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習近平個人崇拝のアナクロとナンセンス - 中国の セカンド・スーサイド を憂う

第20回中国共産党大会が開催され、先週から日本のテレビはこの問題の報道で埋まっている。党総書記の任期は2期10年という鄧小平が決めたルールを破り、習近平が3期目の政権に突入する。どうやら習近平は終身の独裁権力を目指しているらしく、毛沢東と並ぶ権威と権力を党規約で制定、確立させようとしているらしい。聞いただけで眩暈がするというか、呆れ果ててものが言えない。先週、何度か習近平の個人崇拝のキャンペーン映像が紹介されたが、噴飯の極みというを超えた、絶句し卒倒させられる内容だった。あの映像が中国の公共放送である中国中央テレビで流されている。

まるでオーウェルの『1984年』そのものだ。信じられないというほかない。中国人は、どういう気分であの倒錯の戯画を眺めているのだろう。文化大革命の狂乱の真っ最中に毛沢東の個人崇拝を敷き固めるべく制作されていたような、幼稚で滑稽な礼賛映像が、そのまま習近平に置き換えて編集されている。すなわち、中国では1980年代から途絶え、北朝鮮で金日成・金正日・金正恩とずっと続いてきたグロテスクなプロパガンダ映像が、中国で再生産されている。見させられるのは精神の拷問だろう。それ以上に、あんな映像を平気で流している中国政府の狂気の沙汰に気が滅入る。恐るべき退行の病理だ。

2015年にAIIB(アジアインフラ投資銀行)を設立したとき、中国は北朝鮮を加入させなかった。北朝鮮は国際社会の厄介者で、中国にとっても手を焼くお荷物の存在で、経済の実態が不透明で情報開示も不十分だから、AIIB加盟国の資格なしとして申請を却下した。この当時までは、中国指導部には、中国と北朝鮮とは「国のかたち」が違うという意識と基準があり、20世紀のスターリン・毛沢東型の路線を続ける北朝鮮を突き放す姿勢を持っていた事情が確認できる。だが、2019年に習近平が平壌訪問した頃には、両国の「国のかたち」の違いはすっかり取り払われ、毛沢東方式が両国共通の標準仕様であることが堂々と示威されていた。

気持ち悪いという言葉しかない。16年、17年、18年の3年間で習近平は正体を顕現させ、本心を隠さなくなり、自身を毛沢東と同じ存在に神格化する方向性へと進んで行く。今回、党主席ポストの実現は見送りになるという観測だが、3期目のどこかで必ず持ち出し、抜け目なく既成事実化するだろう。4期目に入る5年後は74歳。スローなペースで政治を固めるのがこの独裁者の持ち味だ。それと、おそらく、3期目のどこかでさらに歴史認識の書き換えをやり、文革期の批林批孔運動を模した反鄧小平キャンペーンを始めるに違いない。鄧小平・朱鎔基を全否定し、胡錦涛も党幹部団から外す展開が予想される。改革開放の意義を否定する歴史の書き換えに臨むはずだ。

真面目に力説する必要もない事柄だが、習近平が毛沢東と並ぶ崇高な指導的存在などと、冗談も休み休み言えと思う。愚の骨頂の言説であり、バカ丸出しとしか言いようがない。あまりにも荒唐無稽で論外なハリボテ政治表象のプロモートあり、言い挙げている者の正気を疑う。毛沢東はPRCの建国の父であり、ソ連のレーニンやベトナムのホーチミンと同列に位置する革命家だ。その地位は不動である。建国後の政策は滅茶苦茶で、国家と社会を破壊するだけの無能な暴君だったが、建国までの中国革命のリーダーとしての実績は崩せない。学識と知性はなかったが、インテリへのコンプレックスはあった。『毛沢東語録』という奇抜な独自の思想片言集を残していて、世界の若者に影響を与えたこともある。

