ヨル_INFJ

INFJ×HSP×毒親サバイバーの立場から感じたこと、考えたことを日々発信しています。…

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INFJ×HSP×毒親サバイバーの立場から感じたこと、考えたことを日々発信しています。生き辛い人が少しでも希望を持てる世界を創りたいと考えています。

最近の記事

INFJ,HSPの私がお薦めするエモい曲10選

先日、こんなつぶやきをした。 始めは本気ではなかったが、『もし書くとしたらこの曲とこの曲と…』と脳内妄想を繰り広げていたら居ても立っても居られず、早速書いてしまった。 10曲のうち4曲が洋楽、6曲が邦楽となっている。 すべて私がゴリゴリに好きな曲たちである。 売れ線、カラオケで歌える、ポップでキャッチ―、明るく前向き、 そういった要素は無いに等しい。 曲を視聴される場合はその点を御承知いただきたい。 ※もし記事を読み、曲を聴いていくうちに鬱々とした気分になってきた場合は

    • 気持ちがトゲトゲしたので、曲を聞き流したく、YouTubeで"洋楽 エモい"で検索して聞いてみたが、どこがエモいのかさっぱりわからない曲ばかりだった。私のエモさと皆のエモさは随分違うようだ。今度『オススメのエモい曲○選』という記事でも書くかな。重くて暗くてみんなの度肝を抜くだろう

      • 変化が嫌いですか?

        ダボダボでゆるゆるな服が好きなんです。 思い返せば小学生の頃は、スカートを絶対に履かない子でした。 単純に嫌いだったからです。 自分らしくないと思っていました。 プリンセスとか、キラキラとかふわふわにまったく興味がない子どもでした。 中学生のころは、ダボダボでゆるゆるな、ストリート系の服を好んで着ていましたが、高校以降は、男性の目を意識した服を選ぶようになりました。 恋愛依存をしていた頃は、ミニスカートや体のラインが出るような服ばかり着ていましたが、社会に出て、年齢を重ね

        • 有料記事作成中

          有料記事を作成中です! noteの10万人ポイントプレゼントに便乗し、ポイントがプレゼントされる日までの投稿を目指していたけど、間に合わずに無念。 だけど有料記事 書くの 楽しい!! 決してお金に貪欲になっているわけではない(多分)。 わざわざ有料にするということは、見たい人だけが見れるシステムになっており、 つまりリミッターを外して本当に書きたいことが書けるということである。 それは本当の自分の声と向き合っている瞬間でもある。 いや、その他の記事もそうなんだけど

        INFJ,HSPの私がお薦めするエモい曲10選

        • 気持ちがトゲトゲしたので、曲を聞き流したく、YouTubeで"洋楽 エモい"で検索して聞いてみたが、どこがエモいのかさっぱりわからない曲ばかりだった。私のエモさと皆のエモさは随分違うようだ。今度『オススメのエモい曲○選』という記事でも書くかな。重くて暗くてみんなの度肝を抜くだろう

        • 変化が嫌いですか?

        • 有料記事作成中

          笑ってしまおう

          先日、ある事に気付いてしまったんです。 私は実年齢より若く見られます。 私の母も、祖母も、 実際の年齢よりだいぶ若く見られます。 私から見ても、母も祖母も同年代の方と比べると、見た目的にはとても若いです。 大きな病気もしないですし、そういう家系なのだろう、と思っていました。 ですがここ最近で 自分についての理解が深まり 私はふと 気付いたのです。 全員アダルトチルドレンなんじゃね? ということに。 毒母は、 なぜ毒母になったのかといえば、 やはり幼い頃に愛されなか

          笑ってしまおう

          note始めて1ヶ月たったんだった!忘れてた!2日前だった!!いつも見てくださる皆さん、ありがとうございます!

          note始めて1ヶ月たったんだった!忘れてた!2日前だった!!いつも見てくださる皆さん、ありがとうございます!

          下っ腹の漬物石と狂気

          物騒なタイトルですみません。 先日、つぶやき機能を使って、初めてのつぶやきをしました。 生理の時の負のループの話です。 1年で12回もこのループをするわけです。 ですが一番ツライのは、ここじゃないんです。 今日は女性の体についてのお話です。 皆さんは、女性の体をご存じでしょうか? とは言っても、男性の皆様が期待するような内容ではございません。 申し訳ありません。 ですが、女性の体について男性の方が知識を持っていることは、 パートナーとの良好な関係に欠かせないものと思いま

          下っ腹の漬物石と狂気

          女性特有の体の話なんですが、 生理がくる→貧血になる→婦人科で処方された鉄剤飲む→鉄剤の影響で便秘になる→便秘の影響で胃痛が起こる→鉄剤やめる→貧血になる、の負のループ。辛い。。

          女性特有の体の話なんですが、 生理がくる→貧血になる→婦人科で処方された鉄剤飲む→鉄剤の影響で便秘になる→便秘の影響で胃痛が起こる→鉄剤やめる→貧血になる、の負のループ。辛い。。

