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小説家にとっての実在

【書評】『うるさいこの音の全部』高瀬隼子=著/文藝春秋

𝑡𝑒𝑥𝑡. 養老まにあっくす

 だまされた。もちろん、いい意味で。
 会社勤めをしながら小説を書いていた主人公が新人賞を受賞し、周囲の態度がガラリと変わる。穏やかだった日常が突然騒がしくなり、否応なく波乱に巻き込まれていく──そういう話だと思うじゃないですか。いや、そういう触れ込みでしたよね。

 本作は、2つのストーリーが並行して進む。主人公・長井朝陽の日常と、作家・早見有日の書いた小説。読み進めていくと、途中で「あ、これは主人公が書いてる小説の内容なんだな」と気づく。「それで、こっちが作者の現実の話なんだな」と。さらに読み進んでいくと、小説が現実に追いつく。そうか、小説の方はフィクションであると同時に、主人公の過去の話でもあるということか。なるほどなるほど。ところが、いきなり現実の中に小説の人物が出てくる。幽霊も出てくる。小説と現実が融合してしまう。この辺で読者は混乱する。いったいどこまでがフィクションで、どこからが現実なのか。『おいしいごはんが食べられますように』のときから思っていたが、高瀬さんは本当に食えない人だ。

 数学者とはどんな人間か。机の上にリンゴが3つあるとする。普通の人は、実在するのはリンゴだと考える。だが、数学者は違う。彼らは実在するのは3という数字の方だと考える。それが数学者という人間なのだ。そう読んだことがある。小説家にとっては、たとえ作り話であっても、書いたことこそが実在なんだろうな。本書を読んでそんなふうに感じた。
 遠藤周作氏は、「作家は読者が面白がってくれるなら、エッセイでも嘘を書くことがある」と言っていた。おそらく、書くことによって真実になるのだろう。だから、読む方もそのつもりで読んでくださいね。いかにも狐狸庵先生らしい。
 ただし、嘘をつき続けるのは楽ではない。それが、併録の「明日、ここは静か」に書かれている。嘘をつき続けていくと、だんだん辻褄が合わなくなってくる。それで嘘の上塗りをする。それでもいつかは整合性が破綻する。男は嘘が下手だから、そうやっていつも女にバレる。
 もしかすると、高瀬さんもすでに嘘をつきまくっていて、帳尻が合わなくなってきているのかもしれない。本書はそういう自白か。あるいは、いずれそうなったときのための予防線か。私が書いたことで何か不都合があっても、それが小説家というものだから許してくださいネ。いやいや、なかなかしたたかな人である。
(ブクログより転載)

𝐶𝑜𝑣𝑒𝑟 𝐷𝑒𝑠𝑖𝑔𝑛 𝑏𝑦 𝑦𝑜𝑟𝑜𝑚𝑎𝑛𝑖𝑎𝑥


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