習近平には何の政治的功績もない。カリスマ的要素の欠片もない。現在の中国の経済水準は、すべて鄧小平・朱鎔基・胡錦涛の政策方針と政権運営の所産である。習近平は何の貢献もしていない。経済の面で言えば、むしろ成長と繁栄の足を引っ張る舵取りばかりが顕著で、その悪影響は5年後10年後に低迷と衰退の現実として表面化するだろう。具体的には、例えばIT大手(アリババ)に対する締め付けなどがそうである。昨夜(10/16)の報道番組を見ていると、遠藤誉が出演して、習近平のIT大手統制策を擁護していたが、私はその主張の中身 - 中小企業の保護育成の正当性 - に同意しない。中国のIT大手の競合相手は米国のGAFAであり、この局面で統制などもってのほかだ。習近平の間違った思想が投影されている。

興梠一郎が、2年ほど前のプライムニュースで、習近平は教育を受けておらず知性がないと言い放った場面がある。隣国の指導者に対するあけすけな誹謗中傷だったが、正鵠を射た指摘だと私は思った。興梠一郎は、私の立場からは邪悪で憂鬱な極右反動のイデオローグだけれど、この認識には同意する。そして、この10年間、どうして党がこの男を排除する動きをしなかったのか、できなかったのか、その政治的な不能と怯臆を残念に思う。習近平の無知性は、その表情に如実に表れている。安倍晋三も無知性であり、トランプも無知性だが、習近平の無知性はタイプの違う(教育の基礎のない)無知性だ。確かな知性とセンスがないから、米国の警戒と反感を刺激する独善と傲慢の外交に出て失敗した。

毛沢東の思想で国家を指導したらどうなるか。その実物のモデルが北朝鮮である。北朝鮮に内発的な経済発展はない。自律的な科学技術の発展もない。かろうじて平壌周辺の経済状態が極貧と飢餓を免れているのは、年率2桁の経済成長を30年も続けて「世界の工場」となった中国が隣にあって、トリクルダウンの恩恵に浴してきたからだけの理由による。毛沢東的な独裁者が神のように君臨し支配する兵営国家では、個人や私企業が自由に経営を拡大する論理的な余地がない。教育で得た知識・知見を個人が社会の発展と繁栄に結びつけられない。市民社会が豊かな土壌を築くことができない。科学の研究は自由な思考環境がないと生育せず蓄積されないのに、北朝鮮的なイデオロギーの拘束は科学的な考察や探求を抑圧し阻害する作用しか及ぼさない。

しかし、こんなお説教は日本の一市民が披露するまでもなく、中国人が実体験で嫌というほど理解しているはずだ。文化大革命の恐怖と地獄があったからこそ、それを全否定した改革開放の出直しがあり、市場経済の発展と経済大国の達成の物語があった。その中国人が、自ら毛沢東の再来を志向し、北朝鮮モデルの国家建設を純粋に追求する習近平を、なぜ権力トップの座に置いたままにしているのだろう。文化大革命時代の個人崇拝の悪夢の中国に戻っているのだろう。習近平思想が必修化された中国の教育課程は、文革期の不毛なカルト教育と基本的に変わらない。その教育の目的は、北朝鮮的なロボット国民の養成であり、北朝鮮的的な「理想国家」の実現である。中国として自殺行為そのものではないか。セカンド・スーサイドの暴走だ。

中国は、現在世界第二の経済大国である。そして、国連の常任理事国である。だが、それにふさわしい影響力・ソフトパワーを持ち得ていない。日本がGDP世界第2位の経済大国だった頃、すなわち80年代の平和日本は、東南アジアなど周辺諸国に影響力を持ち、大いに支持され信頼されていた。他ならぬ中国が日本をモデルとして学び、北方領土の日本帰属を支持し、日本の国連常任理事国入りに賛同する態度まで見せていた。現在、中国の孔子学院政策は失敗しているし、失敗は必然だと私は確信していた。世界が中国に期待しているのは、そうした中華思想・中国ナショナリズムの文化外交ではないのだ。市民革命後の近現代の基礎たる普遍的な文化や法規範を前提し包摂した、アッパーコンパチブルでハイクオリティな中国なのである。

