見出し画像

整形外科界も「温故知新」、肩関節の不安定性への「古くも新しい」アプローチ

 先日大阪にて「肩関節脱臼整復の最前線」と称したワークショップを主催させていただいた。ラグビー界でご活躍の、近畿圏で「肩関節脱臼と言えば…」で知られる、第2大阪警察病院の田中誠人先生をお招きし、現場でアスレティックトレーナー、あるいは柔道整復師はどこまで肩関節脱臼に踏み込んでよいか、整復を試みるならどの手法が効果的なのか、そしてどの段階で手術適応となるのか、をお話いただいた。それは非常に有意義なものであり、企画した僕にとっては知的好奇心が満たされる2019年最高の一日と言っても差し支えなかったと思う。ただ僕の興味を押し付けただけのイベントとなってしまったせいか、参加されたセラピスト、アスレティックトレーナーの数は想定より少なかったが、参加者の先生方からは高い評価をいただけたのではないかと自負している。

 それからほどなくして、とある日本人プロ野球選手がMLBへ移籍するとの報道があった、移籍先の球団は、僕が通訳兼アスレティックトレーナーとして勤めたあの球団だという。2006年、ある日本人投手と契約したその球団は、日米のトレーナーの違いを踏まえたうえで、米国式のアスレティックトレーナーの業務をその選手に移籍後早い段階で理解してもらいたいので、ATCでかつ柔道整復師でもある僕に白羽の矢を立てた、と電話インタビューの際に、当時のGMとヘッドアスレティックトレーナーが説明してくれたのは昨日のように思い出せる。

画像1

 しかしながら、球団のその取り組みは、その選手がキャンプ中に不調を訴え、そこからの調整として登板したマイナーリーグの試合で大きく予定が狂わされてしまう。試合開始から3球目を投じたその瞬間に、肩関節が脱臼したのだ。僕はそれから翌年の暮れまで投球で脱臼した肩関節を保存療法で復帰させるためのリハビリに明け暮れることになった…。

 それから10年以上の時が過ぎ、大学の教員をしながら中学生の硬式野球のチームにアスレティックトレーナーとして携わったり、プロ野球選手のオフシーズンの自主トレを手伝ったり、そして今年から専門誌「投球障害からの復帰と再受傷予防」と題した連載記事を執筆するようになった僕にとって「肩関節の外傷・障害」は一生追い続けるテーマなのかもしれないと思っている。

 話をもとに戻そう。Hovelius(1996)の研究によると、肩関節脱臼の経験者は、20歳以下である場合は85%が、それも2年以内再脱臼するといわれており、患者の活動レベルにおいては初回の脱臼でも手術を考える必要がある。先日のワークショップの中でも、手術適応となった場合についての術式のオプションと、それらの治療成績をもとに術式をどう選択するかについて話が及んだ。

 現在肩関節の前方脱臼あるいは前方不安定性改善を目的とした手術法としては:

1. バンカート修復術(オープン術式と関節鏡下)
2. Capsular Shift (関節包に切り込みを入れ締めた状態で縫合)
3. Plication(関節包と関節窩の縫合)
4. Latarjet/Bristow(烏口突起・2頭筋短頭起始部の移設)
5. Thermal Capsular Shrinkage(関節包を熱で縮める)

の5つが広く知られている。2000年代に入り、1のバンカート修復術が主流となり、関節鏡を用いて行うか、大きく切開して行うかの選択に絞られつつあったところ、2010年代に入って4のLatarjet(ラタジェ:フランスの人名)法が脚光をあびてきているという。上のリストでも簡単に手術の方法を示したが、DiGiacomoら(2011)によると上腕二頭筋の短頭起始部を烏口突起から関節窩前面に移植する手術で、烏口突起からそぎ落とした骨片を1本のスクリューで止めるのがBristow法、2本のスクリューで止めるのがLatarjet法だという。ちなみにオリジナルはこちら(フランス語)

Latarjet M (1958) Technique of coracoid preglenoid arthroereisis in the treatment of recurrent dislocation of the shoulder. Lyon Chir 54:604–607

