自省録 vol.1
名詞にない関係
先日、高校時代の恩師と電話で話していた。
いや、恩師というのは心のなかでそう思っているだけで、実際のところは友達のような、上司のような、つまるところ「これ」となにか名詞に当てはめられるような関係ではない。
高校のときに担任だった(っけ)先生。
(っけ、となっているのにはそれなりの理由がある。クラスというものが目で見えにくいスタイルの高校だったからだ。つまりは毎朝、教卓に教師がたち、朝の会なるものをして…ということがない学校。)
思い出はいろいろあるはずなのに、精神的なつながりが強すぎるのか、うまくまとまったことを書くことができない。
とがるのがいいのか丸くなるのがいいのか
電話で話し続けるうち、何度か、ハッとさせられる瞬間が訪れた。
気持ちいいくらいに刺さる言葉や、懐かしみのある言葉。
それに反応して、段々と自分自身も飾らない言葉で話せるようになっていく。
すると、最近、自分が自分ではないみたいな感触があったよな、とか、良くも悪くもおとなになってしまって丸くなっちゃったよな、とかそんな思いが浮かんでいた。
性格が丸くなると、周りとも衝突しないし生きやすい。
でも、社内政治とかそんなくだらないことに心を消耗することの無意味さ。
仕事は仕事としてやるにしても、なんていうか、高校生の頃みたいに、純粋というのか無骨というのか、スマートの真逆みたいな生き方もよかったよな、と思えてくる。
声を出してなにかに対抗することは簡単ではない。
といって無意味にやたらに対抗するのも正しくない。
ひとまずは、おかしいと思うことを口に出して言えるひとでありたい。
センサーが鈍っているのか、あとからあとから、これっておかしいとか、あのときこう言い返せばよかったとか、そんなことが最近増えている。
無理にとがる必要はないにしろ、センサーの感度をあげて、反応速度をあげたい。
よく考えて、考え抜くことを諦めない。
最近、仕事がきついのでつい流されてしまいそうになる。
でも忙しくてもきつくても、一歩立ち止まれるひとでありたい。
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