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悩み方

くそみたいな要約

感情を中心とした悩みを言葉で整理するべきでは無いと思う。“感情”という形のないものを“言葉”という明確な輪郭線のあるモノでラベリングしちゃった時点で、その感情と言葉には差異があり、それを使って整理すると机上の空論になってしまう。(それにラベリングされた言葉が先行してそれが自分の本当の感情と勘違いしちゃうってのがあるある) モヤモヤしちゃうなら、それはそれで置いておけば大丈夫。自分の心の中で整理出来てから、朧気に言葉を紡げば良い

はじめに

生きていれば悩み事の一つや二つ、いやもっと抱えるでしょう。
でも、悩むのって時間もかかるし、労力も使うし、何よりもしんどい、楽しくない、つらい、苦しい。
「紙に書いて整理してみるといいよ」
本当にそうでしょうか。私はいささか疑問です。

この記事の中では私なりの「悩み方」を皆さんにご紹介したいと思います。もちろん唯一無二の正解などではありませんし、人に合った悩み方があるでしょう。ですが皆さん悩み方について考えたことありますでしょうか?
自分に合った悩み方を会得せずに、むやみやたらに悩んでしまっては意味もなく時間や労力を消費してしまいかねません。
この記事が皆さんの一助にでもなれば幸いです。

悩みには種類がある

まず、我々が自覚せねばならないのは悩みには種類があるという事です。
恋愛、友人、仕事、学校に、家族。
そうじゃありません。(もしも悩みをこのようにカテゴライズしていしまうとそれぞれの悩み方を会得するには途方もない時間がかかっていしまいますし、これらの悩みはそれぞれ細分化されるのでカテゴライズ意味はないといって差し支えないでしょう。)

私が提唱する悩みのカテゴライズは

言葉にできる悩み/できない悩み

です。
まず、なぜ私が悩みをこのようにカテゴライズしたのかを説明いたします。理由は単純明快で「すべての悩みはこの二つに分けられる」「この二種で悩み方が全くもって違う」これに尽きます。少し詳しくみてみましょう。

・すべての悩みはこの二つに分けられる
なぜすべての悩みがこれに分けられるのかは言うまでもないでしょう。
では、「言葉にできる/できない」とはどういうことなのでしょうか?
すこし違う言葉で説明してみましょう。
「形のある悩み/無い悩み」
「答えのある悩み/ない悩み」
「狭い悩み/広い悩み」
「現実界の悩み/イデア界の悩み」
といったところでしょうか。

解像度を深めるために例を出してみましょう。

「今日のお昼ご飯何にしようか」「どうやったら彼と付き合えるのだろうか」「AIは世界を征服するのだろうか?」「どこに住むのが良いのだろうか」「なぜ私は彼女に振られたのだろうか」
これらはすべて前者です。では後者は?言葉にできないのですからここにも書き記すこともできないのですが、あえて文字にするなら

「うーーーーーーーん」「もやもや」「ええええええ」「ぐわぁ」「あべし」「ばびびびびびびびび」

といったところでしょうか。

また「なぜ人間は生きるのか?」「善いとは何か?」「将来の私は幸せに生きているのだろうか?」などの広く捉えすぎた悩みもこちらに該当します。
ここまで読んでいただいたらこの記事は九割理解していただいたといって過言ではないです。

この二種で悩み方が全くもって違う
これに関しては次章で見てみましょう。

悩み方の違い

前章の文章をご理解いただけましたでしょうか?稚拙な分になってしまい申し訳ないです。下記の文章でもう少しわかりやすくなるかと。ご勘弁。それでは、その悩み方の違いについてみていきましょう。

・言葉にできる悩みの悩み方

言葉にできる悩みの悩み方は「言葉にする」ということです。少し拍子抜けですね。これが九割終わったといった理由です。
言葉にするという事はどのような意義を持っているのでしょうか?
それは漠然としたモヤモヤを抜け出せるということにあります。モヤモヤとは?語感からご想像ができますように、形の無い悩みの状態を指しています。この形の無いつかみどころのない悩みを言語化し、言葉という形を与えてあげることによって、悩みを解決へと前進させることができます。

当たり前のことを当たり前のように語っているように思えますが(実際そうですが)これはとても大切なことであると私は考えています。答えや形がある悩みであるにもかかわらず、それから目をそらして「なんだかなぁ、なんだかなぁ」とひたすら顎に手を当て、ぐるぐると歩き回る。これに時間と労力をつぎ込んでしまう。私はこのような状況におといっている人を幾度となく観てきましたし、私自身もこの罠にはまって長いこと抜け出せませんでした。

・言葉にできない悩みの悩み方

次に言葉にできないなやみの悩み方についてみていきましょう。もう気づいてる方もいらっしゃるとおもいますが「(あえて)言葉にしない」ということです。言うなれば上記の逆です。

(この悩み方について解像度を深めるためには人間はどのように物事を考えるかについて考える必要があります。人間は何を使って物事を考えて整理するか。です。(ソシュール君よろしく)答えはお察しの通り「言葉」です。ではそれを念頭に置いて)

