馬

【伯楽の一顧】(はくらくの いっこ)

 ── 有力な人から認められること ──

 伯楽(はくらく)は、馬のよしあしを見分ける能力が高いことで伝説的な人物である。

「戦国策」(せんごくさく)に、次のような話が載っている。
 ある人が都市の馬市場で自分が育てた馬を売ろうと、はるばる馬を引いてやってきた。
 そして市場で声をからして売ってはみたのだが、ひやかす客さえ現れない。三日も市場に立ち続けたが売れないままだった。

 そこでその人は一計を案じ、伯楽(はくらく)のもとを訪れ、頼んだ。
「お願いです。明日も私はこの馬を連れて馬市場に立ちますから、どうか貴方はこの馬をちらりと見てはくださいませんでしょうか。いえ、見るだけでいいのです」
 連れていた馬を伯楽(はくらく)が見てみると、なかなかたいした馬である。この馬なら誰が買っても損はないはずだ。
 が、売れないのも無理はない。連れている男の服装は貧しく、しかも遠いところから来たらしい旅の汚れもついたままで、実に汚い。都会の風俗になれていないせいか、立ち居振る舞いもどうにもダサい。こんな人間が連れている馬がそれほどの馬であるはずがない、と誰もが思ってしまったのだ。

 伯楽(はくらく)は、「よろしい」と快諾し、翌日、馬市場へ出かけた。
 中へ入ってみると、なるほど昨夜の男の周りだけ誰もいない。他の馬のところには値踏みしたり交渉をしようとする客が必ず何人か集まっているのに、そこだけぽっかり空いている。
 伯楽(はくらく)は、いかにも全体の様子を見に来たというふうにあちこちをスタスタ歩き回り、たまたま昨夜の馬のところを通りかかったところで、ふと足を止めた。
 そしてしばらくじっと見つめて、ほほえみながら、「ほぅ」とつぶやいた。また歩いて行こうとして再び足を止め、振り返って馬を見て、「うん」とうなずいた。

 伯楽(はくらく)の馬の見る目が天下に並ぶ者がないことは、馬の売り買いでもやろうかという人間なら誰でも知ってる。伯楽(はくらく)の一連の行動はたちまちのうちに市場中に知れ渡った。
「伯楽(はくらく)があの馬を見てうなづいたぞ」
「立ち去ろうとして顧みたというではないか」
 と、売買人たちの口から口へ伝えられ、そこらじゅうにいた人々がどっと集まってきた。
「私にその馬を売ってくれ」
「いや私に譲ってくれ。金額は言い値でいい」
「私はその倍だそう」
 と口々に言いつのり、馬の値段はたちまち十倍以上に跳ね上がった。
 もちろん、その馬を連れてきた人は、予定した以上の充分なお金を懐に、妻や子が待つ故郷へ帰ることができたのだった。

 これが「伯楽(はくらく)の一顧(いっこ)」である。「顧」はちらっと見ること。
 いかな名馬であろうと、それが名馬であることを見抜ける人間がいなかったら意味がないし、活躍の場が与えられることもない。あなたがどんなに高い能力を持っていたとしても、雇う側にそれだけの目がなかったら、芽が出ることは決してないだろう。
 そして「世の中は、ちゃんと見える人ひとりに対して、ただ網膜に映っているだけの人は千人もいる」と言われているように、たいていは何も見えていないのだ。千里を駆ける名馬がいないのではない。千里の馬をそれと見分けられる伯楽(はくらく)こそがいないのである。

 自分のどこかに推薦してほしいときに、この話にちなんで、「伯楽(はくらく)の一顧(いっこ)をたまわりたく‥‥」と頼む言い方もある。まぁ最近は、そんな言いかたをしても分かる人はいなくなってるだろうが。

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