shio

仕事:スポーツ選手 持病:バセドウ病

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最近の記事

2023年度が始まった

2023年度が始まりはや1週間。 体調も良好。が、今年から花粉症デビュー めちゃくちゃ目が痒いし、喉がイガイガする 今まで花粉が辛いと涙目になる人たちを 横目に花粉症なくてラッキー♪と舐めきった態度 とってきたことを猛省しております。笑 4月末の全日本選手権がいよいよ迫ってきた 今回いつもの階級より一つ下出るため絶賛減量中 12月に減量を決断し12月の段階で 5キロ減量だった体重もあと1.5キロになってきて 練習のコンディションも悪くはない けど、減量中って疲れやすいし集中

    • 世界選手権を終え、2023年度へ

      しばらくnoteを書いていない間に 世界選手権が終わり、年も明けて2023年度に突入しようとしています。 元々マメな方では無いけど、にしてもっと書く暇あっただろう自分…(笑) 体調の方はかなり良好です。ずっと心配だった世界選手権の遠征も難なくこなすことが出来ました。高山病の心配もありましたが、夏の暑さが辛い時期にバセドウ病になったことであれより辛いものはなかったなと。 どんな症状、体調の変化が起きてもいいように身の回りの準備は徹底して行ったことと周りのスタッフも最大限サポ

      • 復活の兆し……!?

        11月の診察で、数値が範囲内に入りました\( ^o^ )/ まだ、寛解とかそんな具体的なことは進んでないけども とりあえず毎日飲んでいるヨウ化カリウム丸が2錠から1錠へと減りました\( ^o^ )/ それに伴って年内最後の大会 世界選手権に出場することになりました。 死ぬ病気では無い だからこそ無理せずに寛解まで我慢すべきだと 分かっている けどもそれでも私は バセドウ病になったことで自分の周りには力を貸してくれる人が沢山いるということ、自分は競技が本当に好きなんだと

        • 欠場した国体と現状

          バセドウ病が発覚してから2ヶ月経ちました。 以前の投稿で秋口に大会があると書いていたのですが、そのひとつが国民体育大会でした。 ここ数年コロナの影響で大会が開催されず、今年は満を持しての開催!! ちなみに、国民体育大会とは県ごとの団体戦のようなもので、私の県はオリンピアンを数多く輩出している県であり、数年前に団体優勝3連覇もしていました。 数年ぶりに国体が開催される。自分の体がこんな状態でも、せっかく選んでいただいたのに欠場したら悪い。できる範囲頑張ってみせるとトレーニ

        2023年度が始まった

          だいすきだった睡眠

          私の趣味は睡眠です。 周りが色んな趣味や推しを夢中になる中 どんなアイドルや推しよりも 睡眠がだいすきです(笑) 春は午前中にお布団を外に干して お日様の匂いがするお布団に包まれるのが好きで、 夏はエアコンのかかった部屋で タオルケットをお腹にかぶせて寝るのが好きで、 秋は夜の涼しい風を感じながら 薄手の長袖長ズボンパジャマで寝るのが好きで、 冬は寝る前に布団乾燥機で布団を温め あったかぁ~いと毛布にくるまり寝るのが好きで 自分なりの四季折々の寝方を楽しみ 夜気持ち

          だいすきだった睡眠

          震える手と足

          バセドウ病が発覚し、職場から自宅療養を勧められ実家で療養して13日目。私は帰ることにしました。 その時はまだ、体は完全に元気と言える状況ではありませんでした。でも、このまま心配をかけて過ごす方が自分にとってはしんどいと感じたのと、薬をメルカゾールからヨウ化カリウム丸に変えたら先生が10日で変化が現れると言っていたし、だんだんよくなっていくだろうと、両親と職場を説得し許しを得ました。 当日、母がお見送りに来てくれました。新幹線の改札口で2人とも涙ぐみながら別れました。母の気

          震える手と足

          近所の商店街は宝箱

          お散歩をするぞ!と思ったのはいいけど、日中に人が多いところ歩くのは暑いししんどいし、夜にお散歩は涼しいけど気が滅入りそうだなと思い考えた末に 母と昼下がりの商店街へと出発しました。 自宅から、商店街のアーケードに向かうまで徒歩で7.8分くらいでしょうか。アーケードに着く頃には足がガクガクと震えだします。いつもなら、体力に自信がある自分がこんなになるなんて…と思っていましたが、ふと目の前に喫茶店を見つけました。 よし!ここら辺で休憩だ。喫茶店でも入るか〜 とちょっと冒険

          近所の商店街は宝箱

          社会と関われていない自分

          バセドウ病と発覚して、職場に出勤した日に上司から2週間ほど実家に帰ることを勧めてもらいました。 私としては秋口に大会、年末にも大きな大会を控えているので休むことに抵抗がありました。しかし、抵抗したい気持ち以上に体がだるくてとてもトレーニングができる状況ではなかったし、素直に上司の好意に甘えることにしました。 私の実家は関西で、今の住まいは関東なので新幹線で3時間弱の移動がありました。とても、長い3時間でした。体がだるくて重くて座席に座っているのがやっとという状態でした。 私

          社会と関われていない自分

          症状が姿を現してきた

          体調が悪くなって、すぐに病院を受診したことで私の症状にはすぐに病名がつきました。どこの先生でもよく早めに見つけられたねと褒められました。 早く見つかれば、(病を)早くたたける 出会う先生みんなに言われました。しかし、わたしはまだバセドウ病の本当のしんどさを知りませんでした。 私の場合、最初はとてつもない倦怠感だけでした。おかしいと思ってから病名がつくまで、4日でした。その時からだんだん 手足の震え 体の脱力感 多汗 といった症状が出てきました。手足の震えはずっと震え

          症状が姿を現してきた

          仕事にならない

          最初に行った近所の内科ではこんなことを言われました 「数値が下がるまでは競技から離れなさい」 ……と。私は頭が真っ白になりました。これからいくつか試合が控えている中でそんな選択はできない!わたしがいっぱいいっぱいになっていると先生は続けて 「これは神様が与えてくれた休みなさいという知らせだ。」 私は何も信仰してません!と返す余裕などなくその日はその病院でメルカゾールを出してもらい帰宅しました。帰宅後、所属先に病名と先生から休むように言われたということを伝えました。所属先は

          仕事にならない

          バセドウ病が発覚した経緯

          自己紹介で申した通り、私は現在スポーツ選手を仕事にしています。 競技自体持久系ではないのですが、一般の28歳女性に比べたら体力も筋肉もかなりある方だと思います。 そんなわたしがバセドウ病になるなんて思ってもみなかったし、こんなに自分の体が大きく変わってしまうんだなと感じました。 一番最初に体の異変に気づいたのは 片道15分の自転車通勤でした。朝目覚めて、支度をし職場へと向かう。漕いでも漕いでもいつも使っている道なのに一向に職場につかないのです。最初は自転車の調子が悪いのか

          バセドウ病が発覚した経緯

          自己紹介

          はじめまして。自己紹介させていただきます。 私は28歳女性のshioといいます。 仕事はスポーツ選手をしています。 本を読むのも文章を書くのも苦手なので、 読みづらいかと思いますが よければ見てくださると嬉しいです。

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