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AIは人間の脅威なのか

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 AIは人間の能力を超えることができるだろうか。ゲームのようにルールが厳密な分野では、それは時間の問題であろう。だが、私がここで問題にするのは、そういう話ではない。二〇一五年の第三回星新一賞では、AIによって書かれた小説の応募が公認され、結果一次審査を通過した。もし賞を取るのが無理だとしても、AIが書いたことを見破れない小説が現れたら、それはAIが人間の能力に並んだことにはならないだろうか。
 新井紀子氏は、ベストセラーとなった著書『AI vs. 教科書が読めない子供たち』の中で、AIが作曲した音楽についての感想を述べている。ニューラルネットワークにロマン派のピアノ曲を学習させて出力した一〇秒ほどのデモなのだが、「いかにもロマン派のピアノ曲らしい抒情的な旋律、ためらいがちなクレッシェンド、そしてドラマティックなフォルテ……」「あまりの衝撃に私は笑い出してしまいました」と綴っている。
 新井氏が「衝撃」を受けながらも「笑い出して」しまったのは、驚くほどの完成度でありながら、機械が作り出した音楽には「決定的な何か」が欠けていた──少なくとも新井氏はそのように感じたからである。しかし、新井氏は、それがAIによる作曲だと知った上で聴いている。読者はいかがだろう。AIが作った音楽を、笑えるほどの余裕を持って見破る自信はおありだろうか。
 安心してほしい。そのような実験はとっくの昔になされていて、結論から言うと、あなたがAIにまんまと騙されたとしても、別に恥入る必要はない。一九九七年、オレゴン大学で開かれた演奏会では、ピアニストが三つの曲を演奏した。一曲目はバッハのあまり知られていない曲。二曲目は同大学の教授がバッハ風に作曲した曲。三曲目はアルゴリズムがバッハを真似て作曲した曲。このブラインド・テストで聴衆がバッハの真作だと答えたものは、そう、三曲目だった。
 いや、俺なら聴き分けられる。そう息巻く必要はない。二〇〇七年にはワシントン・ポストが別の実験を行った。ラッシュアワーのワシントンD.C.の駅で、著名なヴァイオリニストのジョシュア・ベルに一時間足らずのストリート演奏をしてもらったのである。はたして、床に置かれたストラディヴァリウスのケースに放り込まれた投げ銭は、三十二ドル十七セントだった。あなただったら足を止めて聴き入り、百ドル札を置いていったと確信を持って言えるだろうか。
 気を落とさなくてもよい。人間の感覚なんて、もともとじつにいい加減なのである。試しに、オレンジ色に着色したリンゴジュースを誰かに飲ませてみればいい。七割くらいの人は、それがオレンジジュースだと答えるはずである。「オレンジジュースとリンゴジュースを間違えるわけがない!」そう食い下がる相手に、いいからもう一度飲んでみろと言うと、狐につままれたような顔でこう答えるだろう。「本当だ!リンゴジュースだ!信じられない!」それが人間である。
 しかし、フォークト=カンプ検査が役に立たないとしたら、デッカード刑事はどうやって逃走したレプリカントを捕まえればいいのだろうか。物質的にも心理的にも人間と区別がつかないアンドロイドが登場したら……。しかし、それは事実上人間と同義ではないだろうか。もちろん、クローン人間のようにややこしい問題は生じるにせよ、できてしまった以上、そのアンドロイドは人間として扱うほかないであろう。
 もちろん、あなたが何を言いたいかはわかっている。「明日から君は会社に来なくていい。君の仕事はAIがやるから。」そういう心配をしてるに違いない。じつは、そういう不安なら私も無縁ではない。筆者の職業はデザイナーだが、コストパフォーマンスから言えば、人間よりもAIの方がはるかに優れたデザイナーである。たとえば、単語を入れるだけで何十個ものロゴデザインを自動的に生成してくれる。おまけに、私のように「こっちの方がよかったのに」などと後でブツブツ言わない。
 だが、私は自分がもうお役御免だと諦めるつもりはない。私が闘っている相手はAIではない。AIで十分だと考える人間と闘っているのである。スマホのアプリを使えば、あなたの姿を美しい水彩画のようなタッチで上手に描き出してくれる。しかし、そんな画像を何十枚もらうよりも、誰かがあなたのために一生懸命描いてくれた一枚の似顔絵の方が、もらって嬉しくはないだろうか。あるいは、結婚の記念写真を撮ってくれたカメラマンの顔を、あなたはもう覚えていないかもしれない。しかし、「最新のAIが科学的に解析して最も美しい一枚を撮りますから」と言われたら、あなたは無人のスタジオでの撮影に満足しただろうか。
 あなたの仕事が何かは知らない。そして、時代とともに機械に取って代わられる職業も確かに存在する。しかし、「あなたに頼んでよかった」「君がいてくれて助かった」そう言われるような仕事を続けていれば、仕事は必ずやってくるだろうし、その仕事がなくなっても世の中はあなたを必要とするだろう。反対に、「機械にやらせた方がマシなんだから、俺の出る幕ではない」とぼやき始めたら、そしてそんな意見が世の中の大半を占めるようになったら、そのときこそニーチェは墓から甦って、こう叫ぶだろう。「人間は死んだ!」
(二〇二一年十月)


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