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2024.3 往復JALファーストクラスで行くNY・WDW旅行の記録(その4;NY観光1日目(自由の女神・カーネギーホール etc.)編)

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その1はこちら

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  • 日単位旅行記

    • 2024/2/29(ファーストクラスラウンジ)

    • 2024/2/29(ファーストクラス往路)

    • 2024/2/29(NY到着~ホテル)

    • 2024/3/1(マンハッタン散策、自由の女神、カーネギーホール etc.)←この記事はこれ

    • 2024/3/2(メトロノース鉄道、初Uber、イェール大学、Vision Pro体験 etc.)

    • 2024/3/3(ブルックリン橋、9.11メモリアル、空母・潜水艦、エンパイアステートビル etc.)

    • 2024/3/4(RiseNY、近代美術館)

    • 2024/3/4(アメリカン航空ラウンジ・国内線 NY→オーランド)

    • (中略;WDW8日間)

    • 2024/3/13(ファーストクラス復路)

    • 前日譚(ファーストクラスでの渡航決定まで)

  • JALについて

    • そもそもファーストクラスとは何か

    • ファーストクラスに乗るにはどうすれば良いのか

    • 今回活かせたJGCの特典とJGC修行の話

  • WDWのカテゴリ別まとめ

    • 予約について

    • アトラクションについて

    • ショー・パレードについて

    • キャラクターグリーティングについて

    • フォトパスについて

    • パークホップについて

  • ぶっちゃけこの旅行は幾らかかったのか……


2024/3/1(金)

事前の観光情報収集は殆どしていなかった……

さて、長かった2/29の夜にホテルに着いたが、この時点で、翌日以降の予定で決まっていたことといえば、

  • 3/1(金)の夜にカーネギーホールへ行くこと

  • 3/2(土)にメトロノース鉄道に乗って午後からイェール大学のキャンパスツアーに参加すること

  • 3/4(月)夕方の飛行機でフロリダへ移動すること

だけだった。日頃、割と予定はきっちり決めてから旅に出るタイプなのだが、今回は航空券が取れて渡米できることが最終確定したのが出発の数日前という旅だったこともあり、殆ど詳細な予定を決めていなかった。本当はラウンジや機内でも調べれば良かったのだが……
前回の記事でも書いた通り、NYには2018年に一度だけ来たことがあるが、当時は24時間未満の乗継で一泊しただけだった。このため、国連本部を見学し、グラウンドゼロを訪れ、バッテリーパークから遥か彼方に自由の女神を眺め、タイムズスクエアにちょっと行ってみる、程度の滞在だった。つまり、本格的な観光の時間を取るのはこれが初めてであり、となるとまずはド定番の観光地へ行かねばなるまい。しかしそのための情報収集(料金、営業時間、所要時間等々)は全く把握していない、という有様である。済ませていることと言えば、Googleマップで気になる施設をリスト化し、概ねの位置関係を把握しただけであった。
とは言え前夜は流石に疲れもあり、21:30頃には寝た。一旦は、夜のカーネギーホールに最低限間に合う時刻にアラームをセットし、心行くまで寝ることにした。

観光パス購入

しかし、興奮なのか時差ぼけなのか、5:00前後から眠りが浅くなり、朝6:00前には完全に目が覚めてしまった。であれば、この日3/1もフルに使って観光しようとあれこれ調べ、Go Cityという観光パスに辿り着いたのが、7:00過ぎであった。

日数を選んでその間使い放題のパスと、箇所数を選んで30日以内に使うパスがあったが、7箇所パスを定価286USDのところセールで206.00USD(約31,500円)で購入した。連続日でなくてはならない日数パスは、イェール大学へ少し遠出してNYに殆ど居ない日が真ん中にあった(キャンパスツアー曜日の関係)ためお得度が低く、NYは2.5日なので7箇所程度が良いだろう、と割と直感的に決めた。結果的には多すぎず少なすぎず良い箇所数だった。
購入時点では(一部に事前の予約が必要な施設はあるものの)どこに行くか決める必要は無く、対象施設の入口でパスをスキャンして初めて1箇所使用済みとカウントされるので、自由度も高い。
アプリを使うのが便利で、パスのコードの表示の他、対象施設を検索することは勿論、地図に表示することも出来るので、初めから狙っていた施設だけでなく、面白そうなものに偶然出会うチャンスもありそうだった。
結局、当日13:00の自由の女神と、3/3(日)20:00のエンパイアステートビルの予約だけはして、9.11メモリアルは行きたいなと考え、あと4つは流れで決めることにした。

利用可能な体験の例(その1)
主要な観光地は概ね揃っている印象だった(流石にメトロポリタン美術館は無かったが)
https://gocity.com/ja/new-york/attractions より
利用可能な体験の例(その2)
観光施設だけでなく、(今回はオフだったが)ヤンキースの試合や、ガイドツアー等もあった
https://gocity.com/ja/new-york/attractions より

