を末永く続けたい、料理も好評で事業として成功している、地元民からも愛されていると強調している。が、それは真実かどうか分からない。眉唾だと思う。「ニールマーレ」の店の価値は何よりあの抜群の立地と景観にあり、他の土地に移って同じ売上と利益を上げられるかは微妙だ。

「南風」の2階でカフェが営業を始めたとき、異常に高額なキッチン設備を導入していて、その初期投資は土佐市が出している。費用がべらぼう過ぎるので、市議会で取り上げられて追及されるという一幕があった。「ニールマーレ」が他の場所で再び店舗を構える場合は厨房設備を新たに揃えなければならず、その金銭が必要なのだろう。私はてっきり、永田順治は獲るものを獲って土佐市を去る内心だと踏んでいたが、「クオリティー・オブ・ローカルライフ・土佐」の楔を打ち、電通もどきのコンサル商法で市政の事業に食い込んでいるということは、土佐市に住んでまだビジネスを続ける思惑なのだ。おそらく「ニールマーレ」を移転するほどの資金が「アルバトーザ」にはないのだろう。店はさほど繁盛しなかったし、地元(NPO法人)との軋轢が続き、コロナ禍があったため、内部留保を溜めるどころではなかったと思われる。

私がこの件を訝しく思った理由は、プロの仕事と思われる告発イラストを「ニールマーレ」の女性店長が上げた後、直後にひろゆきが拡散し、滝沢ガレソが拡散し、そして言論プラットフォーム「アゴラ」に記事が上がった点にある。さらに暇空茜が拡散し、東スポが記事を書き、いかがわしい極右ネオリベ系ばかりが注目と非難を糾合する音頭を取った。右翼を中心に土佐市叩き(田舎叩き)の連呼と叫喚が広がって行った。それに釣られて大衆による女性店長への支持と応援の勢いが増し、空前の閲覧数1億回が弾き出された。タイムラインを見ていると、2015年の安保法制のときに現市長が反対する表明をしていたという難癖が上がり、こんな左翼市長は叩き潰せという扇動ツィートがあった。全体に、この「祭り」を盛り上げたのは右翼であり、土佐市の地元でカフェ側で蠢動している者の言動も、右翼ネオリベ系のバイアスが強い。尤も、最近の若い世代はそれが標準で主流で常識だけれど。

政治は陰謀の過程と堆積である。流れを観察しながら、仕組まれた政治だなと判断せざるを得なかった。この付和雷同現象は周到に政治設計されている。ひろゆきが最初に着目して拡散したのは偶然ではあるまい。誰かが仕込んだ結果であり計画的な行動だ。5月5日の高知新聞1面に、秋の土佐市長選に立候補する新人の報道が突如出て、そのサプライズで地元がざわめいていた直後に、GW明けに、今回のカフェ側の怒涛の告発騒動が始まった。長く政治が消えていた土佐市で政治が始まった。明らかに二つの動きは関連している。カフェ経営者が、立候補表明した若い新人男性に同志的応援をコミットするメッセージを送っている。地元のカフェ側の一団(参謀本部)は、選挙で現市政を打倒し、新市政の革命政権を樹立して、老害のNPO法人を排除し、「南風」をカフェ側の自由にする体制に持って行こうと図っているようだ。いずれにせよ、土佐市のイメージは根底に落ち、全国的に悪名を轟かせた自治体となった。

マイナスの影響は想像を絶する。市のみならず、県の地域おこし協力隊の移住事業が深刻な打撃を受けるのは必至で、移住希望の若者から嫌忌され、拒絶され、候補地の選択肢からデフォルトで除外されてしまう。県内に移住して新規事業にチャレンジしていた若者たちは、心を傷つけられてモチベーションが下がっただろう。ディスカレッジしただろう。懸命に真摯に努力している周辺の市町村は呆れ果て、歯噛みして土佐市の失態と迷惑を呪い憤っているに違いない。今、少子高齢化に悩む過疎の自治体にとって、地域おこし協力隊の国の政策は命綱に等しい存在だ。今回の件は、地域おこし協力隊そのものに泥を塗り、不信感を醸成し、存在意義を否定する空気を誘導している。今秋の市長選挙まで、さらにその後も(嘗ての白バイ事件のように)ずっとこの問題が粘着され、マスコミとネットで繰り返し再注目・再認識され、日本中から高知県と土佐市が下卑た揶揄と侮蔑と嘲笑を浴び続ける。

高知県と土佐市の人間は、半永久的な汚名の十字架を背負わされ、この競争社会の中で不本意な足枷と劣後を余儀なくされる。身の置きどころのない、耳から火が出る恥辱の強制の境遇から解放されない。いったい誰がどう責任をとるのだろう。


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