誰かとの未来を創造するのが億劫だ

人間はひとりでは生きていけないのは痛いほどに分かっている。のに。
わたしのように社会不適合かつ人間不適合な者はなおさら。なのに、人と過ごす規則的な毎日に少し嫌気が刺してはひとりでいたいと思ってしまう。

毎日働き、ご飯を食べて、寝て、空いた時間は趣味の時間に、そしてたまに遊んで、いつかは結婚をし、子供を産んで老後をゆっくり過ごす、、、???

と、そんな想像を現実に落とし込めるように人間は毎日試行錯誤をして幸せと名前のついたリアルを追い求めている。

たぶんそれが人間的本能、欲求。なのだと思う。

わたしにはそんな本能が備わっていないようで、幸せと名のついたそのリアルに全く魅力を感じない。

誰かと生涯を共にするというのは、1つの目標に向かって2人で頑張って生きていくということなのだろうけれど、(家を建てよう、子供を作ろう、とか)そんなことを全く考えられないわたしはやっぱり人間不適合者なのかしらん。

共に住んでいる恋人がいるにも関わらず、そんな考えには一切及ばず個人の事しか考えていない。誰かとの未来を想像し、創造していくことができないのだ。

周りの友達は着々と自分の追い求める幸せを手にするために奮闘し、歩みを進めていく。それを高みの見物かのごとく輪の外から眺めては、わたしとは違う世界に生きている人達なんだなあ、と感じる。

20歳あたりの頃は、焦燥感に満ち溢れていた。何者でもない自分の存在に。

30歳手前の今は、そんな焦燥感にはもう襲われなくなったが、"幸せ"を人と違う価値観で捉えている自分に戸惑い、世の中とのズレを感じ、マイノリティで生きていくことへのしんどさを思う。

''幸せ''を人と違う価値観で捉えていると言ったが、世間のいう幸せにはついていけない、でも自分の幸せが何かが結局のところ分かっていないのだ。

そんな曖昧模糊とした自分の価値観に、今更???と思い辟易とする。

どちらにしろ、人生をこの先どう生きたいか、が自分の中ではっきりとしていないのに誰かとの未来を創造していくなんて、無理難題。

結婚式より葬式が好きだ。葬式には未来がなくて過去しかないから気楽である。
谷川俊太郎著書「ひとり暮らし」より

そんな文章が心に残ってしまうわたしはやっぱり人より何かが歪んでいるのだろうか。

幸せになりたい、なってね、なろうね、の未来への幸福を描く言葉を心から発せられる日がいつかくることを願う。自分自身に。
そんな日がもしもやってきたら、わたしはやっと、少しだけ不完全な人間さから抜け出せるのでは?と期待をする。

そんなことをつらつらと書きがなら、

ああ、空が晴れる日はいつくるのだろうか。
と晴天の空を眺めて思う。

#エッセイ #日記 #小説 #ショートストーリー

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