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本を読むことは半分、もう半分は自分を読む

いつからか気に入って使ってる言葉。

本を読むことは本の情報を頭に入れるだけではないと思う。これは本を読んでも頭に入らない言い訳でもあるんだけど、その時々で得られるものはかなり違う。

今たまたま西野亮廣の新世界を読んでいた中で、「しるし書店」という話があって、急にこのことを思い出してブログを書き始めている。

「しるし書店」は本を読むときに線を引いたら、メモったり、汚しながら読んでしまった本のみを扱う書店だ。ブックオフに売れないやつ。

こんなものに価値があるのか?と思うけど、有名な人、信用を持ってる人、気になる人が汚しながら読んだ本はやっぱり気になるよね。実際に定価以上で売れてる本もたくさんあるんだとか。

なんかこれを読んだときに、本に書いてある情報は同じだけど、そこから読み手が得る情報は同じとは限らないし、それを読むことでその人の頭の中の別の部分が刺激されて全然違うアイディアが生まれることもあるよなぁと。

それが反映されているなら、確かにしるしが入った本は面白いよね。

僕は本を読むことは好きなんだけど、情報のインプットだけとは違って、読んでる時間、考えてる時間が好きなのかもしれない。

だから、読書と言いつつ、映像とか景色を見てる感覚に結構近い。

ほんとは良くないんだけど、読んだ後に内容覚えてなかったりするし、読んだ内容を要約せよ、とか言われるとほんとお手上げ🤷‍♀️

それでも読み続ける。

何か考え事するときに、やっぱり自分の軸一つだとなかなか発展しなくて、そんなときに本を読んでいると、そこからのインプットと相まって、新しいこと思いついたりすることがある。

それを「自分を読む」と言ってる。正直日本語として正しいのか全くわからないけど。

本を読むのが苦手な人って結構いると思ってて、僕も昔は全く読めなかった。まぁ無理して読む必要はないんだけど、やっぱり読んでるとそれなりに視野は広がるし、読んでてよかったなと思う。

「本を読むことは半分、もう半分は自分を読む」

今日は大崎のTSUTAYAに来てる。

最近スタバが併設されている本屋が増えてきて嬉しい限り。買わなくても読めるしね。

さて、もうちょっと読んでいこーっと。


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