タイムズスクエアまで散策

身支度を終え、8:00には出発することにした。天気は晴れで、NYは寒いイメージだったが気温もちょうど良く、東京の方が寒いくらいだった。薄い長袖のシャツに春秋用の薄手のコートで十分。
ホテルの前の45th Streetを西へ歩き、20分ほどでタイムズスクエアへ到着。道中はオフィス街ということもあり通勤中のニューヨーカーがちらほら。6年前に来たときは夜だったため非常に人が多く渋谷のスクランブル交差点のようなイメージを持っていたが、平日の朝ということもあってか人影はまばらだった。相変わらず着ぐるみを着て写真を撮ろうと言ってくる人たちをガン無視して周囲を軽く散策。まだ開いていない店が殆どで、前日までのラウンジ+機内での暴飲暴食もあって全くお腹も空いていないため、10分ほどで散策は終了。

日本で歩く時と変わらず栗鼠がぶら下がったいつものカバン
マンハッタンの街並み(その1)
マンハッタンの街並み(その2)
Grand Centralの裏側
なんか日本っぽさを感じると思ったら……
いらすとや
タイムズスクエア(その1)
渋谷のスクランブル交差点付近のような感覚がある
タイムズスクエア(その2)
タイムズスクエア(その3)

ブロードウェイからセントラルパークへ

8:30過ぎにはタイムズスクエアを離れ、今度は斜めに走る通りであるブロードウェイを北上する。朝のホテルからの移動も含め、地下鉄でも良いのだが、街並みも見ながら歩きたいのと、地下鉄は距離によらず1乗車2.90USDなので絶妙に高くなってしまうため歩いている。シェアサイクルもあるようでこれが一番便利そうだったが、交通ルールに慣れない中で万が一にも怪我をすると被害が大きいのでやめておいた。ところで、車が右側通行なのに自転車レーンが左側にあるのは何故なんだろうか。
20分ほどで8:50にはセントラルパークの南西の角であるコロンバスサークルに到着。クリストファー・コロンブスの像を中心にしてラウンドアバウト状に道路が取り囲んでいる円形の広場である。因みに東京ディズニーシーのニューヨークエリアにも同名の場所があり、やはり斜めに走るブロードウェイの先にコロンブスの像を囲む円形の広場がある。
9:00過ぎにセントラルパークに入ってみて、南端付近を少し歩く。セントラルパークは何しろ広大なのでほんのごく一部しか歩いていないが、都心のど真ん中にある広大な緑地にランナーがたくさん走っていて、皇居のような雰囲気だった。なお、セントラルパークを歩いていたら、道行く知らないニューヨーカーお姉さんに Wow, Chip'n'Dale! So Cute! と絡まれる、アメリカでは定番のイベントの第一弾が発生した。

ブロードウェイにあったバックトゥザフューチャーのミュージカルの案内
流石に日程の都合で行かなかったが、気になる
シェアサイクルのステーションはあちこちで見かけた
右側通行で(一方通行とは言え)左側に自転車専用レーンがある
聞くところによると、右側にはバス停があるからだとか(?)
コロンバスサークル
東京ディズニーシーのニューヨークエリア
右側真ん中あたり、ポップコーンの1番の下にある円形の広場がコロンバスサークル
そこから左下にトイストーリーマニアまで延びているのがブロードウェイ
https://www.tokyodisneyresort.jp/tds/map.html より
コロンバスサークルで、舞浜ならマクダックスデパートメントストアがある場所
(正面建物の左側がブロードウェイ)
コロンブス像
舞浜にもある水蒸気の出るマンホール
勿論こちらは演出ではない
セントラルパーク
皇居ランナーならぬセントラルパークランナーたち
セントラルパークからビル群を眺める

セントラルパークの栗鼠(本物)

セントラルパークには、本物の栗鼠がいる。冬眠しているのかなと思ったが、何せ数が多いそうで、冬眠しない変な奴も一定数いるせいか、一年中見られるとの話も読んだ。案の定、特に探さなくてもその辺の木に栗鼠を見つけた。
ところで話は飛ぶが、東京ディズニーシーで「ハロー、ニューヨーク!」というショーがあった。2018年の7月に公演が始まり、コロナでの2020年2月29日の休園から、そのまま復活することなく短命に終わってしまったショーである。

そのショーは冒頭のミッキーらが船でニューヨークに到着するシーンから始まり、ミッキー、ミニー、プルート、グーフィー、ドナルド、デイジーが、それぞれニューヨークでやりたいこと・行きたい場所を話し合う。そしてそれぞれのシーンが進むのだが、中盤にドナルドとデイジーがセントラルパークでデートをしているところに、チップとデールが乱入してくる(動画10:02頃)のである。かわいい。
このショーを初めて見たときには深く考えず気付かなかったのだが、チップとデールは(途中から当然のように一緒にいるものの)冒頭のNY到着シーンには出てこない。また、チップには「セントラルパークと言えば、どんぐり!」というセリフもある。つまり、こいつらは初めからセントラルパークに住んでるのでは???と思った。
そうして調べてみて初めて、セントラルパークには本物の栗鼠が生息していることを知ったのである。2018年の訪米よりは後の話である。(前回訪米が2月、ハロニュ開始が7月なので)
そんな「セントラルパークの栗鼠」を実際に見た感動で、結局9:30頃まで20-30分を栗鼠の観察に費やしてしまった。
因みに、ショーに出てくるニューヨーク体験のうち、セントラルパーク散策、セントラルパーク栗鼠、高いビルに上るは達成した。ブロードウェイは歩いたがミュージカルは観ていない、ホットドッグは見かけたが食べていない、魚釣りはしていない。

