未亡人・バツイチ・おかあさん。いまさらどう生きるか自分のことばかり考えている。

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最近の記事

仕事をやめた

6年弱続けてきた仕事を辞めた。 理由は何故わたしが真摯に仕事をしているということを受け入れてもらえないのか、認めてもらえないのかということを何度確認して説明されても理解出来なかったからだ。 只管に頑張ってきた自負がある。 本来なら自分の仕事の範疇でないことも積極的にやってきた。 たくさんの方からの信頼を得られた実感もあった。 楽しく働けていた。 自分らしさを活かせる仕事だと思っていた、幸せな時間だと感じていた。 いつからか、違和感を覚えるようになった。 さまざまな事情で少

    • 終わりを決めること

      自殺してはいけないとは言えない。 生きてさえいればとは言えない。 生きたくても生きられない人が居るのにと聞くたびに知るかそんなもんと思う。 わたしの幸せはあなたの幸せではないし、あなたの不幸はわたしの不幸ではない。 自死を選んだ本人の選択の是非など関係なく、周りが救えたかどうかも関係なく、死んでしまった事実があるその理由がある、それで、一区切りの人生というものだと思う。 とても美しくて無欠で欠点などないという絶望もある。 弱いことが許されないときがある。 幸せであることが

      • ウランちゃんはんぶんこ

        私に必要なのは、推敲と文章を完結させる努力と、学ぶためのツールから学ぶということだ。 天才になりたかった。 誰の真似をしなくてもありのままの自分が考えて作ったもので、誰をも納得させるようなものを残したい、それはきっと正しいものになる、私は正しくありたい、そう思っていた。 既にあるものを受け入れられなかった。 真似したら負けだ、誰からか教わるなんて恥ずかしい。 そんな無知ゆえの遠回りが、私に何の希望も残さなかったんだろうな、と今ならわかる。 もう全て遅いのだけど。 あんなに

        • あなたが死んでしまうのはいつも夢だから大丈夫

          志村けんが新型コロナウイルス感染症で死んでしまった。 子どもの頃、テレビがブラウン管のものだったころ、毎週加藤茶と志村けんの番組を観ていた。 幼い頃の楽しさ・喜びってものは純度がとても高くて大人になった今でも忘れられずにいる。普段意識はしないけど頭から染み付いて離れない、自分の一部を構成する要素としてとても大きいものとして在る。 感染の一報をメディアで知ったときには、元気で戻ってきますようにと純粋に願った。 今になって思えば、とても悪い経過を辿っていることは明白だった。タ

        仕事をやめた

          レンジでチンして食べて

          「同級生はレトルト食品を食べたことがないんだって」 塾から帰ってきた子どもが、わたしに何気なくそう言った。 その同級生の子は成績優秀スポーツ万能、人格的にも優れている、とは子ども談。 同級生の母親は、毎日手作りのメニューをテーブルにきれいに並べて、味もきっと素晴らしいんだろう、楽しい食卓がそこにはあるんだろうなと想像した。 ふと我が家の食卓を見る。 閉店間近のスーパーで買った、半額シールの貼ってあるハンバーグがお皿に移しただけのまま、置いてある。付け合わせはない。 炊き立て

          レンジでチンして食べて

          我が子が宇宙人だったことを知る今日

          言わなくても分かってる とか 一緒に暮らしてきたんだから伝わる とか 社会の常識 とか そういった類のものが全く通用しないほどの、宇宙人として育っていた、我が子が。 大凡の想定しうるレスポンスはもうしてこないだろう。 こちらが望む・予想する行動も言動も諦めた、と思ったら、急に気持ちが楽になった。 我が子はもう、半分は巣立ったのかな、と思った。 わたしがどうこうできる存在ではなくなったのだな、と感じた。 こうして、この子は「わたしの子」でなく、「自分」として生きていくんだな。

          我が子が宇宙人だったことを知る今日

          埃が舞っている

          仕事納めから何もせず、起きたい時間に起き食べたいものを食べ続け欲しいものを買うという生活をしている。 仕事が始まればルーティンにのって頑張れます。 子どもって、向き合えばそれだけ返ってくる、よくもわるくも。 毎日楽しい。 毎日しんどい。 まあ、どうでもいい感じです。 来年も何事もありませんように。 よいお年をお迎えください。

          埃が舞っている

          地獄は続く

          カッターを握り締めて死にたいという我が子を前に、心中が頭を過ぎるクリスマス。 夫を亡くし、子をも亡くすのかな、わたし。 前世で何した、核ボタンでも押したかな。 死にません、お迎えが来るまでは。 わたしはまた悲しくても、狂ったまま生きます。 なんとなく、そうです、分かっています。 わたしが狂ったまま溌剌と生きるから、子どもはおかしくなるのです。 言葉か、行動か、時間か。 何か、この状況を変えてくれるものはありませんかと思う。 これは、よくある思春期の一部なの? わたしに