画像3

ラグビーやアメリカンフットボールなど、コンタクトスポーツで起きた脱臼においてポピュラーな手術法だったとはいえ、僕が米国で野球に関係していた2000~2007年には全く聞いたことのない術式だった。それだけではなくオリジナルはなんとそれよりも50年も前の1958年で、近年では、手術における技術の様々な面でアップデートがなされ、術後、適切なリハビリを行えば普通に投球なども可能になるとの事、ではなぜ野球界でこの手術の名前を聞かないのか?という疑問には、前述ワークショップにて講師を務めて下さった田中先生は

「野球の場合、肩関節の前方不安定性がもっと早期に発見されるので、この手術を受けるレベルにはならないからでしょうね」

と答えて下さったが、もしかしたらコレで救われる選手生命があるのかも、という思いを拭い去ることはできなかった…。そう、僕が担当した日本人投手である。

画像2

 あの時(2006年)球団が「手術をせずに保存で復帰を目指す」と発表したのは、バンカート再建術では十分に修復できないと判断したためで、保存療法が上手くいかなかったときのオプションは5のThermal Capsular Shrinkage、関節包を熱で縮める手法しかないという判断であった。ちなみにその判断を下したのは当時の整形外科界において、投球外傷・障害ではフランク・ジョーブ博士と並ぶ二大巨頭のひとり、そしてジョーブ博士亡きあと、現在では単独で最先端を行くジェームス・アンドリュース博士である。もちろん、セカンドあるいはサードオピニオンとして、前述のジョーブ博士のクリニックを引き継いだルイス・ヨーカム博士(その後ジョーブ博士を追うようにお亡くなりになったが…)や、テキサス・オクラホマを中心に活躍する肩の権威ジミー・コンウェイ博士らも同じ意見だった。

 ところが、当時ネット上だけでなく日本国内の関係者からは「保存で復帰を目指すとはばかげている」という声があちこちで上がり、中には「誰だその判断を下したのは?」「その球団の医療スタッフは無能なのか?」などというコメントも見られた。もちろんにネットに上がらない口コミのレベルであればもっと酷いバッシングもあったろう。当時球団の広報担当から日本語メディアでどう報道されているかの調査・報告も求められていた私は、

「事情を知らない外野が好き勝手いいやがって…」

と血がにじむほど拳を握ったのを今でも思い出せる。もう、それくらいにしておこう…。

ただ、もしこの怪我がこの2019年の今起きていたらと想像してみる。きっと保存が上手くいかなかったオプションに4のLatarjet法が入る可能性は高い。そして医師は、

「昔はこの状態だと、関節包を熱で縮める手法しかなかったんだよね」

と言うのかもしれない。

 いや、それともこのLatarjet法を用いても、あの怪我からの復帰は困難だったのか?タイムマシンがあれば、06年に戻って、当時の僕と選手にこの方法があることを伝えたい。もしも、肩関節脱臼がもとで、競技復帰を諦めた投手がこの術式で手術を受け、復帰までを僕に任せてくれるなら、全力で挑戦させていただきたいと思うのは思い上がりが過ぎるだろうか。今から60年も前に考案され、欧州の一部で引き継がれてきた技術が、今こうして脚光を浴びるというところに何かロマンを感じるのは、単に僕のあの怪我への思い入れが強いだけなのだろうか?

 この話は自分の業務範囲の外の「温故知新」だったけれど、僕の業務範囲内にもISTM(器具を使った軟部組織モビライゼーション)やカッピング(吸い玉療法)など、「温故知新」がいくつも起きているのは決して偶然ではないような気がする。ホンモノは時を超える。肩関節脱臼の整復法で最古ともいえる「ヒポクラテス法」は2000年を超えて使われ続けているのだから…。

参考文献

 Hovelius L, Augustini BG, Fredin H, Johansson O, Norlin R, Thorling J. Primary anterior dislocation of the shoulder in young patients. A ten-year prospective study. J Bone Joint Surg Am. 1996 Nov;78(11):1677-84.   
Di Giacomo G., Costantini A., De Vita A., de Gasperis N. (2011) Latarjet Procedure: The Miniplate Surgical Technique. In: Di Giacomo G., Costantini A., De Vita A., de Gasperis N. (eds) Shoulder Instability. Springer, Milano

このnoteをご覧くださりありがとうございます。サポートいただけた際には子供たちが安心してスポーツに打ち込める環境づくりに使わせていただく所存です。よろしくお願いいたします。