距離はかなり近く、木の実をかじっている音が聞こえてくる
複数同時に見かけることも多かった
かなり近いところにもいる

五番街とティファニー(朝食は食べていない)

栗鼠を見ていたのがセントラルパークの南端を東へ歩いた位置だったので、そこから7th Avenueを2ブロック南下してカーネギーホールへ。この夜のコンサートのチケットを現地受取にしてあったので、受け取ろうと思った。しかしBox officeは11:00からとのことで、現在は9:29だったので諦め、公演前に受け取ることにした。
そのまま57th Streetを東へ歩き、5th Avenueへやってきた。高級ブランド店が軒を連ねる、いわゆる「五番街」である。ルイヴィトン、ティファニー、プラダ、シャネル、ブルガリ等、ブランドに全く詳しくない自分でも知っている名前の店が、同じ視界の中にひしめきあっている。
その5th Avenueと57th Streetの交差点から少しだけ北に行くとセントラルパークの南東端であり、政治経済の授業で出てくる「プラザ合意」の舞台となったプラザホテルや、アップルストア5番街店などがある。アップルストアではまだアメリカでしか売っていないVision Proがあったので、一度見てみたいと思い入店。体験は予約制で既にいっぱいだったが、実物やそれを付けている人を見ることができた。
時刻は10:00になったところで、ティファニーに入ってみる。展示のような形で購入する気の無い観光客の入店も想定しているらしい雰囲気であることを事前に調べていた他、各ブランド店の中でもここが世界の本店であること、トランプタワーにあること等、単純に興味を惹かれたからである。
店内には案外(?)若いお兄さんやおじさま等の男性店員も多くおり、客層も店員も、老若男女問わずいる感じだった。もっと女性が多いのかと。日本人の店員さんもいた。
数々のダイヤモンドは勿論、現存する地球最大規模のダイヤモンドや、ティファニーで朝食をの原稿、食器類等、色々と展示してあって(大部分は売り物な訳であるが)興味深かった。本物のダイヤモンドとかこれまで殆ど見たことなどなかったが、写真や映像で見るのと違って本当に光り輝くんだなぁ、と思った。そして、もしここで間違えて転んで破損させたら、賠償責任保険じゃ多分足りなくて破産だろうなぁなどと考えていた。
あと、ティファニーで朝食を食べられるレストランがあったが、59USDらしい。朝食に出せる値段ではない。

カーネギーホールの外装は残念ながら修繕中
トランプタワー
5番街を北から見たところ
プラザホテル
アップルストア 5th Avenue店
店舗自体は地下にあり、地上構造物(?)はこれだけ
写真左下(螺旋階段とその奥下)だけが本当に存在し見えている部分、あとは鏡
奥のソファ席で皆Vision Proの体験をしている
Vision Pro以外の製品
Vision Proと、その体験の予約や製品紹介が見られるiPad
ティファニー本店の入口
世界最大のダイヤモンドらしい
ティファニーで朝食をの原稿
ティファニー本店の店内(その1)
ティファニー本店の店内(その2)
ティファニー本店の店内(その3)
ティファニー本店の店内(その4)
この先で朝食が食べられる
ティファニー本店の店内(その5)
ツイ廃向け
ティファニー本店の店内(その6)
結構観光客も多くティファニー側もそれを歓迎している感はあったが、ダイヤモンドコーナーはやはり居ると場違い感があった
ダイヤモンドは本当にキラキラと光るのだと学んだ
写真なんかよりずっと何倍も光り輝いている
ティファニー本店の1階

ユニクロ・ロックフェラーセンター・任天堂ストア

ティファニーでは何だかんだ1時間弱ほど時間を使い、11:00前頃に出た後は5th Avenueを南下していき、コーチの本店をチラ見して、ユニクロがあったので入ってみる。ユニクロは五番街に出店するような店になったのか……
このユニクロ、地図を見るとわかるがめちゃくちゃ広い。品目はまあユニクロなのだが、Tシャツの種類が多かった気がする。また、日本の漫画が売っているコーナーがあった。
そのまま南下し、セント・パトリック大聖堂とロックフェラーセンターの横を通る(いずれも中には入っていない)。ロックフェラーセンターの前にはスケートリンクがあり、ホームアローン2でケヴィンと母親が再開を果たすシーンが撮影された場所だとか。かなり狭いので、雰囲気を楽しむためならともかく、滑ることを楽しむには物足りなさそう。
ロックフェラーセンターで1本西に入ったところをそのまま南下した角には、任天堂ストアがあった。店内に入ってすぐの場所ではゼルダの伝説のBotWやTotKに出てくる馬宿のBGMが流れており、実家のような安心感である。店内にはぬいぐるみやTシャツといった各種グッズは勿論、ゲームの実機体験コーナーや、キャラの等身大(?)と思われるフィギュアがあったり、任天堂の歴代ゲーム機が展示されていたり、居るだけでも楽しめる空間であった。

