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あの人の分も生きる!より、自分の命を生き切ろう。

母の分まで生きる
妹にとって私は姉でもあるけれど 母でもあろう

ある時まで そう思って生きてきたのは
紛れもなく この私でした。

今日は母の命日。

もう何年目だろうか。
私が8歳の時だったから
29年目?回忌でいうと30になるのかな?
(ちゃんと確認してないのでずれてるカモ?)


人は大切な人を亡くすと
❝その人の分も生きよう!❞と 思うことって
結構あることだと思うのですが、

それはいけないことではないものの、

(深い悲しみからなかなか抜け出せずにいるよりも
そう思って❝生きる❞ほうにエネルギーをシフトできるならば
そう思うことも大事かもしれませんね。
とはいえ、深い悲しみから抜け出せないことがいけないことで
生きるにエネルギーを注ぐことがいいこと というように
どちらが良くてどちらがいけない ことというのも ないのですが。)

そう思うことによって、
自分以上のものを背負ってしまうようなところが気づかぬうちにあったり、
頑張り過ぎてしまったりする場合もなきにしろあらずだと思います。

私もある時までは上記のような感情を抱いていましたが、
特別頑張りすぎていたとか苦しくなった訳ではないものの、
ある時ふと
❝人の分まで生きる 〇〇の代わりになろう❞
とすることに対して 違和感というか不自然さを感じ、
と共に
❝自分は自分の命を生き切るだけだ❞
そういう感覚が来て
〇〇の分まで生きる 〇〇の代わりになろうと思うことを
手放しました。

それは自分の人生は自分が決めてきた ということ、
胎内記憶のことを知ってからだったのかもしれないし、
はたまた他の因果もあいまってのことだったのかもしれないし
はっきりとは覚えていませんが、

どんなに近しい大切な人であっても、
人は人自分は自分であり、
自分として産まれてきて そのを生きることができるのは
他の誰でもなく
自分
❝自分❞しかいない訳で。

その❝自分がやれること(役目)って
この
自分生き切る❞ それだけだなぁって。

そう思ったら
亡き大切な人だって
きっと
(亡くなった)その人の分も と生きられるよりも、
その人(亡き人にとっても大切な)自身が 自分自身を生きる、
その人本来の自分で活き活きと生き、満足した人生を送り、生きて、
生き切る
姿を見ているほうが
断然嬉しいのではないか と思うようになったのでした。

母だけでなく、
友人や妹、おばあちゃん、おじいちゃんなど 
私には先に旅立った 大切な人が何人かいます。

でも今はその人達の分も とは思うことはもうなく、
そして何よりも 私はやっと本来の自分に辿り着き、
いろんな不安や葛藤、悩みからも解放され、
ようやく心から軽やかに、
ただただ自分やこの人生を信頼し、
活き活きと楽しみながら歩めています と
自信を持って言えるくらいになれました。

魂はそれぞれ 自分にしかできない、
自分だけの 目的を持って 
自分として生まれてきています。

そういう意味でも
誰かの分を生きるのではなく、
自分自身を精一杯生きることこそが 何よりものことなのではないかな と思います。


1人1人の魂が本来の自分を生きられまるように*
そしてあなたの日々が幸せでありますように^^🌈🍀


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