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第8回 雪が降れば思い出す

昼過ぎから、結構ちゃんとした雪が降り続いている。私の軽自動車の上には、すでに5cmほどの雪が積もり、屋根だけ見たらもう車体の色はわからない。これは…、明日雪かきをしないといけないレベル。とはいえ、関東の中の私が暮らす地域には、そもそも車のタイヤを履き替える習慣が存在しないくらい、雪が珍しい。ゆえに、雪かき道具なんて通常は持ち合わせていない。

でも大丈夫か。この程度なら、外に放り出してあるデッキブラシと、玄関掃除用のちりとりを使えばいいのだから。こうした発想は、過去に3年ほど過ごした福島県での生活の賜物である。きっとあの経験がなかったら、「スコップがないから雪かきができない」とか真顔で言っていたと思う(実際、東北の雪かきは、ちりとりでは難しいのだけれど)。

さて、縁もゆかりもない東北の地へ、うっかり転職したのは10年ほど前だったか。ある日、ドカ雪が降ったので、上司に電話した。「あの、今日すごい雪なので、会社お休みですか?」私の生まれ育った地域だとしたら、交通網が完全に麻痺して出社できる人がいない感じの雪だったため、てっきり休みだと思ったのである。

ところが、上司は言った。「どどど、どうしたの? ふ、普通にあるよ? え、待って…。えっと、えっと、あ、大雪初めてか! そっか、わかった! 近くの人を迎えによこすから、今日は運転しちゃダメね。待っててね」今思うと、めちゃくちゃ心優しい対応に涙が出てしまうが、当時の私の東北文化への理解度は3歳児並みで、こんな日でも働くなんて、すごいところに来ちゃったなーとびびったもんである。

ほどなく、雪のせいで道路状況が良くない日には、近くに住む同僚が送迎をしてくれるという習慣が出来上がり、それは関東への転勤辞令が私へ下されるまでの3年間、変わらず続いた。彼は私と同い年で、宮城県生まれのスノーボードが趣味の男だったため、雪道にはめっぽう強かったのである。

それにしても、頼りすぎもいかがなものか。何度か「今日は自分で行ってみようと思う」と伝えたこともある。しかし彼に言わせると、私の運転は「良くも悪くも教科書通りで不安になる」のだそうだ。そんなこんなで、彼には冬季限定の「ドライバー」というあだ名がついた。あまりにサービスが手厚かった、手厚すぎた。たとえ私のドライビングスキルが、教科書通りのポンコツだとしても。そこで、ふと助手席から問いかけたことがある。

「もしかして、私のことが好きなの?」

こうした問いかけは、相手にその気が一切ないという確信がないとできない。少なくとも私の場合は。つまりこれは、雑談の一部として放ってみた言葉遊びの一環だったのである。まともに運転もできないくせに、まったくもっていいご身分であった。すると彼は、ふっと笑って、ガガガガと振動の激しい国道を平然と進んだ。チェーンを巻いたトラックの走行後に道が凍ると、だいたい道中はお尻が痛い。

「僕はね、女性には優しくすると決めてるの」

これが、次の信号で停車した際に、彼から贈られた返答である。彼という人は、かっこつけると凄まじくかっこ悪い男だったのだが、特段何も意識せずに交わす言葉の中には、いつも何かしらの美学を醸し出せる人だったように思う。例えばこれが「はいはい、好きですね」とか「好きではないね、確実に」とかいう、とにもかくにも「好き」という単語を用いた返答だったとしたら、記憶には残らない。

雪が降れば思い出す。当時は本当にありがとう。

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