コーチ本店の入口
何故か革製品で作った恐竜が出迎えてくれる
コーチ本店の店内の様子
5番街のユニクロ
売っているものは日本と殆ど変わらないが、とにかく広い広い
UTのシャツが充実していた印象
浮世絵Tシャツ、普通に格好良い
この柄ちょっと良いと思った
ユニクロに漫画が置いてある
伝統的名作から最近のタイトルまで色々と揃っていた
セント・パトリック大聖堂
写真だけで入らず
ロックフェラーセンター
写真だけで入らず
ロックフェラーセンター前のスケートリンク
ロックフェラーセンターすぐ横にある任天堂ストア
恐らく設定上の等身大サイズのクッパ
TotKのリンク
めっちゃリアル
店舗は2階建てで、2階のほうが売り場面積も広かった気がする
ゼルダの伝説はアメリカでもかなり人気のようで、書籍類も
ゼルダの伝説の服
ゼル伝とカービィ
階段部分にはマリオ
スプラトゥーンのTシャツ
日本より在庫が豊富だと感じた
コジャケぬいぐるみ等
日本と値段はほぼ変わらないが、やはり在庫は豊富
どうぶつの森関係
NY店ならではのグッズだが、(日本で)身に着けるのはかなり恥ずかしい
個人的には最もテンションが上がった、任天堂の歴代ハードが展示してあるコーナー
スーパーファミコンは実家にあった
バーチャルボーイは初めて見た
64は実家にあるし、ゲームキューブも友達の家で・部室で、死ぬほどやった
Wiiからは一度ゲームから離れていた時期
そしてSwitchに至る
反対面は携帯ハード
ゲームボーイカラー、アドバンス、初代DSは持っていた
結構なマイナーハードまで取り揃えている
据え置き型の全体像
売り場全景(ここは2階)
1階は写真を撮り忘れたが、ゲーム機本体やソフト、アクセサリ、amiibo等の周辺機器が売っていた
2階は関連グッズ
2階奥はゲームの体験プレイができるコーナー
イベント等も開けそうな広さがあった
羽織袴と白無垢は意味が伝わっているのだろうか…?
ニューヨークっぽいグッズ

グランドセントラルを見て一旦ホテルへ

任天堂ストアを出たのが11:50頃で、そのまま5th Avenueを42nd Streetまで南下したところで東進し、12:00過ぎにGrand Central駅に到着。南側のターミナル外観を眺め、正面の入口を入って、駅空間を少し散策。前日は地下を彷徨ってなかなか出てこられず大変な目に遭ったが、明るくて人の多い時間帯であれば、歴史と風格を感じる良い場所であった。
12:10頃には一旦ホテルへ戻る。モバイルバッテリーも持ってきているのだが、スマホの充電がなかなか厳しい。短時間でも充電できる場所が必要だった。

Googleマップの制約上完全に正確なルートではない(実際はGrand Centralの南側正面から入り、駅舎内を東へ通り抜けてLexington Avenueに出て北上する形でホテルに向かっている)

Grand Centralのメインのターミナル
最近のイエローキャブ
車種も新しくなり、屋根上に電光掲示板の広告が載っている
ターミナルの歴史を伝える銘鈑
ターミナルに入ってすぐの空間
カフェ等があったが、あまり活用はされていなかった部分
もう一部屋内側に入った部分
星条旗は列車から降りてきた人に見えるようになっているようで、こちらからだと裏
メインとなるロビー
天井が非常に高い
発車案内
チケットは基本的にスマホで買うので、窓口は閉鎖され(開いている窓もあったかは確認し忘れた…)、そのスペースは人々が荷物を広げたり待ち合わせのために立ち止まるのに使ったりしていた
ロビーから各番線へ出るところに列車案内が出る電光掲示板
頭端式のホームが並ぶ
ホームの付近はかなり薄暗い
列車を降りてきてターミナルに入るとこのような景色になる
正面以外にもたくさん出入口はあり、そこに続く通路に売店、商業施設が位置している

