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第2章 さっちゃんはかわいいスカートをはかせてもらえていいな【3/12】

親の都合と好みで決められてしまったわたしの身なり

母はわたしが4歳の時から働き始めたため、私たち子どもは保育所へと預けられていた。当時わたしが住んでいた地域では、就学前の1年間だけ通う幼稚園しかなかったため、その年齢に満たない子どもは全て保育所にて受け入れられていた。

入園した年、あおぐみに入ってすぐに仲良くなったのがさっちゃんだった。

さっちゃんはとてもかわいい女の子で、いつも髪の毛を2つにくくってもらい、ふんわりとしたかわいらしいスカートをはかせてもらっていた。わたしにはそれが羨ましくてたまらなかった。

一方私は「冷えるから」という理由で、ズボンばかりはかされていた。わたしが冷えて風邪をひいて仕事を休むことで職場の人に迷惑がかかるのを、母は恐れていたのだ。

そしてお出かけとなると、どこで手に入れたのか知らないが、鮮やかな緑のツイード生地に、黒で縁どりされた真っ赤なバラの刺繍が胸ポケットに施されたパンタロンのスーツをわたしに着せようとするのだが、わたしはそのスーツが大嫌いだった。

それを無理矢理着せ、
「やっぱパンタロンのもんじゃ。かっこええわ。」
と、満足気な父母。その写真が残っているが、わたしの顔はそれとは対照的にぶすりとしている。

※〜のもんじゃ=〜のものだ=今の流行り言葉で表すと、〜しか勝たん

「わたしもさっちゃんみたいにかわいいスカートをはきたい」

髪の毛も伸ばして可愛くくくったりしたいのに、散髪はいつもおうちカット。手先が器用な父が担当し、伸びるとすぐに強制的にショートに切られた。朝、髪の毛をくくる時間の短縮のためだ。

散髪だと言われると切られるのが嫌で必死で逃げるのだが、無理矢理捕まえられてハサミを入れられる。そしてその出来ばえに満足したことはただの一度もなく、終わって鏡を見るなり火が付いたように泣き叫ぶのが常だった。

ズボンをはいたショートカットのわたし。『こうありたい』自分からはおよそほど遠く、自分の意見をきいてもらえないという不満を日々積み重ねていた。


漫画の禁止

漫画は我が家では悪しきものとして扱われた。小学校に入学する頃から周りのお友達は「なかよし」や「りぼん」を買ってもらっていて、それを読んだ上でのおしゃべりの輪に入れないことも悲しかったが、わたしにはその付録がまた羨ましかった。ペンケースやメモ帳、シールなんかもあったっけ。

祖母の家に行くと、いとこのナオミ姉ちゃんがとっておいてくれた付録をくれるのだが、もうそれが本当にうれしくて、減るものはもったいなくて使えなくて、つい最近まで持っていて子どもに使わせたものもあるくらいだ。

代わりに、書店で予約してあった学研の「学習と科学」は毎月届いた。「学習」を取っている子は多かったが、「科学」は珍しがられたものだ。

振り返ってみると、母は職場の人々の考え方や反応に敏感で、常に物差しがそこにあったように思う。

●良いもの
学習と科学・NHK
●悪いもの
漫画・炭酸飲料(特にコーラ)・ファーストフード・合成着色料や添加物

たまに学習と科学に漫画が載っていると、貪るようにして何度も読んだ。また、コーラやハンバーガーは嫌いだと友達には言っていた。

このように小学校に上がった頃からは、たいして反抗せず、自分の希望も言わず、与えられたものの中から小さな楽しみを見つけていた。


風(ふう)が悪い

「風(ふう)が悪い」というのが、両親の口ぐせだった。わたしの故郷の方言で、風とは、風体が語源だと思われる。つまり、体裁=世間体が悪い、恥ずかしい、という意味で、何かにつけて「風が悪いからやめろ」と怒られた。

逆のこともあった。ある日、ショッピングセンターのお店で弟がトムとジェリーの腕時計を欲しいと言ってきかなかった。しまいにはゴキブリのようにおなかを上に向けて床に寝転んで騒ぐので、風が悪いから『買う』ことになった。

余談だがその腕時計は今、なんと私の娘が使っている。なんでも捨ててしまう母が「なんだか捨てられなくて…」とずっと持っていたのをわたしが譲り受けたのだ。近所の腕のいい時計屋さんに持っていくと珍しがられ、基盤の中で古くなって粘性を帯びた油を丁寧に掃除してくれたことで動き出した。今日もごきげんに時を刻んでくれている。

