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幸福論

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 幸せ、幸福、幸運、いろいろ言い方がある。「幸い」という言い方は、少し古めかしいかもしれない。思い出すのは、カール・ブッセというドイツ人が残した詩である。日本では、上田敏の訳で広く知られた。

山のあなた
詩=カール・ブッセ/訳=上田敏

山のあなたの空遠く
幸い住むと人のいふ
ああ、われひとゝ尋(と)めゆきて
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになお遠く
幸い住むと人のいふ

──岩波文庫『上田敏全訳詩集』より改編

 山の向こうの空遠くに、幸せがあると人は言う。人に尋ねて歩いたが、涙ぐんで帰ってきた。それでもなお、山の向こうのもっと遠くに、幸せはあると人は言う。
 幸せとは何だろうか。ときどきふと立ち止まって考える。だが、そう考えてしまうのは、自分が幸せでないと感じているからかもしれない。人は本当に幸せなとき、「幸せとは何か」などと考えたりしない。
 「幸せとはこういうもの」とあらかじめ定義してしまうと、実際にそれが訪れても幸せだとは感じなくなる。だから知識をどれだけ積み重ねても、幸せを知ることはできない。知るということは、情報を得ることではない。探し求めてつかまえた青い鳥は、チルチルとミチルが家に持ち帰ると灰色になってしまった。
 われわれは幸福を感じたときに初めて、幸福とはこれだったのかと気づく。幸せは得ようとして求めれば求めるほど、遠くに行ってしまう。幸せの青い鳥は、気づかないときだけそばにいる。
(二〇二二年十一月)


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