吉村 剛

和歌山県那智勝浦町在住の60歳のおっさんです。趣味で小説、やエッセイを書いてます。 こ…

吉村 剛

和歌山県那智勝浦町在住の60歳のおっさんです。趣味で小説、やエッセイを書いてます。 これから少しずつ投稿していきますので、ぜひ、ご覧いただければと思います。 どうかよろしくお願いいたします。

最近の記事

那智勝浦町昔懐かし話 第25話

第25話『山口熊野忌』 今回は、少し赴きを変えて歴史的なお話を。でわでわ第25話でありまーす。 皆さん、山口熊野って知ってますか。山口県と熊野地方ちゃいますよ。 人の名前で「やまぐち ゆや」と読みます。この方何をされた方と言いますと、紀勢本線(紀伊半島の鉄道ですな)の敷設に関わった大功労者なんですな。 この方が居なかったら、今僕らはJRで和歌山や大阪へ又は大阪から勝浦へと 列車移動が出来なかった訳です。ものすごく和歌山にとって大事な方であり未来永劫に語り継いで行かねば

有料
100
    • 那智勝浦町昔懐かし話 第24話

       第24話『おまぜ』 なんとすばらしい言葉「おまぜ」、なんと分かりやすい言葉「おまぜ」 たった3文字「おまぜ」、勝浦の人間で知らん人はいないと思う「おまぜ」 とっても丁寧な言葉「お」がついている「おまぜ」、 ちょっとエッチな言葉「おまぜ」、泣いている赤ん坊が泣きやむかどうか分 からない言葉「おまぜ」、その状態がそのまま言葉になった「おまぜ」 聞いただけでよだれが出てくる「おまぜ」、みんな大好き「おまぜ」 とっても簡単「おまぜ」、みんなでわいわい「おまぜ」、 何がなんでも「

      有料
      100
      • 那智勝浦町昔懐かし話 第22話

        第22話『餅まき好き好きおばちゃん』 21話から少し間が空きましたが、まだまだ書きますよ。22話です。 「タケちゃん、明日の1時から桟橋のとこで餅まきあるんやて。お母ちゃんにゆうたって。」「うん、おばちゃんおおきに。」隣のおばちゃんが通りがけに明日の餅まきを教えてくれた。「お母ちゃん、隣のおばちゃんが、明日1時から桟橋のとこで餅まきあるゆうてたで~。」「ほんまか。隣のおばちゃん、餅取りの名人やさかなぁ~。」そういう家のお母ちゃんもなかなかのもんやと思う。 今は無くなっ

        有料
        100
        • 那智勝浦町昔懐かし話 第21話

          第21話『祭り囃子がきこえる』 いつも書いている話は過去形の物が多いが、今回の話しは現在も続いている勝浦の伝統のお話です。 「オーレンヤ、ホウランゲー、ヨヤサノサッサ、ヨイヨイヨヤサー」かけ声に合わせて太鼓を叩く。トントコリンノトン、トントコリンノトン。旧勝浦(1区から6区)の勝浦町民なら口ずさめるし、太鼓のリズムも刻めるほど有名なかけ声である。そう勝浦八幡神社例大祭の櫂伝馬のかけ声である。今年も櫂伝馬や子供神輿の練習が始まっている。前にも書いたが僕ら男の子は小学生の

          有料
          100

        那智勝浦町昔懐かし話 第25話

          那智勝浦町昔懐かし話 第20話

          第20話『ホテル浦島には、ケーブルカーがあったんやで』 記念すべき第20話である。たぶん今の若者(この表現嫌いなんやけどなぁ、自分がものすごく歳とったみたいで。まだまだ若いと思てるんで)は、知らんやろけどホテル浦島は、僕ら小学生の格好の遊び場でしたと言う話です。 「タケちゃんあそぼ~。」またまた、仲の町の2馬鹿小学生タコちゃんとナカシャが僕んちに遊びに来た。「どしたん。まあ、入りなぁ。おかあちゃん、タコちゃんとナカシャ来たから何か出したって。俺の部屋いこか。」「タケち

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第20話

          那智勝浦町昔懐かし話 第19話

          第19話『妖怪大戦争』 イベントシリーズから今までの形に戻っての第19話である。18話からちょっと間が開いたが終わったわけではありませんよ。100話めざして書きまっせぇ。読んでね。でわでわ第19話小学校低学年の話でありま~す。 「タコちゃんあそぼ~。」「あっタケちゃんとナカシャか~。どしたん。」どしたんって遊ぼと言うたんやから遊び来たのである。僕らの子供の時は今から考えるとおもろい会話しやたっなぁ~。「ねえ、タコちゃん、駅前の映画館あるやん。そこの看板に妖怪大戦争上映

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第19話

          那智勝浦町昔懐かし話 第18話

          第18話『内田のおやじ2』 17話の続きです。 自称ポルシェでやって来たおやじは、協会事務所の奥から覗かなくても声のでかさでやって来たのが分かる。「みんな元気か。おつ、○○ちやん。今日は一段とかわいいね。吉野おるか、吉野」と入ってくる。僕は隣の職員と「また、うるさい、おやじきたで~。」と眼で合図する。「内田さん、女の子からかったらセクハラになるで~。まあ、こっちへ座ってよ」と僕。「あほいえ、からかいやるんやない。ほめやるんや。なぁ~。○○ちゃん。」○○ちゃんも「あっ、はい

