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こどもと大人と、食べるということ。

こどもと大人

考えてしまうことの一つに、こどもと大人の違いがあります。
このブログを見てくれているあなたはこどもですか?それとも大人ですか?

こどもが大人になるのっていつなんでしょう。
最近考え付いたのは、矛盾を受け入れた時なのではないかなと思いました。
そのうちのひとつ今回取り上げたいのが、

人間は動物を愛しながらも動物を殺して食べて生きているということ。

大学生にもなると食べ物に感謝するなんて意識が薄れてきてしまっているのですが、ベジタリアンだとかそれに関係する人の考え方だとかに触れて、昔のことを思い出したのです。

懐かしい思い出

小さいころに田舎の祖父母の家に行ったとき、私は、明日出荷されて殺されてしまう牛さんの前にいました。私は幼かったのです。
「なんてひどいことをするんだろう、私はもう動物を食べたりしない!」
なんて思ってずっと牛さんのそばにいました。
その日の晩ご飯にカニが出てきて
「あなた生き物は食べないのでしょう?」
なんて家族に笑われて、それでも意地を張って食べなかったことを今でも覚えています笑

あの時の覚悟も考え方も全てが変わってしまったように思えるけれど、
そんな気持ちがあったということ、
そんな時間があったということ、
その牛さんの目とまつ毛の美しさのこと、
忘れられずにいます。

こうして少しずつ大人になる

私が
「人間は動物を愛しながらも動物を殺して食べて生きている」
という圧倒的矛盾を受け入れたのはいつなんだろうか。

思い出せるほどの明確な線引きがあったようにも思えません。私のちっぽけな頭で考えてもどうすることもできない矛盾だから、ただただ食べて生きていく。そうしてここまで生きてきました。

でもどこかでこの話題に関して深く考えることを辞めた時、私は少し大人になったのだと思います。大人になってしまった。

この矛盾って誰もが一度は通る気がするのですが、半分大人な私を含め、今大人の皆さんは全員これを乗り越えて大人になったということですかね、?

今の私はベジタリアンになろうとは思っていません。でもベジタリアンの考え方は尊重するし、私の考えも尊重されていいと思います。なぜならこれは簡単に答えが出るようなものじゃないから。今はまだグレーのままでいさせてください。世界は白黒ではなくてグレーだから。子どものときに読んだ絵本みたいにヒーローと悪役とが存在するわけではないと思うのです。

それでも

それでも考え続けてみること、それができる大人でありたい。
難しいし辛いしやめたくなるけれど。
こうやって書くだけなら簡単だけれど。

いつか、受け入れるだけの悲しい大人になっていくのかもしれない。それが少し怖い。そうなりつつあるし、そんな私をあの頃の私なら許していないだろうな。こどもって唯一大人にならなくてもいい最高の時間ですよね。私はいまこどもと大人の境目にいます。

いただきますとごちそうさまでした、を明日からまたもう少しだけ大切にしようと思います。それが命をいただくということを完全に覆えるわけではもちろんないけれど。
それでも、少しだけ。
農家さんといただく命に感謝をこめて。

食べたものが私の生への対価。
何となく明日を生きようとしているだけの私のために、つながれてきた命の連鎖。
それに見合う生ができないなら、いただいた命に顔向けできないなと思います。

出来るかわからないけれど。

また夜遅くなってしまったな、!

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