那智勝浦町昔懐かし話 第13話

  第13話『第1回まぐろ祭り。その1』
 
今回より僕が携わってきたイベントに関し後世に伝えるために(大げさやけど、語り伝えてもらう為に)覚えている事を書きます。但し記憶なので事実と違っている場合もあることをあらかじめご了承ください。また、すべて実名で書かせていただきます、ご了承ください。
 
僕は、平成5年の12月に那智勝浦町観光協会で働くようになった。当時観光協会は、今の海産物センターの3階を借りていて湯浅専務理事、中村女史、久保女史、そして僕の4名が常勤で会長は中村紘一郎会長だった。会長は協会に用があるときに来られるという感じだった。僕が入社して年があけた平成6年の初めのある日、観光協会に会長が来られて「前から思っていたんやけど、勝浦は生まぐろが有名や。そやけど、このまぐろに関するイベントが無い。もっともっと全国の人に勝浦の生まぐろを知ってもらうためにまぐろのイベントをやりたいと思ってるんや。もうすでに漁協の組合長や魚商の濱田理事長に話してるとこや」とまぐろのイベント開催について初めて話された。それから何日かして和歌山にある日本工宣という企画会社の斉藤さんが、観光協会に来られ会長、僕と湯浅専務とで当時の魚商、漁協、県鰹鮪漁業協同組合、旅館組合、役場(水産振興会)、民宿組合、商工会を周り再度中村会長の意志を伝え、承諾をいただき上記8団体共催で10月第4土曜日に「第1回まぐろ祭り」を魚市場で午前中開催することとなった。町の団体で力を合わせてイベントを行うという意味で共催の形を取った。実は、このまぐろ祭りは「まぐろ祭り」と書く。生まぐろにこだわる所からあえて「マグロ」と書かず「まぐろ」と書く。1回目から携わった方々のこだわりである。このまぐろ祭りには、まぐろ鍋が使われマグロ汁が無料配布されるが、白浜町にステンレス製の舟形の鍋に魚介類を入れて作る海人鍋がある。これを僕ら観光協会の職員と日本工宣の斉藤さんと、町観光産業課の中地さんとで視察に行き、どうせ作るなら日本一のまぐろ鍋をつくろやないかと三重県の業者に頼み、あのまぐろの形をしたまぐろ鍋が生まれたのである。制作費約100万。制作日数約3ヶ月。約2500人分のまぐろ汁ができる。底に3つのバーナーを備えたまぐろの形のステンレスの板を張った風呂みたいになっている。約22年使っている。まだまだ現役である。このまぐろ汁に合わせ、勝浦らしいまぐろ料理を作ろうやないかと当時の中之島の上田調理長を会長とした紀南調理師会の皆さん(勝浦だけやなく南紀地方の宿泊施設の調理長の集まり)が検討を重ねまぐろ汁が生まれたのである。勝浦のオリジナル料理なんやで。まぐろ汁は、まぐろ祭りの時に生まれたんやで。
                      第 13話終わり、第14話に続く。
 
 

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