あの夏の記憶は曖昧過ぎて

いつかの年の、8月某日
夕陽が電車の中を射す。

座る側を間違えた、と思った。
椅子は車内の左右に長いベンチのように位置している。
しまった、と思った時にはすでに遅い。わたしは夕方の太陽と対峙する方に座ってしまったのだ。
沈みゆく夕陽は嫌というほど私の顔を照らしてくれる。煌々と。

今更立ち上がって向かい合う椅子に座り直すこともしたくない。なんとなく、、だけど。

正面には小説を飲みながらたまにリュックの中からワンカップを取り出してぐいっと飲み、またリュックにしまうという行動を繰り返すおじさんが座っている。いや,おじいさんかもしれない。なにせ夕陽のせいで顔がきちんと見れないのだ。

なんの小説を読んでいるのだろう、、、ワンカップ、取り出したりしまったりするくらいならもはや堂々と飲んでほしいなあ、、とか思ったり。

でも、ワンカップって蓋閉めてしまったりできるんだっけ?あれ?って、とんでもなくどうでもいい疑問が持ち上がる。全てはあの煌々と照らしていた夕陽のせいだ。そういうことにしたい。

とりあえずその時は、電車内でお酒をこそこそ飲みながら、小説を読むそのおじさんが気になった。

いや、気になるフリをしていたのかも。
そうでもしないと心が騒々しくて仕方なかった。

夏の始まりに、恋をした。

背が少し小さくて、でもわたしより5㎝くらいは大きくて、目は切れ長で口が少し大きい男の子。笑うと大きな口が横に広がって、綺麗にそろった歯がこんにちはと顔をだし、切れ長の目はさらに細くなって優しい目になる。その笑った顔がとても素敵な男の子に、恋を。してしまった。

人混みが昔よりも苦手になったはずなのに、人の多い街へ足を運ぶ。しかもその足取りは軽い。これぞ恋の魔法だ。なんて気持ち悪いことまで思ってるから、恋愛をすると脳内に分泌されるらしい幸せのホルモンは恐ろしい。

これってひと夏の恋ってやつかな?ひと夏になってほしくないなあ,できれば秋も冬も君に恋していたい。

なんて感傷に浸りながら、向かう。今日は何を話そうかな。この服装変じゃないかな。可愛い、って思ってくれるかなあ。

待ち合わせまであと1時間。

待ち合わせまでの時間てなんでこんなにそわそわするのか。                                          心が、ぎゅうぅうってなってる。不思議だ。でもこれが、気持ち良く感じてしまう。心地が良い。


ワンカップおじさん。ワンカップおじさん。

そんな言葉を頭に鳴らしながら気を紛らわす。


待ち合わせ前。
このどきどきよ、永遠か〜〜!!!



その日,わたしと彼は確かお互いビールで、再会を喜びそっと乾杯をした。たくさんいろんな楽しい話しをして、心が埋め尽くされた。



今宵はひとりでビールをすすっている、仕事の帰りに疲れた体をアルコールに預けたくなって。

曖昧で不確かで本当は夢だったのかもしれないなんて思ってしまうくらいに優しい記憶を思い出しながら。


ひと夏の恋をして、君に焦がれたあの夏、あの瞬間に、乾杯を。



#あの夏に乾杯 #ショートストーリー #エッセイ


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