自由の女神

ホテルに戻ったのも束の間、13:00から予約している自由の女神へ行くべく、12:30にはホテルを再出発。昼食の時間的余裕も無かったが、前日までのラウンジ+機内での暴飲暴食が効いているので特に問題は無かった。
自由の女神はマンハッタン島の南端にあるバッテリーパークというところから船で行くことになる。バッテリーパークまではGrand Centralから地下鉄で20分弱で、12:50頃に到着した。
バッテリーパークの地下鉄駅であるBowling Green駅から自由の女神の船乗り場までは、レジャーシートの上にブランド品のカバンや微妙に表情がおかしいポケモ〇やサ〇リオのキャラグッズを売っている人たちが並んでおり、海外の有名観光地に来たなぁという気分を盛り立ててくれる。どういう感覚・どういう意図で売っているんだろう。流石に違法性を認識していない訳ではないと思うし、買う側が本物でないことに気付いていないと思っている訳でもなさそうだが……そもそも買う人いるんだろうか。
ちょうど13:00には船乗り場手前の受付に到着し、Go CityアプリのQRコードを見せるだけで簡単に入場できた。これは楽。7箇所パスの1箇所目である。そしてアメリカの観光施設でありがちな空港並の保安検査を受け、船の列に並ぶ。
船は1階が屋内で座席の殆ど無い立ち空間、2階は屋内に座席が並び、3階(というか屋外デッキ)は天井が無い開放空間に座席が並んでいた。1階と2階には軽食や簡単なグッズを売る売店があり、店員のおばちゃんは皆自由の女神の王冠形のグッズを被っていた。屋外デッキはマンハッタン島南部の高層ビル群が一望できるので最初は大人気だが、船が出航すると寒風に吹き晒されて次々に脱落していく。
13:15にバッテリーパークを出航し、13:25頃には自由の女神の正面である南東側へ最接近する。そのままリバティ島(自由の女神が建っている小さな島)の南側を通って西へ回り込み、桟橋に着岸したのが13:32頃だった。自由の女神自体の見学料金は、ここまで来る船の料金に等しいため、リバティ島では特にチケットの確認等は無い。但し、台座や王冠に入れるチケットを持っている人は、台座下の受付でそれを確認される仕組みだった。今回は時間の都合や予約枠の都合もあり、台座や王冠へは行けなかった。Go Cityを使って行けるプランも、単純なリバティ島上陸のプランのみだった。特に王冠部分は狭い螺旋階段で行くので(台座まではエレベータがある)、予約枠はかなり少ないらしく、行きたい場合は早めの予約が必要である。
因みに、自由の女神は台座も相当に大きく、台座だけで47mある。というか、台座から松明先端までは46.05m(頭までは33.86m)らしいので、台座の方が大きい。
台座や王冠に上がらないとなると、言うてもやることは写真を撮るくらいなので20分もあれば終わってしまい、対岸に見えているマンハッタンの摩天楼を含めても14:00前には撮り終わってしまった。よく晴れていたことや、時間帯的にビル群は順光になって非常に良く撮れた。晴れ過ぎていて寧ろ暑く、コートが無くても薄いシャツ1枚で何とかなるレベルである。
島内にはStatue of Liberty Museumという博物館もあり追加料金なしで入れるので、こちらも見学。フランスから自由の女神を送られるに至った経緯や、デザイン的・構造的な設計・検討、実際の施工での技術的工夫等が展示されていた。完成から140年近く経っていることもあり、維持管理にも苦労しているようだった。
また、「あなたにとって自由 liberty とは?」というものを数ある選択肢の言葉・画像から選択し、その人の写真、その人が選んだ選択肢の画像で、自由の女神が形作られていく展示があった。「今週最も選ばれた画像」などが表示されており、面白かった。
博物館は1時間弱見学し、マンハッタンへ戻るべく14:55発の船でリバティ島を離れた。
船内で、JALから降機して以後、初めて日本語を耳にした。大学生らしき4人組である。ニューヨークでは地元の人も観光客も含めて本当に色々な人種を見かけるため、話しているところや文字を読み書きしているところが無かったらもはや何人かは全くわからないし(実際、アジア系だなという人が流ちょうな英語で話しているパターンもたくさんある)、何なら日本語を使っているところを見聞きしたとしても、その人が「日本人」とは限らない。そもそも、見た目や使用言語だけで国籍をほぼ1つに特定できるほうが世界的にはレアケースである。世界の広さ、無意識の先入観を捨てなければ、と改めて感じた。

地下鉄でバッテリーパークへ向かう
複々線でExpressは爆走してくれる
地下鉄駅の入口だとは考えられないくらいおしゃれ
これは怪しい
この船で自由の女神があるリバティ島へ渡る
船内1階の売店
船内2階の様子
出航してすぐの3階デッキ
financial districtのビル群が一望できる
天気がめっちゃ良い
こちらは対岸のNew Jersey
自由の女神が近づいてくる
桟橋を通って上陸
島全体が公園のようになっている
天気が良い
地上からだと入れるエリアの制限で結構遠い
近過ぎて足枷を引きちぎっているのは見えない
台座の部分は展望台になっているので時折人が顔を覗かせる
見ることが少ない後ろ側
台座や王冠に上がれるチケットを持っている人は、この写真左奥の入口から入り、この写真正面から出てくる
リバティ島から見たfinancial district
9.11のときのリバティ島の様子
当然ながら、世界貿易センタービルのツインタワーは、ここからもよく見えた
博物館内の展示(その1)
像の制作過程
博物館内の展示(その2)
像の制作過程
博物館内の展示(その3)
像の制作過程
博物館内の展示(その4)
像の制作過程博物館内の展示(その1)像の制作過程
博物館内の展示(その5)
実寸の足に触ることができる
博物館内の展示(その6)
台座にはエレベータもあり、像内は上りと下りの二重螺旋階段になっているらしい
像の制作・寄贈に関わる展示や、文化的位置づけに関わる展示がある
自分にとってのLibertyを選択して写真を撮り、それが巨大なスクリーンで自由の女神を形作るのに使われる
最初に国を選択する場面で、国籍でも民族でもなく「あなたがホームタウンと呼ぶのはどこですか?」といって国の選択肢が出てきたの、とても良かった
維持管理の歴史
実寸の顔
トーチは何度か取り替えられてデザインも変わっているらしい

