見出し画像

人の心に必要なのは、アクセルよりもサスペンション

まったく車に詳しくない、という人もいるでしょうが、ちょっと着想を得たので、人の心や行動を車に例えた話をしてみます。

メタファー(暗喩)としての車

日常的に、人間の心の動きや行動は、「車の機能や動作」に例えられることが意外に多いですよね。お気付きでしょうか?

試験勉強だったり、仕事のプロジェクトを進めるときに、アクセルを踏んでいこう、とか。

ダイエットや無駄遣いだったり、つい勢いで暴走してしまうような人に対し、ブレーキをかける、ブレーキ役、とか。

方針や思考を変えるときに、○○の方向にハンドルを切って、とか。

他にも、
・帰省や就職の「Uターン」
・景気や売上の「急ブレーキ」
・人気や数字、気持ちなどが「加速する」
・仕事量が多すぎて「パンク」
・頭を使いすぎて「オーバーヒート」
・調子や勢いが出てきて「エンジンがかかる」
・議論などが「空転する」
・体や頭を暖める「暖機運転」
・お腹がすいて「ガス欠」
・気持ちを切り替える「ギアチェンジ(シフトチェンジ)」
  :
などなど、ちょっと思いつくだけでも、”車の動作や用語”が、人間の心や動作、あるいはビジネス現場での表現として、比喩的に登場することが多々あることに気付きます。

車に代表される乗り物全般は、「走る・曲がる・止まる」の3つが基本の動作です。

比喩として使われる車関係の言葉は、車が誕生してからの原始的な装備や動きのものが多くて、便利機能や新しい装備は少ないですね。
ワイパー、ミラー、ライト、ウインカー、カーナビなどは、ほとんど聞きませんよね。面白いな。

サスペンションの働き

人間の行動や精神では、上の例では登場しなかった「サスペンション」が実は一番重要ではないかな?というのが主題。

サスペンションって、分かりますよね?
車の足回り、つまりタイヤを支えている部分で、地面からの衝撃を吸収し、快適な乗り心地を保つための重要な装置です。

サスペンションの主な構造として、らせん状に巻いた「スプリング(ばね)」、その真ん中に軸のように存在している「ダンパー(ショックアブソーバー)」、車輪を支える「サスペンションアーム」の3つで構成されています。

ここでは構造はどうでもいいんですが、バネだけだったら、段差を越えるときに、いつまでもビヨンビヨンと上下に揺れ続けて、ソッコーで車酔いしてゲロゲロ吐きカーになってしまいます。
なので、その揺れを素早く押さえるダンパーが必要になります。

段差を乗り越えたとき、段差があったことにすら気付かせずに、スッと水平な安定状態に戻す、というのが高性能なサスペンションの役割です。

路面のでこぼこ対策だけではなく、加速や減速、カーブのときに、しなやかに車体の安定を保つのもサスペンションの重要な役割。

どれほどハイパワーなエンジンを積んだマシンでも、サスペンションがなければ、ただの鉄の箱形のゴミです。
外見は頑丈に見えても、ちょっとした段差で衝撃をまともにくらってしまい、弱い部分からボキッと折れてしまいます。
乗り心地も最悪でしょうね。

心にもサスペンションを

人間も同じと思うのです。

頑丈さや固さは、イコール「強さ」ではありません。
外からのショックや振動を速やかに吸収して、安定状態を保つという、サスペンションの役割が、本体にダメージを与えずに良好状態をキープするためにとても重要です。

人間も、外部からの刺激、たとえば誰かの言葉だったり出来事だったり、何らかの原因によって心にダメージを受けることはあります。

こういう時に、心が折れやすかったり、行動にも影響が出るという場合、衝撃を吸収するための「心のサスペンション」がヘタっている、という考え方ができるのではないか、と思いました。

つい、本体そのものがポンコツだから、と思ってしまいがちですが、そうではなくて、実は一部のパーツだけの問題かもしれないな、ということ。

車に例えるなら、エンジンもブレーキもハンドルも特に問題はないけど、サスペンションだけがガタガタ。
部品を修理・交換するだけで、本来の性能を取り戻せるものなのかも。

人間の場合は、機械ではないので、簡単に部品を取り外して交換や修理はできません。
が、ある意味では「気の持ちよう」とか「マインド」などで、自己治癒できるものかもしれないし、コツやトレーニングでどうにかなるものかもしれない。

怒りの感情の時に、ワンクッション置く、とかいう考え方も、それに近いものがあるのかも。
かもかもばかりで申し訳ないけど。

人間と車の関係

よく例えられるように、車やバイクのエンジンは、人間の心臓にきわめて近い構造をしています。
バルブ(弁)で吸気して、燃焼して、排気を繰り返すことで、独立して動作する機関です。

文字通り、ひとつの生命体として車体に取り付けられています。
これは偶然ではないのでしょう。

ただの機械なのに、車に対して「足」と言ったり「機嫌が悪い」と言ったり、無意識に車を擬人的にとらえることが多いのも、生命体として認識していることに関係しているかもしれません。

人間の心の中にも、エンジン、ブレーキ、ハンドル、ガソリン・・などが存在すると想像してみてください。体ではなくて心ね。

動力はある、抑制力もある、判断もできる、燃料も残っている・・と1つ1つ確認していくと、本体はまだまだ使えるのではないかと思います。

心が弱る原因は、サスペンションに相当する部分が、ちょっと衝撃を吸収しきれていないだけ。
びょんびょんとか、ふわふわとか、強くイメージしてみたら、だんだん心の安定性が戻ってくるような気が・・・頭悪そうな説明だなこりゃ。


何ともまとまりがない文章でしたが、心が折れるのは、決して人間本体がポンコツなのではなく、単に衝撃吸収パーツだけの問題なんだろうな、と気付き。
それなら対処法もあるのでは、と思い。
パーツを修理・交換する(イメージで)のもよし。
サスペンションの性能が低いなら、段差が多い凸凹道を避けて舗装路を走るとか、スピードを落としてゆっくり走るとかで、ちゃんと進んでいくことはできるのだろうと。
そういうことを考えたのでここに記す。終わり。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?