震える手と足


バセドウ病が発覚し、職場から自宅療養を勧められ実家で療養して13日目。私は帰ることにしました。

その時はまだ、体は完全に元気と言える状況ではありませんでした。でも、このまま心配をかけて過ごす方が自分にとってはしんどいと感じたのと、薬をメルカゾールからヨウ化カリウム丸に変えたら先生が10日で変化が現れると言っていたし、だんだんよくなっていくだろうと、両親と職場を説得し許しを得ました。

当日、母がお見送りに来てくれました。新幹線の改札口で2人とも涙ぐみながら別れました。母の気持ちを考えると病気を患う娘が1人でまた職場に戻ろうとすることがつらかったと思います。私はと言うと、これからの不安で目が潤んだのではなく、母娘で四六時中一緒に過ごすのが小学生ぶりであかんたれ(関西弁で甘え癖の着いた子)になっていたんだと思います。大学で親元を離れる時も、社会人になって上京した時もこんなことはありませんでした。新幹線に乗り込んでからも涙がポロポロとこぼれていきました。今思うと、周りから見たらきっとわたしは不審者だったに違いありません。笑

関東に戻る時は、一人旅になると気を張りながらもどってきたので新幹線内で体調を崩すことなく無事に到着しました。1つ目の山はクリア!と嬉しかったですが、アパートに着いた時には安堵と疲労でぐったりでした。


次の日職場へ行きました。朝から出勤する気満々だったのですが、体が重くだるく起き上がることが出来ませんでした。お昼から出勤する旨をベッドからLINEし、お昼にやっと動けるようになり自転車で出勤しました。

漕いでもたどり着かない感覚はなかったのですが、自分の手足がブルブルと震えました。職場がもう少しと言うところで手足の震えのせいでまっすぐ進まなくなりましたが、なんとか到着しました。

その日は上司と面談をし、事後トレーニングをしました。1セットやる度に、ぜーぜーと雪崩るように座りこみインターバルをとるという形で何とか40分程度終えました。

その日は通勤とトレーニングがやっとという形で、とても自炊などできる余裕がなく、食事も外で済ませ帰宅しました。洗濯とお風呂とはみがき全部すませて、明日は今日よりちょっとでも変化があればいいなと22時にベッドに入りました。しかしその日寝付けたのは朝方でした。

自分のドクッドクッ…っと言う大きな心音が身体中に響いて、手も足もかくかくと小刻みに絶えず震えました。体は疲れているのに眠れない。

あぁ、やっぱり私にはトレーニングなんでまだ早かったんだなと落ち込みました。
でも、これも自分の責任で自分が決めたこと。頑張るしかない。言い聞かせて日の出を背に眠りにつきました。

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