では、なぜ「あえて」言語化しないという悩み方を我々はとるべきなのでしょうか?答えは感情には形が無く、言葉には形があるからです。
もしも形のない感情を形のある言葉で整理してしまうとどのような問題が起きるのでしょうか?
・感情と言葉の間に差異が生まれる
感情は無限にあるのに対して言葉には限りがあります。我々が何かの感情に関して頭を悩ませるときはもちろん。紙の上にある言語化された養殖の感情ではなくて、もちろん心の中にある天然の感情にフォーカスすべきです。
・言葉に感情が振り回されてしまう
先述しましたように、我々人間というものは言葉を使って思考を巡らせます。その癖はなかなか抜けません。そのような状態で自分の感情に言葉でラベリングしてしまうと、脳が勝手にそのラベリングされた言葉が自分の本当の感情だと思い込んでしまうことがあります。僕に言わせれば其れは豊かじゃない。

(ここまで理解いただくと私が上記した「現実界の悩み/イデア界の悩み」も腑に落ちる部分があると思います。実は、(プラトン君よろしく)イデア論に準えた説明も思いついたけど割愛ッ!)

悩み方

さぁ、いよいよ本題である悩み方について紹介したいと思います。
おさらいをしておきます。

悩みには「言葉にできる悩み/できない悩み」の二種類あってそれぞれ「言語化する/あえてしない」という方法で悩むべし。
(↑短くなりすぎてビビっている)

・言葉にできる悩みの悩み方

まぁ、もちろん言語化してみよう。
これに尽きます。ですが大切なことは言語化することじゃなくてその先にある形を与えるということです。でも、それって簡単なことではありません。どのように、形を与えれば、形を与える力を身に着ければよいのでしょうか?

トレーニング編

言語化をするべし!といっても一朝一夕というわけにはいきません。普段からトレーニングをしてみましょう。

本を読む
これは考えうるうえで最も単純で明快な悩みへのアプローチでしょう。別に仕事に困っているからと言ってビジネス本を読む必要はありません。大切なのは言語を媒体にした思考の表現に触れるという事です。こういったトレーニング(?)を積んでいると。まず、自分の思考も言語化しやすくなります。言語を使って物事を構造的に捉えて整理する力はとても重要です。そして、たくさんの著者の本に触れることによって他人の思考のハブも見つけやすくなります。つまりは言語を媒体にして他人の思考を読み取りやすくなります。(まぁ文章力、読解力が身につくということですね)
では、どのような本を読めばいいのでしょうか?これに関しては、ズバリどんな本でも大丈夫です。どんな本を読むのが良いのかに関しては後程詳しく言及してみますが、この場合の読書に関しては言語能力を身に着けることが最大の目的となっています。小説でも、教科書でも新書でも何でもいいです。(さらに言うと私の一番のおすすめは哲学書です。変な話、私たちの悩みなんて先人たちがもう既に悩み終わってるものが多いんですよね。哲学書を読めば言語化能力を高めると同時に、巨人の肩の上に立つことができるのではないかと考えています)

例え話をしてみよう
何でもいいです何かの事象に遭遇した時に、「例えばこれが○○だとしてさ~」と例えを出してみましょう。
実は例えばなしとは「俯瞰した目線で物事を構造的に捉えて本質を抽出して他の事象に置き換える」というとても高度なことをしています。これは自分の考えを他人に伝えたり自分の中で整理するときにとても重要な能力です。

答えを出す練習をしてみる
「マクドナルド理論」なるものをご存じでしょうか?

ランチタイムにどこのお店に行く?という話になった時、「マクドナルドに行こうよ」と提案すると満場一致で「マクドナルドはやめようよ」と返され、不思議とよりよいアイデアが出てくる、というのがJon Bellさんの提唱する「マクドナルド理論」。Bellさんによればこのマクドナルド理論を使うと、行き詰まりがちなビジネス会議やプロジェクトでより優れたアイデアを出すことができるそうです。

https://gigazine.net/news/20130502-mcdonalds-theory/

とまぁ、そういうことです。人間、創作は難しいけど粗探しなら簡単に出来る。そしてその中でひょいっと優れたアイデアが出てくるなんてことはよくあります。つまり、なんでもいい。答えを出してみる。時間を使わずに。この信号が青に変わるまでに、ご飯を食べ終えるまでに、十秒以内に!答えを出してみる。短時間で答えを何か一つ出してみてそれに対して客観的に考えてみる思考ルートを持つ癖を作ってみてはいかがでしょうか。

実践編

紙に書いて整理してみる
冒頭でこのやり方を馬鹿にして私ですが、紙に書いて整理というのは人間にとってとても良いです。利点はいくつかあります。
一つ目、物事を構造的に捉えることができる。しつこくてごめんね。でも俯瞰して物事を見ることはそれほど大事なんだ分かってくれよぉ。
二つ目、思考スピードを落とすことができる。人間、思考スピードが速すぎて脳が追い付かないということがしばしばあります。答えを出すというのは一種のラベリングです。ラベリングの危険性に関してはすでに言及しました。上記したようにマクドナルド理論を用いてラベリングされた答えを批判的に見ることができれば良いですが、思考スピードを上げて視野を狭くするとたびたびそれを忘れてしまいます。紙の上に記しながら思考スピードを意図的に落として慎重に悩んでみよう。

