仏舎利塔

【舎利】(しゃり)

 米粒をあらわす俗語。今でも寿司屋さんでは米やご飯を呼ぶのに使っている。白米であることを強調するために、銀シャリなどと言ったりもする。

 これはもともとサンスクリット語で、お寺で使われていた仏教用語だった。しかも、なんと、これは骨を表す言葉だったのだ。

 釈迦がいたころの時代、インドでは仏像とか仏画などというものは存在しなかった。教えそのものがあまりにも気高くて、像や絵に現すことは不可能だとされていたからだ。仏像が作られるようになったのは釈迦が亡くなったずっと後に、仏教がガンダーラという現在のパキスタン北部へ流布してからのことで、その地を征服したことのあるアレキサンダー大王がもたらしたギリシャ彫刻の伝統と結びついて、やっと作られるようになったのだ。そこらへんのお寺にある仏像も、東西の物質文明と精神文明が込められているのだ。

 ま、それはともかく、そうした考え方だったものだから、釈迦が亡くなったとき、人々は信仰の対象、つまり何を拝めばいいのか分からなくなって困ってしまった。そこで仏が具現されていた彼の体そのもの、つまり遺骨を拝むことにしたのである。
 しかし、すべての人が墓のあるところまで行かなければならないのも不便なはなし。だから墓としての塔をたくさん作り、それぞれの塔に少しずつ遺骨を納めることにした。この墓の塔は「仏舎利塔」(ぶっしゃりとう)とよばれるが、塔を多くしようとすればするほど遺骨は小さくなり、ついに米粒ほどの大きさになってしまった。骨の色はもともと白いものだから、形も色つやも米粒そっくりだ。
 ここから米のことをシャリと呼ぶようになったのである。

 「仏舎利塔」(ぶっしゃりとう)は仏教が流布されるに従って次第に数が多くなり、本場のインドはもとより、中国、東南アジアをはじめ、もちろん日本にもちゃんと存在している。
 一つ一つの舎利はいかに小さいものとはいえ、これほど多数の塔のすべてに納められるほどの骨が本当にあるのだろうか。ある学者が、現存する塔の数をもとに試算したら、釈迦の体重は少なくとも1トンはないと計算が合わないという結果が出たそうだが‥‥。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?