エリス島

正直に言って立ち寄るつもりが殆ど無かったが、ふらっと降りてみたら全然時間が足りなかったところである。
自由の女神があるリバティ島からマンハッタン島のバッテリーパークへ戻る船は、夕方の最終便近くの数本を除いて、エリス島というところに寄港する。何があるかも知らなかったのだが、特に調べるでもなく、「せっかく停まるなら少し降りてみて、次の船で帰るか」くらいの気持ちで降りてみたら、1時間以上滞在しても全然足りず、閉館でやむなく退出することとなった。
ここエリス島は、かつてアメリカへの移民が最初に上陸して入国の審査を受けた場所で、1892年から1954年の間アメリカ合衆国移民局が置かれ、現在のアメリカ人の4割ほどが、エリス島を通って入国した人を祖先に持つらしい。かつて入国審査を行っていた建物が博物館になっており、当時の審査の流れや、人々の処遇、移民が本国から持ってきたもの、エリス島自体の拡張の歴史などが展示されている。音声ガイドも無料で借りることができ、日本語にも対応していて優秀。
明治・大正の時代に渡米したいわゆる日系一世の人たちの写真や渡米経緯、当時の日本政府が発行した彼らのパスポート等も展示されていた。その時代に異国に渡って生活の本拠を移すなど、(他の国の人もそうだが)どれだけの不安と覚悟だったのだろうか。
また、この博物館の展示で知ったのだが、前日に入国審査で訊かれた How much money do you have? は非常に伝統的な質問らしい。勿論、当時の審査での意図(最低限やっていけるだけの目安額として25ドルを持っているか、という意図だったらしい)とは意図が違うのだろうが、文言まで全く同じだったので思わず笑ってしまった。近くの係員と「これは伝統的質問だったんだね。ちょうど昨日JFKの入国審査で全く同じこと訊かれて、『20ドル以下だ』って答えたよ。」「それは強制帰国だねw」「「HAHAHAHA」」などと談笑した。
また、島には別の建物もあり、こちらは病気等を理由に即時の入国が認められず留め置かれた人たちが隔離された病院の跡であり、別途特別ツアーで入ることができるらしい。
閉館が17:00で最終の船は17:15だが、閉館時刻を尋ねた係員が最終便は非常に混むからと16:30の船を強くお勧めされたので、16:15頃でやむなく博物館を退出し、船乗り場に並んだ。後ろにいたお婆ちゃんからカバンのチップとデールに絡まれる。16:45頃にバッテリーパークへ戻る。

今は博物館になっている、移民局として使われていた建物
建物に入ってすぐの階段を上がった先にある待合室
実はその階段を上がる様子を医師が見ていて、健康障害が疑われる場合には別室に送られたという
階段を上がる段階から審査が始まっているという訳だ
移民たちが持っていたパスポートの展示
各国の100年以上前のパスポートが並ぶ
明治33年のパスポート
文言が今もあまり変わっていないのは意外だった
しかし、日本語だけで意味はあるのだろうか
大正8年のパスポート
文言は明治のほうが今に近い
この時は政府側で英語(やフランス語)に翻訳もされていたようだ
渡航の船のチケット
エリス島に到着してからの移民の流れ
前日JFKで訊かれたのと全く同じ文言だったので笑ってしまった
識字率も高くはなかったであろう時代
読み書きのできない家族が送還された、という悲劇もあったそうな
乗船名簿
本来の名前を失った人も
入国審査の「別室」の起源(?)
待合室
手前の台が審査官が座るところ
左右の脇にあるベンチは当時使われていた本物が置いてあるらしい
当時の様子がわかる写真が展示されている
この建物は移民局としての役目を終えた1954年以降、しばらくは放置され廃墟化していたらしい
それを復活させて博物館として整備するまでの記録も展示されていた
日本からの移民の家族写真
移民が本国から持ってきたもの
世界各国の民族衣装や伝統的雑貨などが並んでいた
各国の家族写真
エリス島自体の拡張の歴史
因みにニューヨーク州とニュージャージー州で領土争いがあったらしく、今では初めからあったこの自然の島の部分だけがニューヨーク州、残りの人工部分(≒島の大半)がニュージャージー州らしい
この辺りは見学時間が殆どなく、足早に写真だけ撮って駆け抜けたところ
手前の本棟が今の博物館
奥には健康問題が疑われた者を留め置く病院が建設された
病院が増設
さらに拡張
恐らくもう動かないが、めちゃくちゃ古そうなエレベータがあった
奥に見えているのは病院だった建物
現在は廃墟化しており、柵で自由に近付くことすらできないが、専用のツアーに参加すると入れるらしい
現在は博物館のメインの建物
写真右側が水路である
こちらのフェリーでバッテリーパークへ戻る
エリス島に沈む太陽
船上からは相変わらずマンハッタンが美しい

