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「作品に罪はない」という山下達郎の態度は、本当にジャニーズへの忖度なのか?

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 どこから書き始めようか。まず、「作品に罪はない」ということについて。最近見た「TÁR」という映画の中に格好の題材があった。こんな場面だ。ターはジュリアード音楽院に講師として招かれている。講義の中で彼女は、マックスという学生の前でバッハの平均律を弾いてみせ、「この曲は知っているわね?」と訊ねる。するとマックスは、「自分はBIPOC(黒人、先住民および有色人種)であり、パンジェンダー(男性でも女性でもない第三の性)なので、20人もの子供を妻に産ませた、家父長的な白人男性の曲など聴くつもりはない」と吐き捨てたのである。それに対してターは真面目に反論する。作曲家を音楽と関係のない出自や属性で評価すべきではない。そうでなければ、自分自身もいつか音楽とは関係のない出自や属性によって評価されることを、結局認めることになってしまうからだ。
 ターの主張は、基本的に正しい。マックスは音楽を学ぶ学生であり、音楽を学ぶ上でバッハを避けて通ることはできない。ターはそれを親心で教えているに過ぎず、それにバッハがダメなら、モーツァルトもベートーヴェンもダメだろう。彼らは現代的な視点からすればいずれも問題を抱えているかもしれないが、そのことと彼らの音楽とは、基本的には関係ない。
 たとえば、物理学者のアインシュタインは病的なチェーンスモーカーだった。今あなたが思い浮かべた写真の中でも、彼はきっとパイプを咥えていることだろう。タバコが切れると我慢できないタチだったようで、学生にまでせびっていたという話がある。しかし、そのことが彼の業績と何か関係があるだろうか。タバコがなかったらヤニ切れで論文が書けなかったかもしれないが、かといって相対論はタバコの産物でもない。ビートルズの「ラバー・ソウル」が、ドラッグの産み出した唾棄すべき音楽ではないように。
 とはいえ、マックスの意見も完全に間違っているわけではない。彼が音大生ではなく、純粋な鑑賞者として音楽に対しているのであれば、バッハを忌避するという態度もまた、許容されなければならないだろう(とりわけこの多様性の時代には)。かつてノーベル賞作家のエリ・ヴィーゼルは、カラヤンを指してこう言った。「ナチの党員服を着たことのある人間が、美しい音楽を作り出せるということが、私には信じられない。」ユダヤ人である彼にとってはそれは重要な問題であり、理由はどうあれ許すことはできなかったのである。

 「それってあなたの感想ですよね」と思って聞いてほしいのだが、山下達郎がジャニーズの性加害問題について、ミュージシャンとしてであれ、ひとりの人間としてであれ、追及の声を上げてくれていたらカッコよかったのにと思う。しかし、達郎氏にそこまで要求するのは、正直「なぜアインシュタインからタバコを取り上げなかったのですか!」と非難するようなものではないだろうか(余談だが、山下達郎も昔はベビースモーカーだった)。
 達郎氏はこの問題について、どの程度知りうる立場にあったのか。自身の言うように、何も知る術はなかったのかもしれない。反対に、本当は全てを知っていて、口をつぐんでいるのかもしれない。ひとつだけ指摘したいのは、達郎氏が真相を知りえた人間であればあるほど、声を上げにくい人間でもあっただろうということである。もしも自分が当事者だったら、あなたは勤め先を実名で告発できるだろうか。
 芸能界において、ジャニーズ事務所と決定的に対立することがどれほどの痛手を被ることなのか、私には想像もつかない。だが、少なくともTwitter民が好き勝手なことを言えるのは、自分に火の粉が飛んでくる心配がないからである。私もここで心置きなくものが言えるのは、ペンネームで書いているからにほかならない。音楽家は、いい音楽を作っていれば何をしてもいいわけではない。犯罪を黙殺することは、犯罪に加担することと同じなのかもしれない。けれども、私やあなたのような安全圏にいる人間が、被害者を代弁するかのように「タツローにはガッカリだ!」と叫ぶのは、はたして正義なのだろうか。
 私は山下達郎という人間について、世間の人以上に何かを知っているわけではない。ただ、私の目から見た達郎氏は、頑固な職人のような人物である。彼は自分がいいと思える音楽を作り届けることで世の中に寄与してきたのだし、またそうすることでしか世の中と関われない、ある意味不器用な人間でもあると思う。達郎氏のスピーチは(言葉の選び方も含めて)、一点の非もないものではなかった。とりわけ、「自分も性加害は許せない」と、音楽とジャニーズへの批判を切り離しておきながら、最後は「そういう人たちには私の音楽は不要でしょう」と再びつないでしまっている。そこは「山下達郎とジャニーズが嫌いでも音楽はちゃんと聴いてくれ」と言うところじゃないのか。それでも達郎氏の言動は決してGuiltyではないし、もし彼を加害者と同罪にするならば、音楽業界全体も、ひいてはジャニーズを支えてきたファンすらも、同じように加害者ではないだろうか。私は山下達郎に同情はしないが、達郎氏を断罪して鬼の首を取ったように言うことにも、同じように同意できない。


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