母がその腕時計を捨てられなかった理由はまだちゃんときいていない。


子供会の運動会の写真

わたしが小学校3年生くらいの頃のこと。夕方、子供会の役員をされていた近所のおばさんがその少し前に開催されていた子供会の運動会の写真を見せにきてくれた。

うちの庭の真ん中におばさんと母が立った状態で、自分たちの腕の高さでアルバムをめくる。わたしはそれを見たくてぴょんぴょんと飛び跳ねながら、途中で一度、
「わたし、写ってない」と言い、最後まで見ても1枚も写ってなかったのでもう一度、
「あー、わたし写ってなかった…」と言った。

母たちが世間話を終え、お礼を言って別れて玄関に入った瞬間、左の頬に激しい衝撃と痛みが走った。母から平手打ちを食らったのだ。全くの不意であるがためにそれは相当な痛みであり、文字通り「ギャー!」と泣き叫んだ。そして母はそれに追い打ちをかけるように、
「あんたが写ってないって何回もゆうたら、ようない(申し訳ない)じゃろ!」
と、激しく叱責した。

わたしにしてみればそこまで悪いことをしたとは思えないし、外でニコニコしていたくせに家の中に入った瞬間に鬼の形相に変化して手まで上げられ、その理不尽さからしゃくりあげて長い間泣き続けたことを覚えている。

小学校低学年の子どもなら、深く考えずに失礼なことを言うこともある。そんな時はその場で一度注意したらいいし、それでもやめなければ家に入ってからきちんと話したらいい。未熟な母は、自分の優しいイメージを守るのに必死で、子どもの気持ちなんか全く考えてないようにわたしには見えた。

そして皮肉なことにこの経験から、わたしは心の中で充分に反芻してから言葉を選んで口にするという習慣を身につけることとなる。

伯母のチーズケーキ

小学校4年生のころのある日、母がスフレチーズケーキを伯母(父の姉)からもらってきた。家族で切り分けて食べ、「美味しいね」と満足して言うと、「美味しいのにこれ、とっても安いんだって」と、母が教えてくれた。安くて美味しいなんて最高のチーズケーキだと思った。

その伯母にはわたしと同学年の息子がいて、つまり彼はわたしのいとこにあたるわけだが、そのいとこが塾に行くことになったので、ようだいちゃんも一緒にどう?と言われて、勉強が嫌いではなかったわたしは、興味も手伝って誘いにのり、一緒に通っていた。

その塾の教室は遠かったので、伯母の仕事が終わったら職場から近いわたしをまず車に乗せ、自宅に寄っていとこを乗せて送り届けてくれるのが常だったのだが、ある日わたしを乗せて自宅に向かう道中で
「ようだいちゃん。これ持って帰り。」
と、例のチーズケーキをくれた。
「わあ。これ、安くて美味しいんよね。」
…もちろん大人になったわたしはこのようには言わない。でも、子どものわたしはそう言った。

後日、仕事から帰った母が低い声でわたしに言った。
「あんた、あのチーズケーキのこと、おばちゃんに安いって言ったじゃろ?あんたのせいでお母さん、『子どもに物の値段のことを言うものじゃない』っておばちゃんに怒られたんよ。」

…知らんがな。
伯母の考え方の是非はともかく、これは母が怒られたのだ。伯母はわたしのことには全く触れていない。自分が怒られたことを筋違いで子どものせいにするのはおかしい。
でも、それをおかしいなんて当時のわたしには言えなかった。


大好きだったナオミ姉ちゃん

このように、家庭の中で自分の意見をきいてもらえず不満を抱えながらも反抗や主張はせず、何よりも世間体を気にする両親に気を遣い、母に理不尽な怒り方をされても我慢してきたわたし。

上記の『漫画の禁止』で登場し、以前にもこのnoteで記事にしたナオミ姉ちゃんは、わたしの心のオアシスでした。

ナオミ姉ちゃんがわたしの本当のお姉ちゃんだったらな、と何度思ったことか。辛くても、わたしの心落ち着く場所があったこと。本当にナオミ姉ちゃんには感謝しています。

最近バレーボールでとっても嫌なことがあったんだよ。辛くて苦しくて、何にも手をつけられなくなって…いっぱい泣いたよ。でも、もう一回がんばってみようと決めたよ。うん。決めたんだから。ナオミ姉ちゃん、空からわたしのことを見ていてね。


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