見出し画像

これから失われる言葉

 お気に入りのパン屋さんがある。車で15分もかからない商業施設の一角にできたそこまで大きくない、フランチャイズのパン屋だ。個人でやっているパン屋さん、の方が趣はあるのかも知れないけれど、フランチャイズはフランチャイズでしっかり美味しい。種類は多く、生地は種類によってもちもちだったりカリカリだったりサクサクだったり。あんパンがこしあんなのは少し残念だけれども、とにかくオープンしたときに興味本位で行ってそれからずっと通っている。

 週に一度そのパン屋さんにいくのが日課なのだが、その日はタイミングが悪く、お店に行ったときにはいつもの6枚切りの食パンは売り切れていて、あるのは4枚切りの厚手のものだけだった。
 家族は食パンはうすい方が好きで、本当だったら8枚切りの方がいいけれど、このお店のラインナップとしては4枚切りか6枚切りしかない。お願いすればやってくれなくもないのだろうけど、頼むのもなんとなくはばかられてしまう。
 4枚切りでも買うべきか、食パンは今回はここでは買わず、夕飯の買い物のと木にスーパーで買うか、少し逡巡していると、そうこうしているうちにも4枚切りの食パンもどんどんと他のお客さんの手に取られていく、結局4枚切りの食パンをトレイに載せた。
 中学生の息子と、主人のためにソーセージの入った物やピザやカレーパン。甘いクリームパン。そして4枚切りの食パン。色とりどり、というわけでもないのにトレイの上は賑やかだ。

 おそろいの白シャツの上にエプロンを掛けたアルバイトらしき子がお会計をしてくれる。器用にビニールの小袋に惣菜パンをいれて、最後に大きい袋にパンをまとめてくれる。お会計をしてお店を出ると、風が強いのだろう、雲が急ぐように空を駆けていた。

 家に帰って、ふと思い立って4枚切りの食パンの1枚取り出した。確かに厚みがある。でもふっくらとしていて好ましい頼もしさだ。
 包丁をとりだして、縦に2本横に2本切れ目を入れる。手で軽く曲げてあげると9つのブロックが露わになる。バターを、正確にはバター入のマーガリンを、たっぷり塗ってトースターで焼く。熱に焦がされていくと、溶けたバターがブロックの隙間にしみこんでいく。
 トースターの「チン」という音が、静かな室内に響いて完成を知らせる。
何の変哲もない切れ目を入れたトースト。でも、このトーストには私だけの名前がある。「マリムラのトースト」という。
 どうしてそんな名前なのか、それは私の母がそう呼んでいたからだ。
 子供だった私に、「一緒に食べよう」といってよく母はこのトーストのブロックをちぎってくれた。「美味しいでしょ」食べる前からそう微笑む母の顔は、私の中に日常の祝祭的な風景としてずっと残っている。
 母がまだ若かった頃、それは子供時代の私には世界の誕生の前史ようなものだったけれど、よく行っていた喫茶店で出されたのがこのトーストで、喫茶店の名前が「マリムラ」といったそうだ。だから「マリムラのトースト」と母は呼んでいた。

 今となってはその「マリムラ」が「まりむら」なのか「真理村」なのかわからない。もしかしたら「マリムラ」ですらないのかも知れない。
 でも私にとっては「マリムラ」で、これは「マリムラのトースト」なのだ。そう思うときに、母とのつながりを静かに感じる。

 息子に何かそういうものを私は残しているのだろうか? そう思っても何も思い浮かばなかった。このトーストのことを伝えようかと思ったけれど、少し機を逸してしまっている気がした。
 それと同時に、私の中で終わらせてしまいたい、というエゴイスティックな気持ちもあった。たかが小さな、誰にも通じない言葉。それでもひとつのものが息絶え、失われていくというのは、私をなんとなく愉しい気持ちにさせた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?