          地獄は続く

          いい子という呪い

          わたしは答えを持たない。 勉強が出来なくてもいい。本当にそうだろうか。 友達が多くなくてもいい。本当にそうだろうか。 ありのままでいい。本当にそうだろうか。 諦めなければ願いは叶う。叶わないときもある。 頑張れば報われる。そうでないときもある。 何もしなければ何も起らない。 辛くもないけど、楽しくもない。 成功もしないけど、失敗もしない。 僕はここにいたいんだ。 何もしたくない。 布団にくるまって、ずっと眠り続けたい。 死んだ夫は、そう言っていた。 起こそうとしたから、

          いい子という呪い

          翌日なんて思い浮かばずに明日(倩)

          syrup16gや鬼束ちひろやCoccoを聴いたし、南条あやも読んだし、リタリンがソラナックスがデパケンがエリミンがコントミンがベゲタミンAとBが、なんて世代だ。 腕には切り傷の痕が残っているし、大量服薬からの胃洗浄もした。 そういった時期を経て、死ななかった(生き残った)ためにいま、普通の生活を送っている。 毎日仕事に行き、子育てをしている。 子どもたちは愛しい。が、発達に偏りがある様子だ。 とても育てにくい。 それ故に苛立ちを隠せないときが度々あるし、暴言を吐くこともあ

          翌日なんて思い浮かばずに明日(倩)

          声が出なくなった

          久し振りに風邪を引いた。 よく分かってないので憶測の域を出ないが、医療に従事していて様々な細菌ウイルスに暴露される機会が多く、尚且つ免疫機構が正常に働いているとなれば、ある程度長い期間働いていればある時期からは不顕性感染となることのほうが多くなるのでは、と勝手に思っている。 ので、滅多に風邪を引かないのはそういうことであって、丈夫だなぁ、わたし、と思っていた。 が、今朝起きたら声が出ない。 熱はない。風邪っぽい雰囲気はする。 この間忘年会でたくさんの人と会ったから、そのとき

          声が出なくなった

          主治医には言えなかった

          安いスパークリングワインを帰ってきてから一本開けた。 主治医には遺書を書いたとは言えなかった。 もう、幸せを心の拠り所にして生きるのには疲れたとは、言えなかった。 わたしは明日も生きます。 自死で遺された側の気持ちがわかるから、わたしはお迎えが来るまで生きると決めています。 早くお迎えが来ますように、と時々祈ります、真摯に。 丈夫なフィジカルがそれを許さなくて、わたしは笑います。 子どもたちを愛しています。 酔っ払ってます。 欲しいものを躊躇いなく買えるだけの経済力が欲

          主治医には言えなかった

          遺書を書いた

          月経周期にめちゃくちゃ影響されるために、毎月一度は「死にたいな」と思うんだけども、今月は特に酷い。 月経が開始したあとは大抵気分も晴れるのに、今月は全く晴れない。 昨日は、本当に些細な出来事で著しく情緒が荒ぶる下の子に対して暴言を吐いてしまった。 母親失格。そうして自覚して、また気持ちがさらに落ち込む。泥沼、どつぼに嵌っている。 愛しい子どもたちをきちんと大事に出来ていない自覚がある。その自覚が自分に更なるプレッシャーをかけ、ストレスを増強させる。 その結果として、わたしはこ

          遺書を書いた

          老いていく母に届かないもの

          母はたぶん、発達障害だと思う。 相手の気持ちを察することが出来ない。 それでよく、ひとを相手にする仕事を40年もやってきたと思う。 そういえば昔、職場で友人は一人もいない、馴染めていないと愚痴を零していたような覚えがある。 大人になって、客観的にひとりの人間としての母をみると、そりゃ友人出来ないよね、と思うことが度々ある。 母に感謝するところがあるとすれば、勤労女性のパイオニア的な人生を送っていて、「これからの時代は女性も男性と同じように働いていくことになる」と教えてくれた

          老いていく母に届かないもの

          さみしくなったら、またあおうね

          忘れられないひとがいる。 病院で働いていたとき、統合失調症の男性が定期的に点滴を受けに来ていた。 その目的は点滴ではなく社会参加だったのだと、いま気付く。 彼には仕事もなかったし、所属する居場所もなかったように思う。 だからこそ来ればひとと話せる病院を、点滴をする機会を大切にしていたように思う。 年齢は50歳目前。 けれどいつも子どものような表情をしていた。 病院では感情の起伏が激しくなることもなかったし、終始穏やかに過ごしていた。 言葉数は少なかったけれど、いつも点滴が

          さみしくなったら、またあおうね

          そう思う①

          普通とは、当たり前の線の上にみんな乗って、そこからよーいどんなような気がしていて。 そんなことないよっていう人たちは、当たり前に線に乗って、上からどろどろの沼に嵌まり込んで息をするのもしんどい私のことを眺めている。 同じ沼にはまっている同士はまた、ほんとうに息が出来るのかって生きてるのかって、自分のもしくはお互いの首を絞めて苦しいなって感じることで生きてることを実感するような気がする。 擦れ違う知らないひとを見るたび、それぞれの普通があって、みんな同じなんてことはないのは

          そう思う①