鏡

【破鏡】(はきょう)

 ── 夫婦の別離、離婚 ──

 鏡が割れることがどうして夫婦の別れを表すようになったのかについては、二つの説が残っている。どちらか一方が語源になったというわけではなく、二つがいっしょになって、しだいにひとつの語源となったものらしい。

 まず「神異経」(しんいきょう)という本に載っている話から。
 昔、ある夫婦が戦乱かなにかの都合で離れて生活しなければならなくなった。別れるにあたって鏡を二つに割り、半分ずつをそれぞれ持っていることにした。そのころの鏡はガラス製ではなく、金属製(たいていは銅合金)で、その表面を磨いたものだったからこんなことができた。ガラス製だったら危なくてとても持ってはおられない。

 時が経ち、妻のほうは夫への愛がだんだん薄くなってしまい、愛人ができた。いや、愛人ができたから夫への愛がどうでもよくなってしまったのかもしれない。
 すると彼女の持っていたほうの鏡の半分は、カササギに姿を変え、夫のもとへ飛んで行って、鏡はもとの一枚にもどった。一枚になった鏡を見て、夫は二人の仲が終わったのを知ったのだった。

 ここから、後世、鏡の裏にはカササギを描いて、たとえ遠くに離れていてもついには一緒になる愛のあり方をしめすようになったという。
 明治時代よりも前に日本で作られた鏡にも、その裏にはたいていカササギが描いてある。見る機会があれば確かめてほしい。

 もうひとつの話は「太平広記」(たいへい・こうき)に記載されている。
 六朝時代(りくちょう・じだい)のこと、南朝にあった陳(ちん)の最後の皇帝に、楽昌公主(らくしょう・こうしゅ)という妹があった。この女性、陳(ちん)の太子の家来だった徐徳言(じょ・とくげん)と一緒になった。
 両人とも望んでいたことがかなったわけで、しばらくは幸せに暮らしていたが、なにしろこの奥さん、小国といえども一国のお姫さまなのだから、住まう家はもちろんことの、食べ物も着る物も高級なのに慣れてしまっていて、金がかかってしょうがない。乱世で、陳も必死になって国家防衛をやっていたところだからお金はいくらあっても足りはしなかったのに。奥さんのほうもいろいろ努力はしてみるものの、生活のレベルを落とすことがどうしてもできないでいた。

 徐(じょ)はあまりに金のかかる妻にとうとう音をあげ、「あなたのような才能と美しさを兼ね備えている女性なら、国が滅んだとして面倒をみてくれる人にはことかかないだろう」と、相談づくで別れることになった。
 別れるとはいっても、互いに嫌いになってしまったわけではない。どちらも、できれば一緒にいたいのだ。それで、またあえることもあるかもしれないと、鏡を二つに割って半分ずつ持っていることにした。

 それからしばらくして陳は滅んだ。
 楽昌公主(らくしょう・こうしゅ)は越公・楊素(ようそ)の第二夫人におさまっていた。
 徐徳言(じょ・とくげん)のほうは、なんとか生き残ってはいたものの、勤め先だった陳がなくなってしまったので無職となり、食うや食わずの生活をしながら無為に日を送っていた。

 正月の15日。何もやることがないまま、毎年営まれる都の大市に出かけてみると、古道具屋みたいな店で、半分しかない鏡を売っている。もしやと思って自分が持っていた半分を出して合わせてみるとぴったり一致する。
 妻が持っていたはずの半分がこうして売られているということは、妻が自分のことを忘れてもよくなった、つまり新しい夫ができたのだと悟った徐徳言(じょ・とくげん)は、その場で一編の詩を作った。

  鏡は人と共に去り
  鏡は戻れど人は帰らず
  また姮娥(こうが)の影もなく
  むなしく留む明月の輝き
   (表示されない人のために「姮」は「女亘」の字)

 姮娥(こうが)は月の異名だが、またその月に住んでいるとされる美女の名前でもある。市が立つ15日は、旧暦だから満月だ。
 鏡がひとつになって、月の輝きは鏡に映ってるが、映っていてほしい女性の影はそこにはない、とまぁだいたいそんな意味だ。

 これを知った楽昌公主(らくしょう・こうしゅ)は、自分がまだ愛されていることを知り、そして自分もまた本当に愛しているのは徐徳言(じょ・とくげん)ただひとりなのだということが実感できた。なにがあっても別れるのではなかった。しかし今は新しい夫もいて、それなりに大事にされている。会いたいけれどどうすることもできない。
 楽昌公主(らくしょう・こうしゅ)はそれから毎日泣いてばかりいた。食べ物も喉を通らない。
 どうも妻の様子がおかしいと感じた楊素(ようそ)が訊いても、なんでもありませんくらいしか答えない。だが、なんでもないにしてはしだいに痩せ細っていく。なんでもないわけがない。
 これはなにかあると感じた楊素(ようそ)は八方手をつくして事の真相を探り出し、そういうことだったのかと分かると、人をやって徐徳言(じょ・とくげん)を呼び、
「お預かりしていた人をお返ししたい」と言って、楽昌公主(らくしょう・こうしゅ)をもとの夫に返したという。

 いい話だが、さてしかし、以前よりさらに貧乏になった徐徳言(じょ・とくげん)のもとへ帰って、楽昌公主(らくしょう・こうしゅ)は幸せに生活することができたのだろうか。記録にはそれについて何も言及されていない。

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