          有料
          300

          那智勝浦町昔懐かし話 第18話

          那智勝浦町昔懐かし話第17話

          第17話『内田のおやじ 1』 このイベントのシリーズを書くにつれ、やはりこの方の事を書かない訳にいかない。そう、内田のおやじこそ内田正年(うちだ せいねん)さんだ。 ご家族のご承諾を頂戴したので、有り難く書かせていただくこととします。 あえて親しみを込めて内田のおやじと呼ばせていただきます。 僕と内田のおやじとの出会いは、僕が幼稚園の時ぐらいなので、約50年前ぐらいになる。内田のおやじは、名前が正年。普通は「まさとし」だが、「せいねん」と読む。いつも「俺はいつでも青年

          有料
          300

          那智勝浦町昔懐かし話第17話

          那智勝浦町昔懐かし話 第16話

          第16話『勝浦温泉花火大会の中止 2』 第15話の続き。張り巡らされたロープに沿って岸壁を担当者が見廻り続ける。那智湾の時は、次の日の朝掃除をすれば良かったが、勝浦湾の時は、次の朝から市場で競りが行われる。夜9時に終わり岸壁に張り巡らしたロープは丸濱組が片付けてくれたが、それ以外は全スタッフで片付け、きれいに道や会場内を掃除しなければならない。スタッフは、帰宅が夜12時をすぎるのはあたりまえだった。そんな感じで11年間携わったが年々警備体制の規制は厳しくなっていった。ま

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第16話

          那智勝浦町昔懐かし話 第15話

          第15話『勝浦温泉花火大会の中止 1』 僕が携わったイベントとしてやはり花火大会の事は避けられない。多分この話を書くことにより反感を買うだろう。しかし、それでは、当時いっしょにやっていた各団体の皆さん、諸先輩達が自分たちの都合で花火大会をやめてしまったと思われ続けるだろう。事実を誰かが書かなくてはいけないと思う。だから当時の花火大会事務局責任者として後世に伝える為あえて書きます。実名で書くことお許しください。 前にも書いたが僕の観光協会への入社は、平成5年12月であ

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第15話

          那智勝浦町昔懐かし話第14話

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話第14話

          那智勝浦町昔懐かし話 第14話

            第14話『第1回まぐろ祭り。その2』 やはり、まぐろ祭りの事を書き出すと1話で終わらすつもりが、終わらない。よって続きを書きます。 まぐろ汁は、今は前もって作ったまぐろのつみれを冷凍させたものを使っているが最初の頃はまぐろ祭りの前日から上田調理長が2500人分のつみれをミンチ状で夜通し作りそのミンチを10個くらいの樽につめて中之島からまぐろ祭りの始まる早朝に対岸の魚市場に連絡船で運ばれスタッフが道具で一個一個団子にしまぐろ鍋に入れていた。今のまぐろ汁もうまいが、このと

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第14話

          那智勝浦町昔懐かし話 第13話

            第13話『第1回まぐろ祭り。その1』 今回より僕が携わってきたイベントに関し後世に伝えるために(大げさやけど、語り伝えてもらう為に)覚えている事を書きます。但し記憶なので事実と違っている場合もあることをあらかじめご了承ください。また、すべて実名で書かせていただきます、ご了承ください。 僕は、平成5年の12月に那智勝浦町観光協会で働くようになった。当時観光協会は、今の海産物センターの3階を借りていて湯浅専務理事、中村女史、久保女史、そして僕の4名が常勤で会長は中村紘

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第13話

          那智勝浦町昔懐かし話 第12話

           第12話『勝浦は、昔サンマで有名やったんやで』 勝浦に生まれ育った僕は、実家が、ひいじいちゃんの時代より約100年続くマグロの仲買で、マグロによって僕は大きくなったと言っても過言ではない。 実家は今、弟が継いでいるが、そのおかげで僕は観光の仕事に従事している。 仕事柄、勝浦の恩人というか巨匠にお話を伺うこともあるのだが、今回はTさんの話を元に勝浦の漁業のことを書きたいと思う。 明治、大正時代は、実は勝浦ではサンマ漁が盛んで、漁法は網を使った追い込み漁だった。「勝浦のサン

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第12話

          那智勝浦町昔懐かし話 第11話

          第11話 『勝浦の子供達よスイカ氷に誇りをもて』 たまには食べ物の話を。 「うって~。うって~。おばちゃんうって~。」勝浦の子供達は昔から駄菓子屋の玄関を入るときは、この言葉を言う。売ってください、という意味。勝浦の子供達は行儀がよいのだ。(ほんまかなぁ~。)「はい、はい、何にするんかいのお~。」駄菓子屋のおばちゃんは店の奥から現れる。僕らの子供の時は、勝浦小学校の入り口の所にイトウ、入り口の右側忠魂碑の隣にユミネ、 そして今の紀陽銀行の近くにこれまたイトウという駄菓

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第11話

          那智勝浦町昔懐かし話 第10話

          第10話 『私立 勝浦幼稚園』 記念すべき第10話である。小学生の時の話が多いが今回はもう少し遡って見ることにする。幼稚園の時の話。 「はーるよこい。はーやくこい。あーるきはじめたちぃちゃんが~。」 昭和40年代中頃、当時那智勝浦町には幼稚園、保育所がいくつかあったが旧勝浦町(1区から6区)の子供達の多くは、勝浦幼稚園に通っていた。3歳で赤組、4歳で白組、5歳で青組だった。青組には、その歳から入園してきた子供のために黄組もあった。普通なら3歳の赤組から入園するのたが、

          有料
          100

          那智勝浦町昔懐かし話 第10話