他人に相談してみる
他人に相談する意義に関しては、皆さんが考えている通りです。より多角的に物事を捉えることができます。トレーニング編で「何でもいいから答えを出してみよう、話はそれからだ」といった私ですが、それでも行き詰ってしまうことも多々あることを認めざるを得ません。そのような場合は他人に答えを求めてみることです。ひろゆきでも岡田斗司夫でもChatGPTでも構いません、答えを求めてみよう。ですが友人に相談することに関しては私は慎重派です。もちろんその人たちの方があなたのことを理解していることは間違いないと思いますが。どうしても忖度であったり無意識に求めている回答をくれることがあります。それでは見せかけの解決になってしまいます。まぁもちろん親友と呼べる間柄なら相談するのは大賛成ですが。
そして、上記したように注意すべき点はそれを絶対的な答えとして飲み込まないことですね。マクドナルド理論を意識して常に客観的、批判的な視点を持つことを意識することですね。

・言葉にできない悩みの悩み方

まぁもちろん言葉を使って感情を整理しない!これに尽きます。そういったわけでトレーニングも実践もくそもありません。でももうちょっとだけ詳しく見てみましょう。

時間をおいて悩んでみよう
こんなこと言ったら悪いんですけど、悶々した気持ちを抱えている人の中には「悩んでいなきゃいけない」という義務感のもとに悩んでいるは少なくありません。というか私を含めほぼ全員がそうであると思っています。自分はずっと小さなころから繊細でみんなが納得していることに対してすんなりと受け入れられない。それが故に繊細さが自分のアイデンティティの太い幹になっている人は少なくないと思います。恥ずべきことではないですけど、私たちの最善の手段を考えた時に四六時中ずっとこの気持ちを抱えながら生きるのはよい判断とは言いかねます。そんな時は(岡田斗司夫さんよろしく)時間を決めて悩んでみることです。例えば9時から10時の一時間だけ悩むと決める。その他の時間に何か受け入れられない気持ちがあっても「悩むのは後回し、だって今はなやむじかんじゃないんだもん!」ってな感じで。1時間の間は散歩でも風呂でも晩酌でもしながら相対してみる。

映像作品を観てみよう
私事になってしまいますが、実は私はとても映像作品が好きなんですね。ある日、何故映像作品が好きなのか考えてみたことがあります。答え(仮)としては「非言語的コミュニケーションであるから」に行きつきました。
演出ってなんでしょうか?「感情伝達手段です」。言語では感情を表しきれないと上記しましたが、私は映像作品における演出こそ私は人類が作り出した最高の感情伝達手段だと思っています。ストーリーの中で言語ではなくて演出という方法で直接的にそっと視聴者の心を動かす。それは自分の心と向かい合うことにもなります。本当は実例を紹介しながら解説したいんですけどどうしても長くなりすぎてしまうので割愛しますね;;いつかnoteにも書きますね。(まぁすごく簡単に言うと言葉では表せない表現が映像ではできてそれは直接的にこころに直接作用するよってこと)
テレビドラマはお勧めしません。あくまでも僕の考えですがテレビドラマには「演出」は少ないです。テレビドラマは読解力の無い子供や、台所で料理しながら耳だけ傾けている主婦も理解できるように作らなければなりません。つまりは「画で魅せる」ということをしていないものが多くて、この場合の演出による非言語的コミュニケーションは少ないです。私のお勧めはアニメです。

言語化してみる
話が違う!!!
まぁ落ち着きなさんな。ここまで感情は言葉にせずに整理することが大事だと説いてきました。もちろんそれで間違いないです。
ですが、そうは言っても自分の感情を言葉で他人に説明しなければいけない日は来ます。その日にも備えなければなりません。変な言語化で誤解されることも多い、かなしいけれどどこかで折り合いをつけて生きていこう(;;)
さぁどうやって心に形を授けましょうか?上記で言語化するときは他人の言語化の結晶である本を読もうというお話をしました。今回もそうです。本を読みましょう。だが今回に関しましては文章力、読解力の向上を目的にしているわけではありませんので必然的に選ぶ本も変わってきます。私のお勧めは小説、エッセイ、詩集です。(とても繊細な感情にお花を飾るようにそっと言葉を添える。そんな本に出合えるのはこの上ない幸せですよね。)特に詩や歌は決められた文字数の中で感情を表してそのうえで韻や掛詞。頭が上がりません。
言語化してみる、それが本当に自分の気持ちを表現できているのかを推敲しましょう。また、いざ伝えるときは言葉に頼らず表情や抑揚、タイミングも組み合わせて伝えると誤解されることは少なくなりますし、言語の身に頼らない分より純度の高い状態で伝えることができます。

おしまい

加筆修正するカモ^^


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