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笑わない女神

私は笑わない子供であった。
まったく笑わないわけではない。
時には笑う。
しかし、はしゃいだり、騒いだりすることの無い静かな子供であった。


微かな記憶として残っている、あれは恐らく3歳の頃。
母の通う自動車教習所の託児室にて、部屋の隅に座し、一人静かに本を読んでいる、そういう子供であった。

子供の群れの中に入って行けることは無かった。
心が全力で拒否をするのだ。
あそこは私の場所ではないと。
いつも大人の傍らでじっとしていた。

今となっては生まれ持った気質だったり生育環境の影響だと理解できるが、
当時はそんな子供らしくない自分がコンプレックスでもあった。


思春期に突入するにつれ、私は様々な不安障害を抱えることになる。
それに加え、
起立性調節障害、過敏性腸症候群、自律神経失調症などの身体症状にもこの頃は悩まされていた。
これらの身体症状は不安障害とセットとも言えるかもしれない。


そんな負のエネルギーに満ち満ちた思春期真っ只中の私が、
夢の国へ旅立つことになった。




そう、
ディズニーランドである。


陰鬱とした負のオーラが漂う思春期の頃の私には、実に似つかわしくない場所だ。
無論、望んで行ったわけではない。
小学校の修学旅行かなにかだったと思う(この辺りの詳細は記憶にない)。


対人恐怖症や会食恐怖症など様々な不安障害を持つ私にとって、集団で夢の国へ旅立つなど、地獄のツアーのようなものである。
恐らく、終始青白い顔をしていたに違いない(記憶がない)。


夢の国で過ごした時間の大半は記憶の片隅にもに無いのだが、
ひとつだけ鮮明に残っているものがある。

999人の幽霊が住んでいるとされる呪われた洋館、
ホーンテッドマンションでの出来事だ。


私は夢の国特有のキラキラとした空気と人の多さに疲弊し、
蒼白のまま同級生たちと列に並んでいた。
出迎えてくれたのは、深緑のゴシック風衣装に身を包んだスタッフ達。

その姿に私は衝撃を受けた。






彼女たちは、

笑わないのである。


陽のオーラと笑顔全開で客をもてなすこのディズニーランドにあって、
彼女たちは笑わないのである。


私は稲妻に打たれたかのような衝撃を受けた。
笑わないどころか、彼女たちは不気味なオーラを放ってさえいる。

もちろんそれが、
ホラーアトラクションの演出の一部であることも子供ながらに理解はしている。
客を楽しませるための実に面白い演出であると思う。


私の目は彼女たちに釘付けになった。

いや、ほんとはそこまでじっとは見ていない。
対人恐怖症だったから、人のことをじろじろ見るなどということはできなかった。

だが彼女たちの姿は、私の心に深く刻み込まれた。


ドゥームバギー(死の車)と呼ばれる自動で進む椅子に座り、
はしゃぐ同級生に両脇を挟まれ、
クルクル回る半透明のお化けを見させられながら、
私は静かな高揚感の中に居た。



幼少期からおかしな子供で、どこに行っても馴染めず、
不安障害により、まともに人と食事をすることも、電車に乗ることも、
コミュニケーションを取ることも出来なかった私は早々に、
自分は社会でまともに働くことなど叶わないであろう、
と悟っていた。

だからといって特殊な技能を会得するわけでもなく、
そんな自分に絶望していたのだが、
この時、私の人生に一筋の光明が差した。



私は思っていた。

『ここなら働けるかもしれない。』



それは陰鬱な11歳の少女にとって、
ほのかな希望の光となった。

私は心の中の夢のノートにそっと、
“ホーンテッドマンションで働く”
と記した。



その夢は叶うことはなかったが、
笑わない彼女たちの存在は、
不安と絶望にまみれた私の思春期を、少しだけ明るく照らしてくれた。
夢の国にあってその存在は異彩を放っていた。私にとっての女神とは彼女たちに他ならない。



陰鬱な少女にも希望を与えてくれた、ディズニーランドはやはり夢の国であった。

大人になった今、あの場所で、新たな夢を見せてくれるかも知れない。
機会があれば、また行ってみたいと思う。






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