ワンワールド展望台

さて、思ったよりも遅い時間になってしまった。この日9.11メモリアルに行けるタイミングがあれば行こうと思っていたが、カーネギーホールの開演は20:00なので、もう流石に間に合わない。マンハッタン島南部の徒歩圏内には居るので、下見も兼ねてグラウンドゼロ付近まで散歩して、現在西半球で最も高い建物であるワンワールドトレードセンターの展望台へ向かうことにした。時間的にちょうど昼景と夜景の両方が見られそうだったのも理由である。
歩いている途中、流石にお腹が空いてきたと思ったところで、17:00頃にbento SUSHIという怪しい名前の持ち帰り寿司屋を発見したので入ってみる。CALI SHOGUN COMBOという怪しい名前のセットを購入。すると「もう時間も遅いし、残ってるパックの中から好きなやつ1つタダで持ってって良いよ」と言われたので、ATLANTIC SALMON SAMURAI COMBOという怪しい名前のセットを頂いた。一度に食べるにはやや多いので、店内で侍を食べ、将軍は持ち帰ってホテルで食べた。
味は思ったほどは悪くなく、日本のスーパーの惣菜コーナーで売っているレベルの寿司を100点とすると、60~70点くらいの出来栄え。シャリが冷えすぎていて硬いが、刺身はまあ悪くはない。(因みにこの記事は金沢からの帰りの新幹線で書いているのだが、北陸の寿司を100点とすると、20点くらいである。)
ニューヨーク証券取引所、トリニティ教会をチラ見して、17:20にグラウンドゼロに到着。縁に犠牲者の名前が刻まれているプールで手を合わせる。
しかし、ここではしゃいで写真を撮っている若者は何なのだろうか……確かに「観光名所」ではあるのだが、どんな場所かを理解していないのだろうか。もう22年以上前の話なので彼らは記憶にすら無いのかもしれないが……
ただ一方で、例えば戦国時代に多くの人が亡くなった古戦場や城郭で「観光名所」としてはしゃぐことがそこまで悪だとは思えない。時間が経てば「慰霊の場」は「歴史の場」に変わるのだろうか。いや、それにしてもまだ100年は早いと思うが。
記念館の係員に、日曜日にGo Cityのパスで来ようと思っていることを伝え、予約は不要であり直接並べば良いこと、日曜の午前は週で一番空いていることを教えてもらった。
17:30に、すぐ近くに再建されて2014年に開業した新しい One World Trade Centerの展望台入口に着いた。このビルの頭頂部を含む建物の高さはアメリカ独立の年に因んで1,776フィート(541.3m)で、世界で6番目に高い、アメリカおよび西半球では最も高い。入場券は普通に買うと最安プランの事前ネット割引でも44USDなので、206USDで7箇所行けるパスが使えるのは相当お得である。これで自由の女神に続いて2箇所目の利用。ここではQRコードで直接入れるのではなく、券売機でQRカードをスキャンすると無料で紙のチケットが出てくるタイプだった。
相変わらず空港並のセキュリティチェックがあったが、ここで強面のガタイの良い黒人の警備員からチップとデール可愛いねと絡まれる。可愛いだろ。
平日だからか時間帯が半端だからか、待ちは殆ど無く、17:40には高速なエレベータに乗り込む。エレベータは壁と天井が一面ディスプレイになっており、周りには初めは原野の自然豊かな景色が表示されている。エレベータが上へ上がるにつれてディスプレイの視点も高くなり、時代も進んでいく。現代に近付いてくると周囲に高層ビルも現れ始め、やがてOne World Trade Center自身の工事用の足場に囲まれ、頂上に到着する、という演出。
上に着くと最初は壁一面のディスプレイがある横に細長い部屋に案内され、暫く動画を見せられる。その動画の最後に、ディスプレイ自体が吊り上げられて天井に格納され、目の前に窓と外の景色が出てくる。但し、数秒でディスプレイが元の位置に降りてきてしまうので、写真を撮る場合には注意。
その後、隣室から一つ下のフロアへ下ると、そこが一周できる展望室になっており、ここでは自由に滞在できる。17:50頃から15分ほど滞在し、ちょうど昼景から夜景への切り替わりを楽しめた。
下りのエレベータでは、景色は現代のまま(夜景だったが、時間帯によって変わるのだろうか?)、エレベータがビルの窓から外に飛び出し、周囲の景色を見ながら地上に下りていき、最後は(実際に着くのが地下なので)地面の中に埋まって周囲の地層が表示されて扉が開く。なかなか面白い演出である。
ホテルへ戻るべく、そこからFulton Street駅まで地下街を歩く。New Jerseyとの通勤需要を捌いているらしい地下鉄とは違う中距離電車のターミナルや、アップルストア、そしてbento SUSHI(チェーンだったのか!)など色々な店が並んでおり、雰囲気も明るく、仕事帰りと思われる人々で賑わっていた。地下街を歩いたのが18:10頃、ホテルに着いたのは18:25頃である。

怪しい
片方タダで貰えたのはかなり嬉しい
ニューヨーク証券取引所
トリニティ教会
グラウンドゼロとワンワールドトレードセンター
ワンワールドトレードセンター
先端が見えない
展望台入口
殆ど並んでいなかった
動画の最後でディスプレイが吊り上がったところ
左に自由の女神があるリバティ島
その右手前で橋が架かっているのがエリス島
但し橋は従業員専用で、来訪者は船で行くしか無い
南東方向、ブルックリン方面
北方向
エンパイアステートビルが見える
親切な注意書き
滞在15分で夜景まで楽しめた
NYで見た鉄道駅の雰囲気ではかなり日本に近いと感じたのがここ
ニュージャージーからの通勤路線のようだ
地下鉄Fulton Street駅までの地下通路には商業施設が並ぶ
ここにもアップルストア

