見出し画像

毒親が子供に甘えて来る!恐怖。

私の母は、私が小学生3年生後半で離婚をしました。
当時の母は、私と妹を連れて実家に戻りノイローゼみたいになって、良く私の前で精神が壊れた人の様な姿をして、泣き叫んでいました。

今思えば、一緒に住んでいる叔父が居る時間はそんなに泣き叫んでいなかったと思うので、私と妹が居る時はそんな自分を出しも良いと考えていたと思います。

私はそんな可哀想な母に気を使い、自分がしっかりして4才下の妹の面倒を見なくてはならないし、絶対にワガママは言ってはならないと思う様になっていました。

そして母は、次第に私に甘えるようになりました。

ある時、明日の遠足のお菓子を母の仕事が終わってから、一緒に買いに行ってもらう約束をしました。
私はどんなお菓子を買うか考えながら、母の帰りをワクワクしながら待ちました。

帰ってきた母は何故かとても機嫌が悪く、「お菓子買いになんて行かないよ」と言いました。
私はとてもショックを受け、胸が張り裂けそうになりました。
当時住んで居た所はとても田舎で子供が自力でスーパーに行ける場所ではなかったし、お菓子を持たずに遠足に行くなんてどうしたら良いだ…と思い、とてもショックを受けました。

しかし、数分後、母は「行くよー」と言って何も無かった様にスーパーに私を連れて行ったのです。
私はその状況が全く理解が出来ませんでした。

大人になって思えば、母は、仕事で疲れて帰って来て、スーパーに行くのが面倒になったイライラを幼い私に、容赦なくぶつけてきたんだと思います。

私が中学生になり高校受験を控えていると、普段は言わないのに、機嫌が悪いと「高校なんて行かないで働け」と何回か言って来た事があります。

その頃には、私は母は本心で言っているのではなく、母子家庭による不安と、自分の中のイライラでそう言って来て居る事になんとなく気づいていましたから、かなり私もムカついていました。

でも、私がしっかりして早く大人になって一人前になれば、母を支えてこの状況を変える事が出来ると思う様になっていました。

何故か私は母の娘から、弱い母を見せられているうちに、母を支えられる夫の位置に行こうとしていました。

高校に上がると誰よりも早く、アルバイトを始めました。自分のお小遣いを工面して母を安心させて少しでもイラつかせたく無かったからです。

私が夏休みアルバイトに明け暮れているとある日、母が更に甘えて来ました。
小学生の妹が居るのに、ご飯を用意したくないと言い出して来たのです。
私はアルバイトの帰りに冷凍パスタなどを買って妹に食べさせました。

高校を出て車の免許を取り、自分で安い車を買い通信で美容学校に通いながら、美容室で働き始めました。

ある日の朝、中学生の妹を前日の夜は母が車で送ると言っていたのに、朝になって「やっぱり送らない。」と言っていました。

私はそれを見て、私の幼い頃良くそれを母にされて傷ついていたので、妹がとても可愛いそうに思い、私が妹を送ると言って送った事がありました。

きっと、それは母が無意識に私に甘えて文句を言わない私をコントロールしていた様に思います。

そうこうしているうちに、母は甘えて居る事が当たり前になり、私も自分がしっかりして支えるべきだと思う様になっていました。

なんて恐ろしい構図でしょう!!


でも、私は救わました。
早いうちに結婚をして、当時の旦那さんの仕事の都合で地元を離れなくては行けなくなったのです。
そして、強制的に母の元を離れる事が出来ました。
これは、本当にありがたい流れでした。
もし、結婚しても地元に居たら母の呪縛からは今だに溶けていなかったかもしれません。
最初は、母の元を離れても、少しでも仕送りしたりしなければならないと思い込んでいました。

しかし、なかなか最初は新婚生活のお金がギリギリでしたので、仕送りのお金は捻出出来ませんでした。

その頃母は彼氏が出来て一緒に住む計画をしていました。

そして離れた事により、母を客観的に見る事が出来る様にもなりました。
色々な周りの母子家庭の人や、明るい家族を見て行くうちに何か違和感を感じて来ました。

母はまだ若いし、働いていたので実際に生活に困った事なんて一回も無いのに、母は常に悲劇のヒロインを演じ、上手く行かない事は何かのせいにしているだけだと気付き始めました。

私は、もう自分の人生を歩んでも良いんだ。。。
と少しずつで思う様になって来ました。

母は、彼氏と妹がとで3人で暮らし始めました。
私はこれでやっと母の心配をしないで済むと思って少し安心していました。

そんな時に、まだ母の元に居た妹が定職に就けずひきこもりみたいになっていました。
母は私助けを求め出来ました。

母は、私に妹を押し付けて来たのです。
私はその時、本当はまだ、母の呪縛からは溶けていなかったのです。
妹が可愛い私は、妹を引き取る事にしました。
今、考えるとありえないと思うのですが、母が私に泣き付いて来た時に、何故か私がなんとなしなければ!!と思ってしまったのです。

妹は私と元旦那さんの家にやって来ました。

妹は私にとってはとても可愛い存在でした。
だからなんとか力になってあげたかったのです。

でも、それは無理でした。。。

私は相当その頃、色々抱え過ぎていました…。

仕事でも、店長を任され、家では妹を任され、元旦那さんに気をつけて使い…。

そして、私はとうとう壊れてしまいました。

突然、原因不明の過呼吸に襲われる様になりました。

私はそれでも、なんとかしなければと思いましたが、過呼吸が酷くなり、元旦那さんが精神科に行こうと言いました。

そこで初めてパニック障害と言われました。

私はその名前は初めて聞きました。
最初に聞いた印象は、変な名前の病気だと思った事を覚えています。

そして、頭がとうとうショートしたようになって、何も出来なくなってしまいました。

やっと、自分が相当無理をしていた事に気付く事が出来ました。

私が何も出来なくなっても、それでもどうにかしなければ…と思っていました。

私はご飯が食べれなくなり、テレビを見る事も外出する事も出来なくなりました。

ストレスって本当に怖いんですね。

そうなると、周りが意外となんとかして動いてくれている事に気付き始めました。

そして、困った時は人に甘えても、良いんだとやっと思えるようになってきました。

私は大人になっても、無理してしっかりした人間を演じていた事に気付きました。

母に私の病気の事を言っても、母は私に謝る事はありませんでした。

私が勝手に引き受けて、勝手に潰れたと思っていると思います。

実際そうですしね、私が断ればこうはならなかったんだし。

今、思えば本当に私は思い込みの激しい、ただのお人好しだったと思います。


**でも、体が病気になって、私に教えてくれたんだと思って、本当に感謝しました。 **


私はこうして、数々の良い流れが来てようやく本当の自分を分かる様になりました。


#女の幸せ #幸福論 #教育 #毒親 #虐待 #自立

#社会人 #パニック障害 #精神病


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?