          生まれたところから、私の人生である。

          賛否あるであろうことを書きます。 私は毒親育ちで、これまでの人生の大半を苦しみながら、重いものを引きずるようにして生きてきました。 それがある時、 少し、ふわっと、軽くなった、 その時のお話です。 私の場合、毒親育ちとは、 身体的な暴力等のものではなく、 心理的な抑圧や人格否定などで、 簡単に言えば、言葉や態度によって私という人格をコントロールする暴力、 といったところです。 衣食住は十分に(むしろ過度に)与えられていて、 “自分たちは上流である”との認識を両親ともに

          生まれたところから、私の人生である。

          私たちが求めているもの

          先日、YouTubeであるショート動画を見ました。 数か月前に愛犬を亡くした男性に、彼の家族がサプライズで子犬をプレゼントする動画です。 癒しを求めて可愛い動物の動画を見まくっていた時に、この動画に辿り着きました。 これを見た途端、私は涙が止まらなくなりました。 ほんの数十秒のショート動画を、何度も見ましたが、 その間中、涙が止まらないのです。 ひとしきり泣いた後、私はこの涙の意味を考えていました。 男性は子犬を抱き締めた瞬間から、涙を浮かべているように見えます。 そ

          私たちが求めているもの

          笑わない女神

          私は笑わない子供であった。 まったく笑わないわけではない。 時には笑う。 しかし、はしゃいだり、騒いだりすることの無い静かな子供であった。 微かな記憶として残っている、あれは恐らく3歳の頃。 母の通う自動車教習所の託児室にて、部屋の隅に座し、一人静かに本を読んでいる、そういう子供であった。 子供の群れの中に入って行けることは無かった。 心が全力で拒否をするのだ。 あそこは私の場所ではないと。 いつも大人の傍らでじっとしていた。 今となっては生まれ持った気質だったり生育環

          笑わない女神

          届かない

          noteにはなるべくポジティブな発信をしようと思っていました。 過去のこと等、苦しい胸中について書いたものもありますが、 基本的に私は、 自分にも世界にも常に希望を持っていたいのです。 ですが、 自分も世界も、明るい側面と暗い側面があって成り立つものです。 それらを否定したり、 どちらか一方を見ないようにしてしまうと、 バランスが崩れます。 両面が“在る”のが健全な状態だからです。 以前の私は、 自分にも世界にも、「こうあるべきだ」 「こうあらねばならない」 という想いが

          届かない

          おかしなこども

          わたしの子供の頃の夢は、画家でした。 もしくはイラストレーターか漫画家。 絵を描くこと、何かを生み出すことがとても好きな子供でした。 小学生の頃、クラスで飼っていた二羽のインコを、休み時間にノートに描いたら、みんなが集まってきて、 口々にうまいと褒められた記憶が淡く残っています。 いつも、妄想ばかりしている子供でした。 授業中は完全に物語を作り出す時間で、授業が始まると、 さて、この時間は何の物語を作ろうかな、と、 ワクワクしているおかしな子供でした。 もちろん、先生の話

          おかしなこども

          マウント.ハハ報告

          母は山のような人である。 山のような母というと、 どっしりと構えていて、動じず、 おおらかで山のような安心感のある人、 というイメージだがそうではない。 母は、 日本で最も高い山の上に君臨し、そこからすべてを見下ろし、 「私は全てを知っていて、私こそが正義である」 と言っているのだ。 Mt.フジならぬ、 Mt.ハハである。 マウント.ハハは、 「お前も私のような高い山になれ、 だが私より高い山になってはならない。」 と言う。 マウント.ハハにとってはその高さこそが誇り

          マウント.ハハ報告

          会食恐怖症の克服

          前回は6歳頃から始まった会食恐怖症について書かせていただきました。 今回は成人し会食恐怖症を克服した経緯について書きたいと思います。 結論から言います。 私が会食恐怖症を克服できたキッカケは、 お酒です。 酒かい!! と思われた方もいらっしゃることでしょう。 ですがフザけているわけではありません。真面目に言っています。 私はお酒が大好きだったのです。 もっとも、お酒はきっかけのひとつに過ぎません。 様々な条件が重なって、私の食事への恐怖は少しずつ和らいで行きました。

          会食恐怖症の克服

          会食恐怖と母

          私は6歳頃から成人するまで、会食恐怖症でした。 今回はそのことについて書きたいと思います。 なかなかしんどい内容ですので、興味がある方のみ読み進めてください。 私の体験が会食恐怖で苦しむ方の参考になれたら幸いです。 会食恐怖の始まり始まった原因は定かではありません。 小学校1年生頃から、食事の時に人の視線が怖く、食べ物が喉を通らなくなってしまいました。 その症状が出るのは、 「慣れない環境に居る時」でした。 人の多い場所や、初めての場所などです。 家では普通に食べること

          会食恐怖と母