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本当に豊かで贅沢な暮らしは、お金はかからない

私の子供時代は、祖父母と両親、姉弟という6人家族で同居でした。
昭和はこのような家族構成は多かったですね。
両親は共働き。中流のありふれた家庭だったと思います。

祖父母は農業をしており、夏は米、冬は野菜を作っていました。
祖父母が年老いてからは、両親が兼業農家という形で、土日だけ農作業をしていました。

必然的に、自分たち子供も、時々は手伝い要員として出動。
休みの日に、友達に遊びに誘われても、たまたま人出が必要な農作業が重なったときには、手伝わないといけなかったので、それがすごく嫌だった記憶があります。

原風景:ばあちゃんの料理風景

小学生くらいの頃、祖母が料理をする前には、ザルやカゴを持って、敷地内にある家庭用の小さな畑に、使う分だけ野菜を収穫しにいっていました。

朝昼晩、その都度採りに行くというより、当日に使う予定の野菜を「朝摘み」していたかもしれません。

夏野菜はキュウリ、ナス、ピーマン、トマト、枝豆など。
冬野菜はキャベツ、白菜、ブロッコリー、大根など。
他にもネギやタマネギ、じゃがいもなども作っていました。

今思えば、それはとても贅沢で、豊かな暮らしだったのではないかと思います。子供の頃の原風景として、今でも鮮明に覚えています。

田舎の農家だったので、敷地内には果物の木も植えてありました。
記憶にあるだけでも、イチジク、ビワ、サクランボ、柿、渋柿、キンカン、ハッサクなどの木がありました。

今では、その半数はなくなっていますが、サクランボや柿は残っていて、季節になると、子供たちは喜んで収穫し、味わっています。

現代の贅沢で豊かな暮らしとは

そもそも地方に住んでいることもあり、タワマンや高級住宅などとは無縁です。高級車やブランド品にも興味はありません。

田舎は生活費が安い、というのは正確じゃなくて、車は大人1人につき1台は必要だし、物価も都市と変わらないと思います。

強いていえば産直市があちこちにあるので、野菜類は新鮮で安いかもしれませんが、そもそも価格が安いので、数十円とか百円程度の違いでしょう。

やはり大きな違いは住居費でしょうね。
田舎は持ち家の比率が高く、支払いも終わっていることが多いので、その点ではお金がかからない生活は可能というのは確かです。

だからといって田舎は不便か、というと、それほどでもありません。

よほど山奥なら不便でしょうが、都市近郊くらいの田舎なら、大型ショッピング施設まで車ならすぐだし、Amazonの注文も在庫があればたいてい翌日には届きます。

「豊か」「贅沢」というのは、物質的・金銭的なことではなくて、とてもエモーショナルな部分なのだろうと思います。

以下は付録:我が家のささやかな贅沢

ささやかな贅沢というと、たまの外食や旅行を思い浮かべる人も多いと思いますが、普段、当たり前すぎて気にとめない日常の中にこそ、豊かさや贅沢があることに気付きます。

料理の前に、家庭菜園に使う分の野菜を収穫しにいく、ということも、都会の人から見れば、十分に贅沢なことかもしれません。
農薬も未使用で、生産者が分かっている「真の安心・安全」食材です。
色や形は悪いことが多いですけど・・。


小さな畑にスイカを植えてみたら、ほとんどほったらかしでも、立派な実が付いて収穫できました。

「まるごと輪切りにしてみようぜ!」

「やるやる~!」


こうなった↓

最初は面白いけど、食べにくそう・・。
途中でバキッと割っていました。


夕方の散歩道。我が家の近くの風景。


人が少ない田舎道を、夕方に子供と散歩できることも、ささやかな贅沢です。

休職して経済的な不安は生じましたが、時間ができたことによって、メリットのほうを多く享受していると感じます。

今回は、私が考える本当の「豊か」「贅沢」な暮らしについて書いてみました。

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