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途上国ベンチャーで働いてみた:不協和音と重圧(通算145日目)

2019年12月。

新店舗オープンのPRイベントをやってから一ヵ月が過ぎ、なんとか市内中心部に構えた健診センターに来店する個人客の数は増えつつあった。

他方で、お客さんの数が増えるほどトラブルも増えた。
たった数人しか待合室にいないのに待ち時間が長い、レポートをお届けするまでの時間が長い、トイレットペーパーの交換がされていない etc.....

これまでの数少ないお客さん対応に慣れてきたオペレーション部隊にとって、基本的なオペレーションの効率化が図られておらず、また顧客目線で気持ちの良いサービスとはどのようなものか、ということを指導徹底できる人材は現場にいなかった。
日本の親会社から強い業績改善のプレッシャーを受け、1タカでも多く売上を上げること=顧客数を増やすことを命題にしていた現地社長にとっては営業・マーケの成功がなにより重要な使命だったが、顧客が増えていかない大きな要因のひとつにサービス水準の低さがあることは明らかだった。もちろん、下を見ればきりが無いのでバングラの多くの類似施設に比べればスタッフのサービス水準も設備レベルも悪くなかったが、「日本人によるサービス」と謳っている割には可もなく不可もなく、という印象だろうか。

ダッカ市内の三つ星・四つ星ホテルや高級レストランで働く従業員は、英語が堪能で、よく気のつくサービスをしてくれるスタッフもよく目にする。
日本人や日本の施設からの顧客サービス研修を受けることが難しくても、こういったホテルやレストランで研修を受けるのはありだったかもしれない、と思う。
プライドが高いドクターの顧客への対応を改善するのはなかなか骨が折れるが、これは日本であっても同じようなものなので、現地のマネジメントスタッフと目線合わせをした上で採用の時点である程度ふるいにかけるしかなさそうだ。

しかしこの時期、現地の社長は、オペレーション上で起きたささいなミスやあらゆるミスコミュニケーションに関して該当社員の責任を追及し、インシデントレポートを日々何枚も書かせることで現場に緊張感をもたせる方策を取った。
現場のスタッフは以前に増して一層ぴりぴりし、怒られないために言われた通りの業務だけをこなし、そのために臨機応変に対応すべきところで柔軟に動けずミスを繰り返し、社員が少しずつ抜けていく/解雇される、という悪循環が起こり始めていた。

そんな様子を横目に見つつ、私は私で自分の業務で手いっぱいだった。
日本の親会社の資金調達に目途が立ち、DDが始まるという局面にあって、親会社社長から「実態に合わせて手直ししてほしい」と渡された資金計画表があまりにも現場の実情と乖離していて、いったいどこから手を付ければよいのか頭を抱えていた。

一店舗でさえ運営がままならないこの状況で、数ヶ月おきに店舗数を拡大していくというのはどう考えても無謀な計画に思えた。そもそも、現地社員も日本人社員も誰一人として、もう一度店舗オープンの突貫工事を一からやることなどこれっぽっちも望んでいなかった。

せめて、自前店舗ではなく、いくつかの総合病院に間借りしながら事業を拡大するという路線はないものかと社長と共にいくつか病院を回ったが、臨床検査業務や健診業務はいまや病院にとっても貴重な収入源。私たちと手を組むメリットを十分に打ち出せなければ、なかなか前向きな回答は得られなかった。

どこに事業のコアを置くのか。自社サービスのユーザーが増えなければ提携先に魅力を感じてもらえない、提携先をつくれなければ自社サービスのユーザーは増えない。卵が先か、鶏が先か。現場の議論は迷走し、日本に留まったままの経営陣との間の事業に対する理解の隔たりはなかなか埋まらなかった。

そんな矢先、想像もしないタイミングで、組織の土台が突然崩壊した。

(続)

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