カーネギーホールでウィーンフィル

さて、ホテルで怪しい寿司を口にしながら40分ほど休み、19:10頃に数少ない日本出発前から決めていた予定である、オーケストラのコンサートへ出掛ける。
オーストリアのウィーンを本拠地とするウィーンフィルハーモニー管弦楽団というオーケストラがある。世界でも指折りの名門オーケストラであり、来日公演ともなればD席でも20,000円を超えるようなチケットが早々に売り切れる。そんなウィーンフィルがちょうど来米しNY公演をするというタイミングだったので、聴きに行くことにしたのだ。
更に、会場となるカーネギーホールは、1891年に開館したクラシック音楽界ではこちらも世界で指折りの伝統と格式のあるホールであり、例えば1893年にはドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』(第4楽章の冒頭は、クラシックに全く縁が無い人でもほぼ間違い無く知っているはずのあの曲)の世界初演が、このホールで行われている。よく知られた道案内ジョークとして、"How do I get to Carnegie Hall?" "Practice, practice, and practice."というのがあるらしい。
そんなカーネギーホールでのウィーンフィルでのコンサートが、最上階最後列の席とは言え、日本公演のD席と変わらない値段であった。アメリカの物価といまの円安を思えば格安であろう。これは行く他無い。
指揮者は昨年秋の日本公演で癌治療のため代演となり来日が叶わなかったFranz Welser-Möst、曲目はブルックナーの交響曲第9番と、ベルクの管弦楽のための3つの小品だった。どちらもきちんと聴き込んだことは殆ど無く、事前に予習する時間をあまり取れないままアメリカへ来てしまったのは反省点である。
20:00に開演。海外オケの演奏を聴くのも、海外でコンサートに行くのも初めてだったが、コンサートの流れ自体は日本のそれとほぼ変わらなかった。
日本と比べて良かった点としては、楽章間の執拗な咳払い等が殆ど無く終始静かであった(ロビーで無料の飴が取り放題になっていた)こと、終楽章の最後の残響が消え切ってもなお指揮者がタクトを下ろすまで誰一人拍手をしないことが印象に残った。
一方で、演奏中でも小声でヒソヒソとお喋りをする人がいたり、音こそ出さないものの暗い中でスマホを触る人がいて画面の光が目障りになったりはした。マナーが良い悪いというのもあるだろうが、文化の違いだろうか。(電車内や店内等の公共の場でも、平気でビデオ通話等をしている人々がとても多い)
2曲だけということもあり、途中休憩は無かった。ブルックナーの後も、既存奏者の一時退場も無く、編成が変わる部分の奏者の出入りだけだった。あまりにすぐにベルクが始まったので、一部の観客がそれに気付かずお喋りを続けたり席を立とうとしていたりしていた。
しかし、ブルックナーは交響曲で時間も長いのに演奏順が先だったのは何故だろうか。未完成だからか、ベルクの方が編成が大きいからか。編成はかなり大きく、弦のプルト数は1st7.5、2nd7、Va.6、Vc.5、Cb.4、木管はブルックナーが3(Cl.だけ4?)、ベルクは4(Cl.だけバスクラ入れて5)、金管はアシを入れてHr.がブルックナー7ベルク5、Tp.4、Tb.4、Tu.1だったかと思う。ベルクは打楽器も多く8人おり、更にハープ2とチェレスタが加わっていた。
演奏自体も勿論素晴らしく、恐らくは最早自分があれこれ語れるレベルではないことは確かだと思う。
終演後に奏者が退場した後、比較的すぐに清掃が始まったのは文化が違うと感じた。せっかくなのでと写真を各所撮っていたが、途中で追い出しが始まってしまった。21:35頃終演だったが、21:50にはほぼ全員がホールの外に出されていた。
このため22:00前にはホールを出て地下鉄でホテルへ。これまでで最も遅い時間の地下鉄だったので流石に少しドキドキしていたが、少なくとも今回は普通そうな(?)人もかなり多く乗っており、特段怖い思いをすることも無くGrand Centralに着いた。そこからホテルへ歩いているところで少し変な人に声を掛けられたが、目を合わせずガン無視して歩き去ったところ、特に追いかけて来るでもなく終わった。22:30前には無事にホテルに到着し、この日の観光を全て無事に終えることができた。

地下鉄による時短効果が微妙な経路だが、革靴で長距離歩きたくないので、7→Qと乗り継いでカーネギーホールへ向かう。

決して高い靴ではないが、羽田のファーストラウンジでこのために磨いてもらった靴
ホールに入ったところ
ホール入口を2階から
金土日3日間の公演はすべて売り切れ
咳止めの飴が無料配布されているのはとても良いし、包み紙を開演前に剥がすよう書いてあるのもとても良い
ホワイエ
ハイフェッツ
ガーシュイン
ホワイエは狭いが、そんな中でも階段下でバーカウンターが営業していた
最上階最後列中央付近
終演時
最上階最前列より会場全景(終演後)
今回は催行日と定員の都合でツアーには参加できず
遅れてきた人に会場で伝えてもどうしようもない情報
せめてチケット購入時に教えてほしい(困りはしなかったが)
文化財的な指定の銘鈑
やはりウィーンフィルはホールとしても目玉のようだ
ホール外装

2024.3 往復JALファーストクラスで行くNY・WDW旅行の記録
その4;NY観光1日目(自由の女神・カーネギーホール etc.)編 おわり
その5;NY観光2日目(メトロノース鉄道・イェール大学 etc.)編 へ続く

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