「中国の夢」などアナクロもいいところだ。最新の報道で、中国の北京大学と精華大学は英教育誌のランキングで世界第16位になっていて、東京大学よりも高い評価を得ている。アジアやアフリカから大量の優秀な大学生が中国の大学に留学生として来ている。だが、この成果と現状は、鄧小平・朱鎔基・胡錦涛と続いてきた中国の経済成長の成功の延長線上のものであって、習近平の成果ではない。逆に、このまま習近平のアナクロ路線を続けていれば、いずれ北京大も精華大も教育研究の質を落とし、魅力のないアカデミーになるに違いない。たとえば、誰が、平壌の大学に留学したいと考えるだろう。今、中国の教育環境は習近平の恣意と妄想によって強烈に歪められている。北朝鮮と同じだ。教育だけでなく、国の政策全般がその傾向を強くしている。この変化は確実に国際競争力を落とす要因になる。

第1次天安門事件という出来事が1976年に起きている。4月5日に発生したので四五天安門事件とも呼ばれている。1月に死去した周恩来を追悼するため人々が捧げた花輪が当局によって撤去され、怒った民衆が抗議行動を起こし、毛沢東の子分である四人組が権力を握る政府に鎮圧された事件である。直後、周恩来の後継者として人々の期待を集めた鄧小平は、四人組によって再び失脚させられるが、9月に毛沢東が息を引き取ると即座に復活して四人組に反撃し追い落とす。こうした経緯があった。衝突の規模は大きくない。第1次天安門事件のような政変が起こってもいいのではないかと思う。選挙による政権交代が制度的に不可能な中国だから、別の方法で権力をチェンジするしかない。次を担える人材が粛清で果てる前に、中国式の民主主義で政権交代を図るべきだ。

遠藤誉の解説によれば、アメリカによる台湾干渉と中国への圧迫は、中国民衆の愛国心の高揚に拍車をかけ、習近平独裁の下に結集するモメントを強める効果になると言う。強権独裁は外敵からの脅威と挑発によって安定に向かうと分析する。確かにそうかもしれないが、それだと北朝鮮と同じで、ハリネズミとなって孤立し逼塞するだけだ。アメリカとの「競争」に勝てる対応ではない。中国がアメリカに勝つためには、経済で確実に追い越さないといけなくて、そのためには、今のデカップリング政策やハイテク産業潰しの経済制裁を中止させないといけない。もう一度、謙虚な姿勢で韜光養晦路線に戻り、国際市場で中国のハイテク企業を伸ばす必要がある。アメリカとのコンパチビリティとインターオペラビリティを確保し、外交ポーズにせよ対米協調関係を復活させ、世界を再度一つに修復した上で、事実として競争に勝つ必要がある。

つまり、鄧小平の路線に戻すことである。外交は賢くないと勝てないし、愚かな弱者は生き残れない。インドとの関係修復も同様であり、この際、雨降って地固まるで、思い切った国境問題解決の提案を出せばいい。私なら、インドの要求を丸呑みするか、ロシアのときと同じように物理的に面積折半で妥協する。南シナ海も同様で、フィリピンとベトナムの要求を丸呑みし、習近平体制以前の原状に戻す。21世紀のアジアの指導国になり、アメリカを追い越す世界の覇権国になる意志と野望があるのなら、この窮地でそれくらいの戦略的妥協はできないといけない。鄧小平がいま生きていれば、この打開策を決然と(革命指導者らしく)実行するだろう。台湾問題ではアメリカに譲歩する必要はない。17年前の国民党・連戦との両岸首脳会談の線に戻す努力をすればいい。

台湾はあくまで中国の一部であり、その認識と立場はPRC(人民共和国)もRC(民国)も同じである。二つの中国はない。香港とウィグルは胡錦涛時代の原状に戻す。

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