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ことばをもらう

「よしお、自分でドラマを大きくしない。もっと小さな世界。小さな世界。」

かつて演出家の鄭義信さんに何度となく言われたことばだ。
ぼくは自分自身の人生をドラマチックに捉えてしまいがちだ。それが素敵になる瞬間もあれば、独りよがりで自分に溺れている状態になってしまうこともある。

演劇はとてもドラマチックだ。
日常の非日常的な瞬間を切り取って、それを俳優が演じる。
だからこそ日常では起きない出来事に対して、日常を生きるぼくはどこか大仰になってしまう。

例えばひとを殺めてしまうシーン。

ぼく達は基本的にひとを殺めたことはないし、今後も殺めることはない、はずである。
だから俳優として「ひとを殺めるとはなにか」ということを様々な視点から考える。そして想像をする。それを身体で体現していく。

しかしそれはあくまで想像でしかないのだ。

ここで大仰になってしまいがちになる。
考えれば考えるほど、ひとを殺めるという行為は重い行為であり、ひとつひとつの瞬間に意味を持たせたくなってしまう。

しかしひとを殺める瞬間、本当にそこまでのことを考えているだろうか?
もちろんそこに至るまではさまざまな思考が巡っているだろう。しかしその瞬間である。

きっとそれは、小さな世界で起きている出来事なのだ。

と、ここまでが鄭さんに言われたことばをアウトプットしてみた結果である。現時点での結果だ。

「もっと小さな世界。」

なんて懐が深くて、どこまでも答えのないことばだろうか。

ぼくは鄭さんに頂いたことばを事あるごとに自分の脳内で唱えている。だからどんな瞬間にこのことばが必要になるのか、感覚では分かっているのだ。
でもどんな瞬間にこのことばが必要になるのか、それを説明するには至らない。

昔、あんなことを言われた。あの時は何を言われているのか分からなかったけど、今になっては分かる。

そういう経験をよくする。

きっと鄭さんに頂いたこのことばもいつかはっきりと分かる瞬間が訪れるのかもしれない。

なぜこの話をしたか。

オープンレターを書いた。
内容自体は良かったし、オープンレターという企画もワクワクする。

でもどこか大仰だった。
ふと自分でドラマを勝手に大きくしていることに気づいてしまった。

日常を大仰にしてしまう。これはぼくの癖だ。
自分の癖に気づいたら「ああ、自分にはこんな癖があるのか」と認識する。認識し続ける。
そうするといつか、日常を大仰にするという特殊技能を意識的に使えるようになるはずだ。

悪いことじゃない。でも自分の癖に意識的になる。
鄭さんの言う「小さな世界」に少しでも近づけるように。

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